第14話 調停師の夜③

 


 エミリア先輩。調停師。優しくて美人。

 ユージンさん。調停師。(たぶん)まともな人。

 フロム先輩。調停師。着ぐるみの人。

 シャッフルさん。調停師。マスクの人。

 ロキ君。調停師。ちょっとこわい同期。

 グレイさん。狼男。たぶん悪い人。

 ──トール・ホープスキン。調停師。私。


 幹事たるエミリア先輩は全員の手に麦酒のグラスが渡ったのを確認すると、7名は晴れやかに笑って杯を掲げました。


「それでは、記念すべき6人目の調停師! トールちゃんの活躍と、事務所の発展と平和を願いまして、かんぱーい!」


 カン、コン、とグラスを打ち鳴らして、みなさん一斉に冷たい麦酒を喉に流し込んで気持ちよさそうに息を吐かれます。

 あ、そういえばフロム先輩どうするんでしょう、着ぐるみ着てたら口が、


「………………ギャッ」


 ふと足下を見るとふわふわクマの生首が置いてあって私はビクッと震えました。

 視線を上げると、首から下だけ着ぐるみを着た女性が美味しそうにグラスを傾けていました。


 …………。

 普通に取るんだ……。


 ポリシーとかそんなものについて思いを馳せつつ目を細めます。

 着ぐるみの下のフロム先輩は、ストレートの長い黒髪がよく似合う、楚々とした儚げな方でした。

 眠たげな瞳を少し持ち上げて、「?」と言った感じに私を見て首を傾げます。

 いや「?」じゃないですよこっちはもはや本日分の疑問符使い果たしましたよ。


「ねえねえトールちゃん、次何飲みたい? ここお酒の種類いっぱいあるんだよ」

「あ、私あんまりお酒強くなくて……」


 声をかけてくれたエミリア先輩に申し訳なく、私は苦笑します。葡萄酒用の葡萄農家の娘がお恥ずかしい話なのですが……。


 この話をした時、ブラッドは口にこそ出しませんでしたが、嫌そうな顔をしたのを覚えています。醸造家のお嫁に行くはずの女がワインを飲めないとあってはがっかりするのも仕方ないですが。


 エリーゼ嬢は仕入れの品定めをする必要がありますから、頻繁に試飲などもしていたと思います。きっとブラッドが造ったお酒も、美味しそうに飲んでくれたことでしょう。

 ……あ、そういえばちょっと前に「若い女性でも飲みやすい新作ができた」と嬉しそうに言ってましたけど、若い女性なんて村に私しかいないのにどうやって試作したんだろうなと思っ……あ、あーそういうこと……? ああー……。


 今さら気付いた事実にげんなりして、さっぱり減らない麦酒のグラスに口を付けてちびちびと飲みます。うーん、やっぱりまだ美味しいと思えない……。

 せっかくのお酒の席で申し訳ないな、と思っていると、エミリア先輩はぱあっと明るく笑って手を叩きました。


「そうなの? かわいいねえ、それじゃあこの辺に載ってるのだと甘くて飲みやすいかも」

「あ」


 そう言ってメニューを手渡しながら、さっと私からグラスを奪い取り、そのままごくごくと一気に飲み干してしまいました。


「先輩……」

「あぁ仕事終わりの麦酒は細胞に染み渡る……さ、何か食べたいものある? 飲めない分いっぱい食べなくちゃ損だよ損」


 笑い飛ばすようなその声に、私はブラッドのことで沈んでいたのも馬鹿らしくなって頷きました。


 しかしメニューを眺めてみてもさっぱりピンと来るものがなく……ていうか料理の名前から全然想像がつきません……お、オシャレ過ぎて何が何やら……肉の名前+焼いたか蒸したかぐらいの情報じゃないと処理しきれないのですが……!?


「……すみません、村にはこういうお店がなかったもので何が何やら……」

「へえー、じゃあ毎日自炊だ? えらいねー。あ、これとか美味しいよ、とろとろのチーズと胡桃のピザに、蜂蜜たっぷりかけて食べるの。あとこっちの貝を酒蒸ししたやつとかも香草が効いててなかなか……」


 おお、食べたことないものばっかりです、さすが大都会……!

 なんて目を輝かせていたら、ぴしゃりとたしなめるようにユージンさんの声が飛んできました。


「こらエミリア。ちょっとずつ自分の食べたいものに誘導してるだろ」

「む……ユージンうるさい。うるさいねートールちゃん?」

「あー、あはは……」


 ……料理の名前を聞いて「彼女が食べたいもの」だと分かるぐらいエミリア先輩の好みを把握してるってことに、私は勝手にドキドキして目を泳がせます。

 お、大人の恋愛の匂いがします、後で詳しくお聞きしたいです……!


