第11話 弟からの手紙②

 楽しい図書館での時間も、回を増すごとに時の流れが速くなっているのは気のせいでしょうか。


「なんだか不思議ですね。会う度にお別れまでの時間が早く感じる気がします」


 寂しげにそう言われては、涼しい顔を取りつくろっていた私も赤面して閉口するしかありませんでした。

 あーあ、あっけなく散っていく私の年上の威厳……。


 帰り道、乗り合い馬車に並んで座り揺られながら、私はにこにこと笑うシオンさんを横目にほんのちょっと前の絶望──手紙騒動を思い出して目を瞑ります。本当に、嫌われたんじゃなくてよかった。


「そういえばあれから、密猟者の件は落ち着いたんですか? 獣人狙いなら返り討ちですけど、また調停師さんが狙われては対処が難しいんじゃないかと心配で……」

「ええ、今のところは何も。もともと獣人さんを狙おうなんて身の程知らずな方はそうそういませんし。それに……一応もしもの時に備えて、私も準備はしていますから」

「準備?」

「はいっ! 毎日寝る前にルームメイトの女の子と筋トレがんばってるんです。あとエミリア先輩が護身術に死ぬほど詳しいので手ほどきを受けてまして、今度所長あたりで実践してみようねって話してたとこですっ」

「可愛い顔して何てことを楽しそうに言うんだ……」


 まあそれはもちろん冗談ですが……あれ、冗談ですよねエミリア先輩?

 ちょっと引いてるシオンさんを横目に、ああそう言えばと私は手を打って、鞄から慌てて封筒を取り出します。


 宛名はトール・ホープスキン、差出人はアルフレッド・ホープスキン。

 今朝家を出る前に慌てて郵便受けから回収したのですが、すっかり読むのを忘れていた、弟からの手紙です。

 あの密猟者事件の後、ようやく仕事にも少しの自信がついて、調停師のことも含め近況を色々としたためて送ったのですが、その返事が届いたのでした。


 目を通しても良いか確認すると、シオンさんは快く頷いて、流れていく風景に視線をそらしてくれました。

 手紙は人目を気にせず静かに読ませてあげたい。

 そんなささやかな気遣いがうれしくて、いや~人の書いた手紙をむしゃむしゃ食べた人だとは思えないな~と私はほっこりしてしまいます。

 そのことに触れると本人が泣きそうになってしまうのでもう言いませんが……。


 そっと便箋を広げると、見慣れた弟の整った筆跡が目に飛び込み、私は目細めます。



【親愛なる姉さんへ。

 手紙をありがとう。暮らしが落ち着いたようでほっとしています。調停師については詳しくないけれど、姉さんがやりがいを持って働けているなら僕にとってもうれしいことだ。くれぐれも無理はしないでね】


 ああアルフレッド、あいかわらず姉の私に似ずにしっかりしていますね……。

 その後の文には勉強が順調であること、今年の葡萄の出来についての予想、ご贔屓にしていただいていた納品先から父の写真など思い出の品がいくつか届いたので、今度帰ってきた時に一緒に見たいことなどが、落ち着いた言葉で淡々と綴られていました。

 ──だけど最後に付け加えられていた走り書きに、私はついつい目を見開いて固まってしまいました。


【ああそれから、あまり聞きたくない話だと思うけど。あの二人、来月式を挙げるそうだよ。姉さんにも招待状を送ろうとしてたけど、ちゃんと燃やしておいたから心配しないで】


「……………………」


 最初に思ったことは早っ、次に思ったのは遠い昔、雨を願うお祭りの日のことでした。


 アルフレッドを寝かしつけた後に、夜が更けても私はずっと窓の外を見つめて雨を待っていて。

 そうしてポツリ、と最初の一滴が落ちた瞬間に家を出たら、向かいの家からブラッドも全く同じタイミングで飛び出してきて。

 手を取り合うことすらしなかったけど、雨が降りしきる中でお互い傘も差さず、目が合った瞬間に恥ずかしそうに笑ってくれたことがとてもうれしかったのを、今さら思い出して私は苦笑しました。


 ……永遠を誓うには全然足りなかったけれど、手を振り払われて何も感じないほどには、嫌いだったわけでもなかったんでしょうか。自分の身勝手さに心底うんざりして呆れます。


 そして私は今さらながらはっきりと、自分が捨てられたことと、父と母と過ごしたあの村が、自分の帰る心休まる場所ではなくなってしまったことを思い知るのでした。


「……トールさん? どうしたんですか?」

「え? ああ、いえ、何でも……」


 ガタガタと揺れる車輪の音に、ハッと意識を浮上させて慌てて隣を見ます。

 私を見るシオンさんの表情は深刻で、とっさに笑顔を作ろうとしましたがどうにも上手くいかず、あきらめて額を押さえました。

 な、何やってるんでしょう私、仕事中に……!


