第5話 本が読みたい獣人さん①

 目覚まし時計が惨殺されなくなって3日目の朝。


 私はフライパンの上でじゅうじゅうと焦げ目を付けたソーセージを軽く転がし、皿の上でほわほわ湯気を立てるスクランブルエッグの隣に不時着させてから、ダイニングテーブルに突っ伏して動かないミーナちゃんの肩をリズミカルにタンタカ叩きました。


「ミーナちゃん朝ごはんですよ、区役所までの分かれ道まで一緒に出勤するって言ったじゃないですか。ほら起きて起きて」

「んんー……ああいいにおい、トールちゃんみたいな良い子ならどんな男でも今すぐお嫁さんにして手放したくないと思うんだろうねぇ」

「その手の発言今ちょっと地雷なんで……」


 ブラなんとかさんとエリなんとかさんを思い出して朝から憂鬱になりつつ、2人で手を合わせてもぐもぐと朝食を味わいます。2人ともフォーマルな仕事着で。ミーナちゃんは私の就職をいたく喜んでくれました。


「トールちゃん、調停師に向いてると思ってたんだ。その道を選んでくれて私もうれしいよ」

「あ、そういえば。ミーナちゃんどうして私の仕事があの日に決まるって分かったんですか?」

「んー、実は初めて会った時から思ってたんだけどね」

「?」


 切り分けた腸詰めをおいしそうに頬張り、ミーナちゃんは上着のジャケットから手のひらサイズの何かを取り出しました。


 それは淡く発光する楕円形の鉱物で、ツルツルとしたなめらかな表面からは、何だか高価な宝石のような印象を受けます。

 光はささやかですが、暗闇の中でなら十分な灯りとなるでしょう。自ら発光する石とはまた不思議な……


 なんて思っていると、ミーナちゃんはそれをおもむろに私に向かって放り投げました。テーブルを挟んで1メートル少しの距離ですが、落として割れでもしたら大変、と慌ててキャッチします。

 すると、


「…………あれ、光が」


 消えました。私の手に落ちた瞬間真っ暗な塊と化した石に、ミーナちゃんはちょっと申し訳なさそうに肩をすくめます。


「それはね、一角獣ユニコーンの角の欠片。私がまだ子供の頃、王都で真夜中に大規模な停電騒ぎがあったんだ。東区じゃ非常用の蝋燭が倒れて火事まで起きて……外は真っ暗だったから避難が滞っちゃって。その時にね、『居住区』に住んでる一角獣の獣人さんが駆け付けて、夜通し角を光らせて街を照らしてくれたの。だからみんな無事に逃げられたんだよ。そんなこと公にして、希少な角を狙う密猟者に狙われたら大変なのに……」


 おお、それはまた親切な……。この街の人が獣人さんを大事にする理由がまた一つ分かった気がします。


「これはその人が、生え替わりで抜けた角を『また光を失ってもみんなが困らないように』って分け与えてくれたものなんだ。お守り代わりに持ち歩いてるの。トールちゃんが役所のカウンターに来た時、石が光らなくなったから、ああこの子は調停師の素質があるんだなーって分かったんだよね。でも結構危険な仕事だから教えるのは気が引けて……ごめんね、黙ってて」


 私が慌てて石を丁重にお返しすると、はにかむミーナちゃんの手の中でそれは再び暖かく光りました。


「この街の人にとって獣人は大切な存在だから、その手助けをする調停師も立派なお仕事として一目置かれてるんだよ。ルームメイトが調停師なんて私もうれしいな。調停にはもう慣れた? やりがいのある仕事でしょう」

「ヘァ……」

「?」


 出したことない音が口から出て私は白目を剥きそうになるのを必死で耐えました。

 仕事……いや、確かに無事に就職はできたのですが、勤務実態はというと……


「ああ、はい、まあ、ガンバッテマス……」

「??」


 もそもそと朝食を口に運ぶことに専念するフリをして追求を逃れましたが、まあ、見事に何の味もしませんでした。



 * * *



 さて歩合制ということはたくさん仕事をこなさなければお金はもらえないわけですので、俄然仕事カモン!と意気込むわけですが、就職3日目にして私は事務所のお茶汲み係に勤しんでいました。

