第12話 調停師の夜①
王都獣人調停事務所には、現在7名の職員が在籍しています。
ボスである所長と、男女3名ずつ、合わせて6名の調停師。
プラス、職員ではありませんが、所長秘書兼獣人さん視点のアドバイザー、狼男なグレイさんもいらっしゃるので、手狭な事務所の割にそこそこに賑やかな人数かもしれません。
だけどその全員が集合したことは、私が加入してからは実はまだ一度もなかったりします。
何しろ(私以外のみなさんは)獣人さんの依頼を受けてほとんど外に出てせっせと働いてますので、誰とも顔を合わせない日もざらにあるのでした。
……ですからこれから開かれる懇親会は、私の歓迎会である以上に、みなさんの久しぶりの顔合わせ会でもあるのでした。
仕事終わりに催されると言っても各自の調停の終了時間はまちまちですので、エミリア先輩含めほとんどの方は、会場である行きつけらしい酒場に現地集合です。
そしてありがたいことに土地勘のない私を気遣って、2名の方が案内役になってくださり事務所で待ち合わせをすることになっていました。
1名は先日既にご挨拶を済ませてますが、もう一方、私とエミリア先輩の他唯一の女性であるらしい『フロム先輩』とは、これが初対面になります。
日ごろ暇してる私は所長のお顔ばかり見て心が荒んでおりまして、貴重な同性の先輩に会えるということで心弾んで事務所に続く階段を上っていました。仲良くなれるといいなあ。
どんな方なのでしょう、エミリア先輩曰く「濃いよ。見れば分かるよ」との絶妙なコメントでしたが……はて、特徴も分からないのに見れば分かるとはいったい……?
それにしても、思っていた時刻より少し遅くなってしまいました。お二方はもう事務所でお待ち頂いているのでしょうか。
今日は予定があるのでシオンさんとのお別れも手短に済ませなければ!と分かってはいたのですが、なんだか離れがたく、正門前で他愛もないお話をしながらもだもだしてしまい……。
次いつ会えるかはシオンさん次第だし、近ごろはお役目で忙しいというお話でしたので、しばらく会えないかもと思うとつい。
この前食べられちゃった手紙に書いたように、また会いたいなあって素直に言えればいいのですが、ままならないものです。
そっとこめかみの辺りの髪に触れてみると、優しくすり寄せてくれたあの温もりがまだ残っているような錯覚に、私は頬が熱くなるのを感じました。
い、いえ、あれはきっと神山羊さんの間ではあいさつのようなもの……ていうか訂正しちゃったからもう二度としてくれないだろうし……。
頬をぺちぺちと叩き、頭を職場モードに切り替えます。
せっかく歓迎の場を設けてくれているのだから、腑抜けた顔を晒してはいけません!
ふー、と息を吐き、事務所のドアをコンコン、とノックします。
返事はなし。
「……失礼しますー……」
控えめに言いながらドアを開けると、狭い事務所の中はシンとしていて、人の気配は感じられませんでした。どうやら一番乗り、先輩を待たせるという失態は犯さずに済んだようです。
とりあえず座って待とうといつもお昼を食べているソファに腰かけ……ようとして、2人掛けのそれに、座るスペースが1人分しかないことに気付きます。
「……あれ?」
こんなの、調停に出かける前はなかったような?
私はソファの軽いスプリングを感じながら、ちらりと隣、そこに置かれた大きな大きなぬいぐるみを眺めます。
ミルク多めのカフェオレのような色合いの、すばらしきふわふわな毛に覆われたクマでした。まるっこい大きな頭のせいかうつむきがちで、くりくりの黒い釦の瞳で床をみつめています。
しかし大きい、大きすぎませんかこれ、私より頭一つ分くらい大きいです。抱っこするためのぬいぐるみというよりは、もはやオブジェ的な存在感。とってもかわいいですが、ちょっと隣に座るには威圧感がありますね。
所長の私物……とは思いたくないので、先輩方の誰かの持ち物でしょうか?
