第13話 調停師の夜③

 みなさんの行きつけだという酒場はなるほど事務所の入った建物から歩いて行ける距離で、くるんと巻かれたしっぽがあしらわれた「三毛猫集会」の吊り看板は、調停師の集う場所にはピッタリのように思えました。


 ロキ君とフロム先輩に連れられて中に入ると、既に酒場内は満席に近く、お酒と料理の匂いに熱気、楽しげな喧噪が満ち満ちて大変に賑やかです。

 きょきょろ店内を見回していると、ふと奥の方のテーブルから美女がぶんぶん手を振っているのに気づき、私は反射的に目を輝かせます。エミリア先輩!


 ギスギスしてる人と着ぐるみの人に無言で連れて来てもらった後なので感動もひとしお……。

 たったか駆け寄ると、既にグラスを手に持ったエミリア先輩は上機嫌に微笑んで、黄金色の液体を揺らしました。


「本日の主役のご到着だね。おつかれトールちゃん! かんぱーい」


 エミリア先輩なかなかの酒豪と見ました、言うが早いか嬉しそうにグラスに口をつけかけた瞬間、ぱっとそれを奪われて不満げに口を尖らせます。


 手際よく没収したグラスをトン、と机上に置いて、その人────エミリア先輩の隣に座っていた男性は、呆れた顔で苦笑しました。

 ……初めてお目にかかりましたが、この場にいるということはおそらく。


「こらこら幹事が雑に始めるんじゃないよ……初めまして新入りさん。俺はユージン、調停師だ。今いる中じゃ一番の古株かな? どうぞよろしく」

「と、トール・ホープスキンです。こちらこそよろしくお願いします……」


 おじぎを返しつつ、私は失礼ながらじーっとその方、ユージンさんを見つめます。

 少し目尻の下がった優しそうな顔立ちに、柔らかい印象を受ける薄茶色の髪に緑の瞳。細身のすらっとした体にシンプルなスーツがよく似合っています。私を睨んだりもしないしもちろん着ぐるみを着たりもしていません。そう、つまり、


「普通の人だあ……!」

「おいそりゃどーいう反応だ!?」

「センチメンタル……」


 ロキ君とフロム先輩からのブーイングがすごいですが、私はほっとして胸を撫で下ろします。よ、よかった、これ以上クセが強い人が増えたらキャパシティを越えるところでした……!


「やあトール嬢。お久しぶりですね」


 スッ、とさり気なく椅子を引いてエスコートしてくれながら微笑むのは、狼男のグレイさんでした。

 満月が近づいてからは事務所には立ち寄られていなかったので、久しぶりに元気そうな姿が見られて、私もうれしくて微笑み返します。


「グレイさん! ご無沙汰してます。体調の方はもうよろしいんですか?」

「ええ、月が欠け始めれば問題はありませんよ、心配してくれてありがとう。調停お疲れ様……ああ、いや」

「?」

「トール嬢は、調停が終わった後の方が元気がある気がしますね」


 とんとん、と指でこめかみの辺りを示すグレイさん。

 ………………。


「ば、馬車に乗ってるとこ見かけたんですか……?」

「いいえ、狼は嗅覚が鋭いというだけのお話ですよ。というか乗合馬車の中でしたんですか? 大胆だなあ」

「はー……!」


 例の角すり事件を思い返して大赤面している私に、実に楽しそうにグレイさんは金色の目を三日月のように細めて、犬歯を覗かせながらこそっと囁きます。


「それから、僕の考えではうちの事務所で一番のはユージン君なので。人を第一印象で固定的に見ない方が賢明かと」

「ええー……?」


 なぜ人の希望を絶望に落とすような情報を……いえ、だんだん分かってきましたがこの人なかなか信用ならないです、踊らされてなるものか!


「フロム嬢もお久しぶりです。相変わらず素晴らしい衣装ですね、お似合いですよ」


 なぜだかさっきからそわそわしていた着ぐるみ、もといフロム先輩に、グレイさんはにこりと笑顔を向けます。もこもこ部分の面積が大きいので彼女がもじもじすると隣の私に当たりまくり、ああ、すばらしきモフの癒やし効果……。

 すると着ぐるみの下から、たどたどしく小さな呟きが届きます。


「あ、あなたのために……着てきました……。あの、今日も、いいですか?」

「ええ、構いませんよ。……トール嬢、少し貴女と距離を置きますが、気を悪くしないでくださいね」

「え? ああ、はい。どうぞお構いなく」


 フロム先輩普通にしゃべれるんだ……。

 グレイさんはすっと姿勢良く歩いて数歩私から離れました。ちょうど1メートルほど。なぜかフロム先輩もそれに倣います。


 直後、その姿は消え、代わりに床の上にちょこんと毛玉が残りました。漆黒のポメ、もとい、狼です。

 おお、これまた久しぶりに見ました。相変わらずわたあめのように極上のふわふわっぷり。しかしなぜ突然獣化したんでしょう?


 グレイさんはてちてちと可愛らしくしっぽを揺らしながらフロム先輩の足下に歩み寄り、それから、ぴょんとジャンプして彼女の腕の中に収まりました。着ぐるみは感動したようにふるふる震え、ポメはくああとあくびをしてぱちぱち目を瞬きます。かわいい。

 …………。腕の中に? あれ?


「ふ、フロム先輩は、調停師のはずでは……?」


 オーラを放つ調停師は、獣人の本能を抑制するはずで……初対面で私に近づいた時もグレイさんはすぐに人の姿に変化してしまったはず。獣化したまま調停師に抱っこされてるとはどういうことでしょう??