 ちなみにこれは歩合に勘定されないそうです。そりゃやる気も出ませんわ。


「ぶわっ、ホープスキン、トール・ホープスキン! なんだこのコーヒー薄すぎ、ほぼコーヒー風味の白湯だぞ!!」

「それは失礼しました、入れ直してきます。ところで泥水とコーヒーは色が似ていますね」

「待て、確かに昨日雨降ったから新鮮なのが採取できるだろうけど早まるな、真顔で出ていこうとするな。……タダ働きが不満なのは分かるが、指名が来るまで事務所で何もしないでボーッと待つってのもアレだろ? 一応はここの職員なんだし」

「ぬー……」


 指名。

 そう、この調停師のお仕事、獣人さんからの依頼を受けて出動する形なのですが、事務所に所属する調停師の誰が外出に付き添うかは獣人さんからのご指名方式なのです。


 王都獣人調停事務所には現在私を含めて6人の調停師さんが所属していますが、本日皆さんは指名を受けて絶賛お仕事中。指名ゼロの私だけが事務所待機でヒマしてるのでした。まもなく正午、今のところ本日の稼ぎゼロです。


「所長所長、転職情報誌とか持ってません?」

「持ってません! 上司に聞く馬鹿がいるか!?」

「まあまあ。トール嬢は新人であることに加えオーラの範囲が極端に狭いので……敬遠されてしまうのは仕方ないかもしれませんね」

「うー……」


 憤慨する所長と優しくたしなめるグレイさんに目を細め、私はうなだれます。


 オーラというものには調停師によって波長の個人差があるらしく、効果の発動する範囲も人によって違うのだとか。

 私のオーラ範囲は、他の5人の調停師の方と比べても最短の、半径1メートル前後。そう、近いのです。

 自由に街をおさんぽしたい獣人さんたちにとって、隣に調停師がぴったりくっついて回るというのは居心地のいいものではないでしょう。

 それに加え私は村から出てきたばかりで土地勘も常識もイマイチなので……


 この3日でかろうじていただいたご指名もあったのですが、観光目的の獣人さんになぜか逆に道案内してもらったり、生まれて初めて見たアイスに目を輝かせていたら一口恵んでもらったり、ショッピングに来た獣人さんにいつの間にか服を見繕ってもらっていたり。まあ戦果は惨憺たるものでした。


 他の5名の調停師さんはちょっと変わった方が多いようですが、みな総じて優秀で仕事熱心な先輩方なので、そちらをさしおいて私のようなダメ調停師を選ぶ物好きさんもそうそういないのでした。さもありなん。


「僕はトール嬢のオーラは嫌いじゃありませんけどね。エミリア女史は自由にさせてる風ですけどきっちり手綱を握られてる感がありますし、ロキ君なんかはピリピリしていてどっちが獣やらって感じですから。それに本能の抑制という点では、一番威力が強いのはトール嬢です。おそらく神獣種の獣人が相手でも余裕で制御できるレベルかと」

「あーあーあーお前はすぐ新入りを甘やかして……神獣なんざ居住区に4人しかいない上にほとんど出てこないじゃん、上げて落とすのはよくないぞ」


 格好良く片目を閉じてフォローしてくれるグレイさんに、3日じゃ退職金出ないだろうな……と即物的なことを鬱々考えていた私も思わず目を輝かせてしまいます。優しい! なんかごちゃごちゃ言ってる所長とは大違い!


「グレイさん……! では必要な時には私に指名を?」

「ええ。僕は満月の夜以外は特に人化に難儀しませんが」

「月一の依頼じゃないですかっ!」

「ははは」


 犬歯を可愛く覗かせて爽やかに微笑まれました。やはりこの事務所ブラックなのでは……!

 うう、こんな調子ではとてもアルフレッドに仕送りをできる収入は見込めない……やはり転職……?


「まあそう落ち込むなって。こうして全員出払ってる時に依頼が来れば、自動的にお前が指名されることになるだろうし」

「そういうのは指名とは言わないような……。というか居住区に住んでいる獣人さんってそれほど数が多いわけでもないんでしょう? そのうち全員に当たって全員から見限られたらどうなるんですか?」

「…………」

「そんな露骨な哀れみの目あります?」


 思わず半目で睨んでいると、狙い澄ましたようなタイミングでデスクの電話がけたたましく鳴り響きました。


「お、ほらほら噂をすればだ! ……はい王都獣人調停事務所……はい、今からですね? あいにく今うちの調停師はほとんど……え、指名はしない? 誰でもいい? はい! ええ、よろしくお願いします、はいはい、すぐにうちで一番有望なのを向かわせますので!」


 見る見る明るくなっていく所長さんの声に比例して、私の暗く淀んだ目にも光が溢れました。

 これは、これはもしかしなくても!


