第6話 本が読みたい獣人さん②

「わあ、すごい。馬というのは賢く働きもので脚が速いんですね、景色が流れていくようだ」


 馬系の獣ではないみたいです。

 ……いやいや推理しちゃ駄目、お仕事お仕事。


 初めて外に出る、というのは比喩でもなく文字通りの事実だったようで、シオンさんは私と同時期に居住区に来たばかりで、王都に外出するのも初なのだそうです。

 初調停。俄然プレッシャーがかかります。


 ここで下手なことをして「あれ、人間の世界ってつまんないな……」とか思われて二度と利用されなくなったり、最悪居住区を去ってしまうなんてことになったら超責任問題なのでは……?


「そして解雇……?」

「? どうしたんですトールさん、急に虚ろな目をして。闇のようです」

「ああいえ……ほらほら、図書館見えてきましたよ。降りましょうか」


 私は片手を上げて御者に乗車賃を渡すと、慌てて後を付いてきたシオンさんと共に馬車を降り、足早に王立図書館の門をくぐりました。


 オーラの作用する範囲1メートル、というのはなかなか距離感が難しいらしく、彼は長い足でぎこちなく、私の後ろを一生懸命に進みます。

 なんだか田舎で見た子鴨の行進を思い出して少し吹き出してしまいました。

 ……鳥系の獣人なんでしょうか……ああいや、仕事仕事。


 するとシオンさんは形の良い眉を困ったように下げて、不安げに私の顔を覗き込みながら尋ねました。


「……あの、笑ってます? 笑ってますよね? 何か変だったら言ってください。俺、どうも人間らしさというものがいまいち掴めていなくて……」

「え!? いえすみません、別に変では……ああでも、縦に並んで連れ立って歩くのは端から見たらおかしいかもしれませんね? 仏頂面の女性が不安げな男性の前をずんずん突き進むのはちょっとおもしろい光景でしょうし。それこそ隣に並ぶとか……」

「ああ、なるほど。人間はあんな風にするんですね」


 あんな風に、と彼が視線を向けた先、仲睦まじく腕を組んで歩く初老のご夫婦をついっと目で追った直後。

 まさに自分もそんな風にして歩いていることに気づき、私は瞬きをくり返す装置と化しました。発電できそう。


 見上げればすぐ隣のシオンさんは、「上手くできた?」とでも言いたげににこにこと笑っているので、思わず口の端を不器用に上げて私も笑い返してしまいました。

 いや、違う。違うんですけどそんなうれしそうな顔をされると何ともいいがたく……。


「ええと…………」

「へえ、これだとオーラの範囲外に出てしまう危険はまずないですから安心ですね。人って良い歩き方を考えるなあ、あの老夫婦も調停師と獣人なのかな?」

「少なくともうちの事務所にあそこまでのベテラン職員はいなかったデスネ……」


 ぐっと近づいた距離に、いやこれは仕事、相手も人間の距離感なんて知らないし他意はゼロ、と言い聞かせましたけど、うるさい心臓は静かにはしてくれないものです。

 お恥ずかしながらトール・ホープスキン、婚約者とだってここまで近くで触れ合うことはありませんでした。お察しください。



 * * *



 とまあ、入り口まではちょっとロマンスも感じる導入でしたけど、いざ現地に入ってしまえばやはり仕事は仕事。

 本館に入り閲覧の手続きを済ませると、シオンさんは視界いっぱいに立ち並ぶ本棚の群れを、まるでお城か宝の洞窟を見つけたみたいにキラキラと輝く目で見回していました。


「わあ……すごい、本当に全部本だ。これが全部読めたら幸せだろうな……」

「いや、全部は無理ですけど読まれるんでしょう? 今から。一応閉館時間まではお付き合いできますから、調停利用料金と相談してお好きなだけ読みふけってくださいね」

「え? ああ、そっか、読んでいいんですよね、これ!全部! すごい、ありがとうトールさん!」

「いえ、」

「夢みたいだ!」


 ぶんぶん両手を握手されて振り回されては、私も反論の余地はありません。

 しかし、


(……確か『居住区』の中にも、小さな書庫ぐらいありましたよね?)