まあ、一人ぼっちで待つよりは幾分頼もしいでしょう。かわいいし。
私は深く気にせず愛用の手帳を開き、さて今月のアルフレッドへの仕送りはいくらにできそうかなあ……と頭を捻っていると──
ギイ、とノック無しでドアが開かれて。
顔を覗かせたその人は、私を見るとあからさまに眉をひそめました。
む……。
「えーと……お疲れさまです、ロキ君」
「……………ッス」
い、今のはどのッス……? ウッス?チワッス?おつかれッス?
真剣に悩んでいると、ロキ君は口を尖らせて私を睨み、「……遅れてすいませんでした」とぶっきらぼうに言います。あれ、なぜ敬語。
6人の調停師の1人、ロキ・アディントン君。
私と同じ20歳で、私と同じ地方出身者で、私より2週間だけ早くこの事務所で働き始めた、実質同期のような人です。
走ってきてくれたのでしょうか、少し汗をかいたご様子で、綺麗な紅茶色の髪をくしゃりと掻き上げ、気怠げにネクタイを緩めていました。
今の今まで調停中だったのでしょう、平常時から少し眉根を寄せた不機嫌そうな顔をしてる人なのですが、プラス大分お疲れの様子でもありました。
ねぎらいとお礼を伝えようと口を開けた瞬間、それを制するようにロキ君は私を睨み、ヘッと口の端を上げて言いました。
「今日も噂の神獣級とお散歩? ご機嫌を損ねて居住区を出ていかれでもしたら国家的損失だってのに、期待の新人は責任重大な大型案件抱えて大変だね」
嘲笑まじりに意地悪く笑うロキ君。……ま、またです!なぜだかロキ君、初対面から私に対してこのようにトゲのある物言いをされるのです。
嫌われるような行為はしてないしそもそも一言も喋ってない段階でこれだったので、理由があるとすればありのままの私そのものが気に食わないというちょっと悲しいそれなのですが……!
だけど私はできればロキ君とも仲良くなりたいので、ぎこちなくも笑顔で返します。せっかくの同期なんですから、いろいろ相談できる仲になって励まし合えたらうれしいなあと思うのです。
……大丈夫です、私たちは志を同じくする調停師。
すっごい冷たい目で見られてる気がするけどあきらめずに頑張れば誠意は伝わるはず!
「わ、私なんてまだまだです。ロキ君は仕事が丁寧だから、いつもあちこちの獣人さんから声がかかって忙しくしてるーってグレイさんが言ってましたよ。すごいなあ、うらやましいです。私も見習わないと……」
ほんの一瞬。
キッと険しく睨まれて、思わずびくりと肩が跳ね上がりました。
それを見てロキ君はばつが悪そうに舌打ちすると、事務所のカギを手の中で弄びながら、歯切れ悪く呟きます。
「…………。いや、悪かった。ごめん。つーかそろそろ行こうぜ、遅れるとエミリア先輩に俺がどやされる」
「あ、はい……。でもまだフロム先輩が、」
「? 先輩なら隣にいるじゃん」
「は? …………。ハッ!?」
その言葉に、バッと隣に首を回して────
そこに鎮座している巨大なクマのぬいぐるみを凝視し、そのふわっふわの毛がわずかにぷるぷると震えているのを認めると、私は驚愕に目を見開き悲鳴を上げました。えっ怖い!!何!?
「せ、せんぱい!? が!? 中にいらっしゃるのですか!?なぜ!?」
「失われた話しかけるタイミング……認識の範囲外、それは永遠に出られない孤独の鳥かご……」
「え、何……? ていうか中で泣いてます? ごめんなさい??」
「『声かけそびれた上に長いこと気づいてもらえなかったのでとても寂しかったです』……そうですねフロム先輩?」
「ロキ君翻訳のスキルありすぎじゃないですか??」
ぬいぐるみ……改め、調停師の1人・フロム先輩がインしてらっしゃるらしい着ぐるみを呆然と見つめ。
私は「あと2人はじめましての人がいるのにこんな……」と絶句しました。
そうしてとっても面倒くさそうなロキ君に急かされながら、楽しい楽しい懇親会へと連行、もとい出発するのです。
アルフレッド、姉さんは……姉さんはがんばりますが、嫌な予感しかしません……。
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