「そういえばトール君は出稼ぎ組なんだっけ。ロキと一緒だね、年も同じみたいだし。有望な新人が二人も入ってうちの事務所も安泰だな」


 人のドキドキ本人知らず、ユージンさんは爽やかにそんなことを述べられました。

 フロム先輩をからかって遊んでたっぽいグレイさんも頷きながら続けます。


「お二人のオーラは正反対ですがどちらも素晴らしい特性を持っていますからね。トール嬢の抑制力の高さは群を抜いています。以前は神獣級の抑制はエミリア女史とユージン君にしかできませんでしたから、戦力として非常に心強いと言えるでしょう」

「いえ、俺とエミリアも神獣が相手では調停可能時間には限りがありますから。トール君は何時間も問題なく神獣の本能を抑えられるんだろう? 随分信頼されてるみたいだし、俺もうかうかしていられないな」


 謙遜するユージンさんに、私は慌てて頭を振って否定します。


「ああいえ、そんなことは……私の場合、効果の範囲が1メートルしかなくて、すごく狭いみたいですし」


 聞くところによれば、調停師のオーラ効果範囲の平均は大体、半径3~5メートル。

 個人差はありますが、手を伸ばせば届くような私の範囲は極端に狭いと言えるでしょう。そのせいでシオンさんのように心の広い方しか依頼してくれませんので、仕事的には出来損ないもいいとこなのですが……。


「その点、ロキ君のオーラ発動範囲は規格外ですね。半径10メートル。訓練次第ではそれ以上の伸び代があるわけですから」

「じゅ、10メートル……!?」


 驚愕してロキ君を見ると、彼は迷惑そうに露骨に顔を背けてだんまりを決め込んでいました。

 わ、私が何人も手を繋いでようやく到達する距離です!

 ん……でも、それだとどうしてさっきグレイさんは獣化できたんでしょう?


「まあ範囲が広い分だけ効果は薄まってしまうみたいで、力の強い幻獣級や神獣級の獣人の本能は完全には抑制できないんだ。獣化の時間を短くしたりはできるだろうけど、本人の意思さえあればオーラの範囲内でも獣化は可能になる」

「いえ、微弱とはいえ獣化に集中が必要な程度には影響を受けますけどね。狼男は幻獣級の中でも下位も下位ですし。しかし範囲が広い、ということは調停師として十分な才覚と言えます。今日も歌鳥カナリアの団体から依頼を受けて、音楽ホール広域にオーラを張って来たそうじゃないですか? 彼らの本能は音楽を聴くと歌い出さずにはいられないですからね、静かにコンサートの鑑賞を楽しむためにはロキ君のオーラは不可欠だったでしょう。すばらしい働きです」


 グレイさんの言葉に、私はうっとりと音楽に聴き入る歌鳥の獣人さんたちを思い描いて目を輝かせました。

 さぞ楽しい時間を過ごされたことでしょう、それが叶ったのが同じ調停師の、ロキ君の力だと言うのですから、羨望の眼差しを向けずにはいられません。


「す、すごい……! たくさんの人の役に立てるなんて羨ましいです! 私もそんなオーラを持っていたら、」

「でも俺には、神獣の調停なんて死んでもできないけどね」


 冷たい水を頭からかけるような一言に、その場の空気が一気に静まりました。

 …………あ、あれ、私何か失礼なことを……? ていうかロキ君いつも以上に目が据わってる上になんだか顔が赤いような……


「あ! 誰だよロキに二杯目飲ませたの! めちゃくちゃ弱いんだから絶対飲むなって言ったじゃん!」

「おや、ここに置いておいた蒸留酒が消えてますねぇ」

「あんたかよ! その責任取る気ゼロなのに面白い方に全額賭ける性癖どうにかしてくれよ!! あーあーめんどくさいことになるぞ……」


 楽しげなグレイさんと頭を抱えるユージンさんの視線の先、ゆらりと首をもたげてロキ君はただただ私を睨みます。

 戦慄する私に哀れむようにエミリア先輩が寄り添って、こっそりと耳打ちしてくれました。


「悪く思わないであげてほしいんだけど……。ロキ君ち、アディントン家ってね、昔何人もの獣人を居住区に定住させた高名な調停師の一族なの。その時に褒美として王様から土地を賜ったそうなんだけど、しばらーくオーラを持つ人が生まれなかったから、今の代で功績を残せなかったら地位が危ういとかで……ロキ君にかかる期待も凄くてさ、『神獣を手なずけるでもして勲章を得るまで帰ってくるな』ってプレッシャーかけられてるらしくて。でもああいうオーラ特性でしょ? 感謝はされても功績としてはささやかなものとしか見てもらえなくて……だからトールちゃんみたいなオーラの持ち主、すごく羨ましいんだと思うの」