 であれば、王立図書館にしかない蔵書がお目当てなのでしょうか。

 私はぼんやりと考え、それから、手を握るシオンさんの陽気がしゅんと気落ちしかけているのを見てハッとしました。

 ああそうだ、私が歩かないとこの人も歩けないのです。職務放棄はいけません。


 私がへらっと笑うと、彼はにこりと頷いて、てくてくと本棚の方へ私を引いて歩き始めました。

 しっぽを下げるがごとく落ち込んでいたのも嘘のように楽しげに。なんだか本当にお散歩みたいです。

 ……犬系の獣人なのかもしれませんね。



 それからシオンさんは、数冊の本を持ち出すと閲覧室の椅子に腰かけて真剣な表情で頁をめくり続けました。

 私はその隣でオーラを発して座っているだけ。

 なんだか申し訳なくなるぐらい簡単なお仕事でした。


 しかしちらり、と積まれた書籍を眺めてみても、それらは実に古典的な、それこそ居住区の小さな本屋にだって必ず取りそろえられているような、『とりあえずこれは読んでおけ』的な王道の小説や伝記の類ばかり。ここにしかないような希少な本ではありません。


 調停費用は、決して安いものではありません。ほぼ全ての利用者さんが、王都でしかできないことをしに外出を希望します。

 図書館で本を読むことは居住区でもできることですから、わざわざ正体を晒す危険を冒してまでここに来る意味は、私にはよく分かりません。


 ……そんなことを悶々と考えているうちに、私はうっかり机につっぷして眠ってしまっていたようでした。

 ふと目を開けると、ぬくぬくと暖かいものが背中に。見やればシオンさんが上着をかけてくださっていたようでした。

 あったかくてほっとしてしまって、またまた眠りそうになるのを慌てて振り切ります。

 さ、最低です、お仕事中に眠りこけるなんて!


「あの、すみません、調停中に……!」

「…………え? ああ、起きたんですね。まだ寝ていていいですよ」


 ふわりと笑って、シオンさんはまた本を読むことに集中し始めました。

 一分一秒も惜しい、そんな愛おしげな雰囲気に、土下座しかけた私も思わず口を閉ざしてしまいました。

 本、お好きなんですね、本当に。




 やがて閉館時間が迫ると、シオンさんは名残惜しそうに書架に本を戻し、私の手を離して「ありがとう」と笑いました。少し寂しげに、とても満足そうに。


「あの、数冊でしたら一週間単位で貸し出しもできるそうですよ?」

「いえ、いいんです。俺は居住区では絶対に本を読まないので」

「え?」

「一冊も本が無いんです。俺の家。だから今日はうれしかった。ありがとうトールさん、お疲れ様でした」


 それから居住区までの復路、私は何も聞けず、ただ1メートルの距離を保ちながら幸せそうな横顔を盗み見ては首を捻っていました。

 だがしかし私はオーラを放ち依頼主の本能を殺すことだけが仕事の調停師ですから、依頼主の個人的な事情には、決して踏み込んではいけないのです。疑問に無理やり蓋をして一人頷きます。




 居住区正門前までお送りして依頼達成の運びとなり、私はマニュアルに沿ったあいさつを述べると、何度もお礼を言うシオンさんに手を振って事務所に戻り、簡単な報告をして帰路につきました。

 無事お仕事終了、私の労働は賃金となって弟の生活の支えとなるでしょう。万々歳。


 シオンさんとまたお会いできるかは分かりませんでしたが、彼の言った「ありがとう」も「お疲れ様」もなんだかくすぐったく耳に残って、思い出す度に不思議と心がふわふわするのでした。

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