第9話 ハッピーエンドのプロローグ

「……つまり、シオン君の抑えたかった神山羊の本能とはすなわち、紙を食べてしまうこと。調停師の力を借りなければ、目に入った紙は食べ物としか思えなくなってしまう。だから本を読みたいと思っても読まずに食べちゃう……ってことで、トールちゃんに図書館への付き添いを依頼していた、と」


「…………その通りです」


「そんでもってついでに、トールちゃんが心を込めて書いたラブレターも、読まずにむしゃむしゃ食べちゃったってわけだ」


「っ…………、その!通り!です!」




 密売人騒ぎも落ち着き、事務所に集合して。

 エミリア先輩とシオンさんは、ソファに座る私に種明かしをしてくれました。


 私は苦悩するシオンさんを眺めながら、コーヒーカップに口を付けます。おいしい。ちなみに所長が入れてくれました。

 彼は事務所が狙われて私が襲われたことに責任を感じているみたいで、今は私たちの話を聞きつつ、黙々と始末書の処理に追われています。お疲れ様です。


 どうやらミーナちゃんが今朝言っていた『獣人を狙う不届き者』というのは先ほどの密売人達の所属する大本組織だったようで、摘発をすり抜けた末端が起こしたのが今回の騒動、ということのようでした。


 獣人そのものではなく調停師が狙われるというのは初めてのことだったようで、今後は対策もいろいろと大変そうです。

 筋肉とか鍛えといた方がいいでしょうか、とこっそり二の腕に力を込めてみます。

 すると私をちらりと見ていたシオンさんが一瞬吹き出しかけ、すぐにまた表情を引き締めて沈痛な面持ちでうつむきました。うーん……。


「……あの、シオンさん、そんなに気に病まないでください? あんなにその場で読みたがっていたのに、居住区に戻ってから読めって強制したのは私ですし。ああでも、もちろん山羊の獣人さんだって知ってたらそんなことしませんでしたよ? 事情があるなら教えてくれれば良かったのに……」

「それは……だって」


 シオンさんはためらいがちに顔を上げ、恐る恐る尋ねました。


「…………格好いい獣人って言ったら、何想像します?」

「竜とか獅子とか狼とか?」

「ほらやっぱり!! 俺は山羊ですよヤギ、あの草食べてメーメー言うやつ!! 言ってがっかりされたらショックじゃないですか、言えませんよそんなの!」


「もう一回鳴いてください」

「え? メー……」

「かわいい……」

「あーほら馬鹿にして! どうせ俺のこと上質なニットの原料かなんかだと思ってるんだ!」


 ほぼ半泣きで騒ぐシオンさんがだいぶかわいくて私はしばらくじーっと眺めてしまいましたが、なんだかうんざりした目をした所長がやさぐれ気味にフォローしてくれます。


「神獣種なんて居住区に何人といない希少種だろ。あんたでようやく5人目か? それに神山羊は霊峰の地域じゃ正しく野山と自然を司る神そのものとして崇められてる存在だ、その権威と力は竜や獅子にも引けを取らないだろうよ」

「はあ……そんないきなり現れたおじさんに言われても……」

「シオンさんの獣化、すごく格好良かったですよ? ふわふわで気持ちよかったし。また撫でさせてもらいたいぐらいです」

「え……あ、そうですか? 何なら今ここで獣化しても……」

「おいおいおいヤメロ、神獣級がここで姿晒したら事務所大崩壊するだろうが!!!」


 またまた大騒ぎしていると「それで、私が調停する羽目になった経緯だけど」とエミリア先輩が欠伸まじりに呟きます。


「手紙を食べた罪悪感でシオン君もまたショックを受けていた……大方愛の力で獣の本能ぐらい抑えてみせる! と意気込んだくせにあっさり完食したんでしょうね。それでしばらく調停依頼もお休みしてて、考えあぐねてついに『彼女に獣の名を明かさずに謝るにはどうしたらいいか』を相談するために私が呼ばれた……と。まあ相談されたところでそんなん知るかって感じだったけどー。調停師を何でも屋と勘違いしてないかしら? 全くもう」


 呆れたようなエミリア先輩のため息と、いたたまれず目をそらすシオンさん。いや、つくづく言ってくれれば良かったのに!


「ま、格好付けたい気持ちは分からないでもないけど……私がアドバイスした通りだったでしょ? トールちゃんはあなたの正体が何だって態度を変えたりしないって」

「う……はい。お姉さんには本当に色々と叱咤激励していただいて、俺はもう角を向けて寝られないです……」


 すっかり手玉に取った感のあるエミリア先輩とシオンさんを微笑ましく思いつつ、ふと引っかかるものがあり、私は眉根を寄せます。


 んー……エミリア先輩は私より一つだけ年上だったはず?

 その先輩をお姉さんと呼んでるってことはシオンさんって、


「まあ大人びて見えてもシオン君まだ18歳だもんね。せいぜいがんばって早く都会の大人になるんだねー」

「一応種族の習わしでは成人済で一人前なんですけど……」

「………………」


 年下でした。

 じゅ、獣人の見た目はあんまり当てにならないって確かにマニュアルで見た覚えがありますが!


 ぶっちゃけ神山羊さんだったことの10倍ぐらい驚いていると、「そんなことより」と勢い良く声を上げられ、さらに驚いてびくっと肩が跳ね上がります。


「あの、とても美味しかったのできっと良いことが書いてあったんだと思うんですけど、あの手紙に何が書いてあったか教えてもらえませんか?」

「ハ!?」

「ずっと気になっていて……でも口で言ってもらわないと俺は食べてしまうので。何だったんですか? あんなに恥ずかしがって、ポエム?」


 私は自分が書いた手紙の内容を反芻し赤面しました。

 あ、あんな恥ずかしいこと、紙に書く以外で伝えろなんて無理すぎる!


「……な、内緒です!」

「えっ」

「食べる方が悪いです!」

「ぐうの音も出ない正論!」


 私はすばやくエミリア先輩の背中に隠れると、うなだれているシオンさんを盗み見て、小さく笑いました。


 きっとこれからも、私はこの人が大好きな本を読むためのお手伝いができるでしょう。消えた手紙の内容なんて、そのうち言えるようになればいいのです。





 アルフレッド、大変なこともあるけど、姉さんはもうちょっとこの王都でがんばろうと思います。

 食べられないように気をつけますが、なかなか手紙が届かないことがあったら、その時は笑って許してくださいね。

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