 私は初対面からのロキ君の態度にようやく回答を得て、でも納得はできずうつむきます。

 ……それではロキ君は、自分の能力に価値を見出せていないのでしょうか。だけど私から見れば、彼の方がずっと……


「……ロ、ロキ君。神獣さんの調停は確かに大きなことなのかもしれないですけど、私のオーラは獣人さんたちから見れば残念なもので、今のところ一人の手助けしかできてません。たくさんの人を毎日救ってるロキ君の方が、調停師として何倍も立派なことだと私は……」

「持ってる奴はどうとでも言えるよね。いいご身分だ、さぞ気分もいいだろうな」


 吐き捨てるような言い草に閉口していると、ロキ君は苦々しげに舌打ちして続けました。


「大体あんた、所長にスカウトされたってことは別に調停師になりたかったわけじゃないんだろ? 何しに王都に来たわけ? 田舎で幸せになる道だってあったんじゃないの? 都会暮らしに憧れた? 給与に目が眩んだ? たまたま規格外のオーラを持ってて順当に就職して、欲なんてありませんってな風の甘い顔してる癖に今じゃすっかり神様のお気に入りってわけだ。どんな手使って籠絡したんだか知らないけど、まったく恐ろしい手腕だよね、ぜひコツを教えてほしいくら」


 ッダーン、とジョッキを机に叩き付けて、私は息を吐きました。

 濡れた口元を手の甲で拭うと、が体内の熱で発火したように全身が熱くなるのを感じます。


 ぼやけた視界の先で、ぽかんとした顔のロキ君を見据えながら、なんだかやけに回らない舌を浮かせて私は唸りました。


「……田舎で幸せになる道なんかぁ、とっくに大炎上して歩けやしないんですよぉ……」

「とっ、トールちゃん!? ていうか何そのジョッキいつの間に飲み干したの!?」

「おや、ここに置いておいた麦酒がありませんね」

「またあんたかよいい加減にしろ!!!」


 何やら慌ててる先輩達の声も遠く反響し、私はすうっと息を吸い込むと一息に捲し立てました。


「母に先立たれ十代のほぼ全ては弟の世話と家事に費やし、父にも先立たれ、一緒に家業を継いでくれると思っていた幼なじみには目の前でいちゃいちゃ浮気現場を見せつけられ結婚の予定も消滅! とても一人では家業を続けられないので泣く泣く譲渡し、その二人は来月さっそく結婚式を挙げるとか言うし、こっちは遺産もゼロ、でも私は弟を養いながら将来の学費もちゃんと残しておいてあげたいので!! こっちは帰るところなんてないし期待をかけてくれる人もいないんですよ、勝手に自分のために自分で頑張るしかないんですよ!!」


 ドン引きしてるロキ君の赤い顔が見る見る青くなっていくのが見え、フォローを入れようとしてくれたエミリア先輩があまりの残念人生に開いた口を押さえているのが見え、グレイさんがにこにこ微笑んでいるのが見えました。

 でもすべて外野、すべて外野です。

 頭に血が上ってもはや何を言っているのかも分かりませんが、私は本能のままに続けます。


「よそはよそ、うちはうちってお母さんに教わらなかったんですか! 私を恨めばあなたの現状が変わるんですか、違うでしょう、お互いただ必死で頑張るしかないでしょう悠長に人の地獄を増やしてる場合ですか!! 私はあなたとも仲良くしたい、あなたに嫌われてるって最初から分かってて悲しかったけど、でもせっかくの同期なんだから無駄にいがみ合うなんてしたくないですよ!」


 ぜえはあと息を乱しながら、絶句しているロキ君を見つめ、「それに……」と私は最後の力を振り絞りました。これだけは、彼の名誉のためにも訂正しておかなければいけません。


「私は神様が人の世を楽しむための手引きをしたわけじゃない……ただ本が読みたいと言った人に、自分ができるお手伝いをしただけです」


 トールさんありがとう、と無邪気に笑ってくれた声がなんだか随分と恋しく、私はきゅっと口を引き結びました。


 そこでぐるぐる世界が回って、照明が落ちました。暗転。

 あー、なんでしょう、ふわふわします……。


「トールちゃんしっかり!」「この子住所どこだっけ……」「東区の9番街?」「あ、ロキ君も倒れた」「あーあー死屍累々……明日定休日で良かったね、二欠はキツいわ」「えっ何この地獄?」「うわー今ごろ来たんですか所長、修羅場が終わった後に」「奢りで」「奢りで」「えー何これ……? 怖……」


 ぼんやりと聞こえるざわめきをどうにか聞き取りつつ、やがてそれすらもフェードアウトして私はただ思いました。

 ……シオンさんに、会いたいなぁ。

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