「フロム先輩は無類のもふもふ好き……しかし、調停師のオーラは獣化を抑制する言わばもふもふ殺し。我々調停師は自らの異能により、決して獣人さんの獣姿を愛でられない重い宿命を背負っているのだったッ──」

「──そこで彼女が開発したのがあの『オーラ抑制スーツ』……あれを着てるとフロム本人だけがオーラが遮断されるらしいんだ、仕組みは全くの謎なんだけど」


 二人並んで実況解説席っぽい空気を勝手に作ってるエミリア先輩とユージンさんでした。仲よさそうでいいなあ。


 しかし情熱とはすごいものですね、あの毛の手触りを堪能できるなんて羨ましいです。さぞフロム先輩も幸せいっぱいに……。


 ふと耳を澄ますと、着ぐるみからわずかにすすり泣く悲しげな声が聞こえて私はハッと顔を上げました。


「フロム先輩……?」

「…………自分がもこもこすぎてさわり心地が全然分からない…………」

「あちゃー……」


 何て言うんでしたっけ、ヤマアラシのジレンマ……? クマと狼ですが……。


「鎧を着なければあなたを守れない、鎧を着たままではあなたを抱きしめられない……うーん、切ない悲恋の物語ね!」

「その割にビジュアルがすごいほのぼのしてるんですけど……」

「ガウガウー」


 もこもこがもこもこを抱いて泣いているシュールな絵面を眺め、私はごくりと唾を飲み込みました。

 か、乾杯前からなんだか疲れたような……。しかし調停師は6名だったはず。まだあと1名の未知を残しています。まともたれ。


「さて、所長は始末書地獄で残念ながら大遅刻確定との連絡を受けてますので、シャッフル君が来れば全員集合ですかね」

「あいつ今日は郊外の仕事でしたからね。そろそろ来るはずだけど……ああ噂をすれば。おーいシャッフルー」


 ユージンさんが手を振る先、酒場の入り口に、男性のものらしき頭がほんの少し覗いているのが見えました。風邪でも引いてしまったのでしょうか、マスクをされています。

 そうして彼はてくてくとこちらのテーブルの反対側、カウンターの方に腰かけて準備オーケーと言いたげに親指を立てました。それすら遠くてよく見えませんが。

 …………。いや、何がオーケー?


「それじゃあ揃ったし始めようか。みんな一杯目は麦酒で良いかな」

「えっ!?始めるんですか!?この距離で!?」


 席空いてるのに! 遠すぎでは……!?

 あ、横の団体さんが立ち上がって乾杯を始めたので完全に見えなくなりましたね。まだ挨拶はおろかお顔すらまともに見られていないのですが!?


「うーん、呼んでも来ないかもしれないけど……ではとりあえずグレイさんは獣化を解いて。この中で今日依頼主を獣化させた奴はいないな? マスク有りなら何とかなるだろ、説得してくる」


 不可解なことを言いながらユージンさんは席を立ち、カウンターの前で謎調停師さんと話し合いを始めました。あーすっごい首を横に振られてる…………あ、渋々頷きました。


 ほぼ連行されるような形でユージンさんに連れられてきたのは、私とそう年は変わらなそうな男性でした。

 濃紺色の前髪を流すようにしていて片目が隠れているのが特徴的で、おまけに鼻までばっちりマスクをしてるので実質ほとんど顔が見えませんが、その目は何かを警戒するように細められています。


 そして両手にそれぞれ、根元が折れた細長い銀色の金属棒を握りしめていました。

 …………。


「なんかもってる……」

「あれはお手製のダウジング型の獣レーダーだね。仕組みは全くの謎だよ」

「着ぐるみといい変なアイテム自作するの流行ってるんですか??」


 アルフレッド、姉さんは都会の文化についていけません……。


「シャッフル君は獣アレルギーなの。くしゃみが止まらなくなっちゃってさ、フロム先輩の逆で、モフモフが天敵なんだよね」

「えっ……調停師なのに? お仕事に影響はないんですか?」

「いやありまくりだよ、だから毛のない爬虫類系と水生生物系の依頼は全部シャッフル君に回されるんだよ。不満があるなら戦って勝ち取ってくるといいよ」

「遠慮しときます……」


 あの棒で突かれそう……。イルカや鯨の獣人さんは美声だと聞いてたのでぜひお会いしてみたかったですが、またの機会にしましょう。職場の人間関係は譲り合いと諦めが肝心です。


 しかしそんな平和的降伏を決めた矢先に、無慈悲にも金属棒はその先端をギュルンと私に向けたのでした。やめて!!!


「そこだ!! 左こめかみやや上部に強い反応あり!」

「ハッ!? な、なぜピンポイントにそこを……!?」


 心当たりありまくりなその場所を手で押さえ私は再び赤面しました。

 い、いやでもあの時シオンさんは獣化なんてしてなかったのに!


「神獣は非常に力が強いですからね。髪を甘くすり寄せ合った程度でも気配が残るのでしょう」

「う、うわああ笑顔でさらりと暴露しないでください!?」


 にゅっと出てきて的確に解説するグレイさん、嗅覚ってそんな便利なものです!?


 などと騒ぎまくっている間にお開きになっても困りますので、気を取り直してようやく乾杯の運びとなりました。

 ……あれ、まだ始まってもなかったんでしたっけ……? おかしいな……。

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