「喜べホープスキン、仕事だ、頑張ってこい!」

「はい!」


 私は大きく頷き、帰ってきたら熱々のおいしい人道的なコーヒーを入れてさしあげようと誓うのでした。



 * * *



「……さすがに物々しいですね、ここは……」


 依頼を受けて訪れたのは、『居住区』の正門。

 人間の世界と獣人の居住区とを隔てる、真っ白な石で造られた巨大な要塞のような施設です。


 警護を担当する兵士の方々からチェックを受けてようやくその最奥の扉の前に通された私は、目の前を塞ぐ重厚な鉄のソレに思わず背筋を伸ばしました。

 この扉が開かれれば、調停師は依頼主たる獣人と対面できます。


 抑止のオーラが効果を発揮するのは私から半径1メートル程度の距離。

 よってこの扉の向こうに立った時点で、獣人の方はその力を抑制され人の姿を取っているはずなのです。


 だから別にそんなに怖がる必要もないのですが、全く慣れない独特の緊張感があるのでした。

 先日同意させられた無数の「死んでも文句言わない」的な誓約書の文面がやけに鮮明に思い起こされます。

 ていうか死人に口なしなんであの誓約も無意味では?? 保険金、ちゃんとアルフレッドに届けてくれるんでしょうか……


 そうして緊張がピークに達した頃、向こう側から声がして私は間抜けに肩を跳ね上げました。


「調停師の方ですか?」


 依頼主は、聞かされていた通り男性でした。

 構えていた分、その柔らかでこちらを気遣うような声音になんだか拍子抜けしてしまい、私は見えてもいないのにぺこりと間抜けにおじぎします。


「はい。王都獣人調停事務所より参りました、調停師のトール・ホープスキンです。ご依頼頂きありがとうございました。本日はよろしくお願いします」

「こちらこそありがとう、どうぞよろしく。……今開けますのでそのままで」


 オーラの作用範囲のことを言っているのでしょう、私は言われたとおり一歩も引かずにその場で待ちました。

 と言うか、扉が開けられたところで、現れたその依頼主さんのお顔につい固まってしまって結局一歩も動けはしなかったのですが。


「…………」

「依頼主のシオンです。あの、今日は」

「…………あ、はい、所長から伺っております。ご指定の場所は少し街の外れになりますので乗合馬車を利用しますが、よろしいですか?」


 おっと、いけないいけない……獣人さんは総じてとんでもない美形揃いなのでそろそろ目が肥えてきたはずだったのですが、あまりに綺麗なのでついつい見とれてしまいました。所長に任された大事なお仕事なんですから、しっかりしないと。


 シオンさんと名乗った依頼主さんは、すらりと背の高い、若い男の方でした。落ち着いた雰囲気で、年は私よりほんの少し上ぐらいでしょうか。

 柔らかそうなふわりとした白い髪に、空を思わせる水色の瞳の取り合わせが、なんだか故郷で見た冬の日の朝みたいで、少し懐かしくなってしまいました。

 はにかんだような控えめな表情からは、どこか人慣れしていない不器用さも感じられます。


「ええ、それで大丈夫です。電話口での所長さんの評価は正しいですね、貴女の抑止のオーラは何だか安心できる。俺も今日は角を出さずに過ごせそうで嬉しいです」


 へえ、シオンさん、角のある獣なんでしょうか。


 いえいえ依頼主さんの獣の姿は、能力や希少部位、果ては弱点まで晒してしまう個人情報。

 もちろん口外はしませんが、どこかで情報が漏れて悪い輩に狙われでもしたら大変です。特別配慮してもらいたい特性がある場合は申告してもらいますがあくまで任意で、気安く知っていいことではないのです。気にしない気にしない。


「それでは行きましょうか。確認ですが、依頼の内容は……」

「はい。……『図書館で、ゆっくり好きなだけ本が読みたい』」

「かしこまりました。王都へようこそ。その調停、どうぞ私にお任せください」


 ヒマすぎて読み込んだマニュアル通りの、お決まりの台詞を述べただけでしたが、シオンさんはとても嬉しそうに微笑んで、初めて外に出る子供のように頷きました。

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