「はは、すみません……私、今どんな顔してます?」

「……泣きそうな顔してます」


 それを聞いてさすがに情けなくなって、私はふっと自嘲しました。


「泣いたりしちゃ駄目ですよ、こんなことで」


 私は手紙を押しつけるようにシオンさんに差し出して黙り込みました。

 彼は少し躊躇いましたが、小さく礼をしてから慎重に文字に目を滑らせます。

 その目が最後の文に行き当たって固まった後、私はひとりごとのようにぽつぽつと呟きました。


「私、母の葬儀でも泣けなくて……一番気落ちしていたのは気丈に振る舞っていた父だったし、弟なんてまだ1歳になったばかりで、それが悲しいことだって理解することすら許されなかったから……私だけ泣いたらいけないように思えて。

 だからですかね、それ以降、簡単に泣けないって変な意地が生まれてしまったというか。何かに対して泣いたら、母の死がそれより軽いものになってしまう気がして……別にそんなことないって分かってるのに。父の葬儀でぐらい、と思ったけど、喪主としてしっかりしなきゃと思ったらどうにも上手くいかなくて。馬鹿ですよね、本当に」


 笑って欲しくてそう言うと、シオンさんはなんだか悲しそうな目で私を見つめて。

 それから、とん、と私の肩によりかかるようにして目を閉じました。


 困惑していると、柔らかい真っ白な髪を風に揺らしながら、彼は私のこめかみの辺り、ちょうど獣であれば角が生えていただろう所に、自分のそれをそっとすり寄せました。

 撫でるように優しいそのしぐさに、不思議と気持ちが凪いでいくのが分かり、私は戸惑っていたのも忘れてついつい身を委ねてしまいます。

 ずっとそうしていてほしいぐらいでしたが、さすがに乗合馬車の中ですので、名残惜しくもクイと服の袖を引いて視線で訴えます。


 シオンさんは「?」と不思議そうに私の目を覗き込み……それから、ハッとしたように身を引いて顔を真っ赤にして言いました。


「え? あ……!? す、すみません! これもんですね!?」


 その言い草に、ああやっぱりか、と私は微笑ましくなって笑います。腕を組む件に続き、ついつい訂正を怠る私もだいぶ悪いですが。

 ある文化で当たり前なことが、別の文化ではそうでないという事例は、星の数ほどあるものなのでした。


「あの、俺の種族では元気を出して欲しい時とかに、お互いの角をすり寄せる習慣があって……その、角ってちゃんと気をつけないと相手を傷つけることもあるでしょう? だから相手を思いやってることを表す行為っていうか、つまり、ええと……」


 困ってるシオンさんには申し訳ないけれど私はすっかり面白くなって、意地悪くくすくすと笑います。

 さすがにこうなっては、鬱々とした事情を思い出して落ち込むような気持ちにはなれませんでした。


「もう大丈夫ですよ。ありがとう。それに今日は、職場で私の懇親会を開いてくれる予定なんです。たくさん騒いでれば嫌な話だって忘れちゃいますよ」


 間も無く『居住区』の正門が見えてくる頃そう言うと、シオンさんは赤くなった頬を手で扇ぎながら「ああ、懇親会」と笑います。


「調停師さんの集まりですか。楽しそうですね、きっとトールさんやエミリア先輩みたいにいい人ばかりなんでしょう? 羨ましいな」

「……ああいえ、それはどうでしょう……」

「?」


 不思議そうな横顔から目をそらし、私はこの後始まるであろう懇親会を思い空を見上げました。

 神獣さんは変わり者の集まりだと言いますが、たぶん調停師も、それに負けてないと思います。

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