第2話 王都暮らしとお仕事探し

 村では朝を告げるのはニワトリの鳴き声でしたが、都会ではその代わりに目覚まし時計が猛威を振るいます。


 私はカーテンの隙間からそそぐ陽ざしにうっすらと目を開き、まどろみながら隣のベッドから響くベルの騒音に耳を傾けていました。


 ジリリリリリ。

 ジリリリリリバゴッッ、ゴキャッガタン。ガッチャーン。──。


「…………」

「すーー……」

「いや、普通に二度寝しないでくださいよ時計一つ破壊した後に。起きてミーナちゃん、お仕事遅れちゃいますよ」


 くるまっている布団の上からゆさゆさ揺さぶると、時計の持ち主にして幸せそうに眠っていたルームメイト──ミーナちゃんはもぞもぞ這い出て、眠たげなミントグリーンの瞳を瞬いて眉根を寄せました。

 鮮やかな赤毛は星の数ほどの寝返りの末に芸術的なくしゃくしゃ具合、かわいらしい鳥の巣のようにぴょこぴょこと自由に跳ねています。


「んんー……? トールちゃんおはよう。あれ、何だこのメッタメタに粉砕された時計は……そして尋常じゃなくヒリヒリする私の手のひら。これらが意味することとは、一体……?」

「そのポンコツ探偵っぷりじゃ迷宮入りしそうなので、気にせず準備してください準備。出勤ですよ。出発何分後ですか」

「10分」

「目覚まし時計の設定の意味あります!?」


 なぜか私の方が血の気引きつつバタバタと朝食の準備をしている間に、ミーナちゃんは手際よくやさぐれていた髪を更生させると一つに結ってまとめ、仕事用の簡単な化粧をして、スーツに身を包みパパッと身支度を整えると、見事に社会人の擬態を終えました。

 うん、数分前の寝起き姿など影も見えません。時計の死体はあとで処理しておきましょう。




 …………村を出て、ほぼ身一つで王都に来て一週間。

 頼る知人もなく心細い限りでしたが、家探しをして早々にルームシェア相手となる同い年の彼女、ミーナちゃんに出会うことができ、私の王都生活はそこそこに明るいものでした。

 物価も家賃も憤死するほどにお高い都会で、生活費と賃貸料を節約できることがどれだけありがたいことか……。

 多少エキセントリックなところのある女の子ですが、村に年の近い友達なんていなかった私ともすぐに仲良くしてくれて、一緒に暮らす生活は居心地の良く楽しいものでした。


 何より、泥沼の事情を知らない相手というのは実に気を軽くしてくれるもの。

 ブラッ……なんとかさんのせいで荒んでいた心もずいぶんとほぐれたように思います。


 ミーナちゃんは私が手渡したぬるめのコーヒーを飲みながら、パラパラと朝刊に目を通しつつ、「トールちゃんは今日は面接?」と薄く微笑みます。


「はい。いつまでも日雇いのお仕事で繋ぐわけにもいきませんし、大分こちらの生活にも慣れてきましたので」

「そっか、がんばってね。私今日も少し遅くなるから、夜ご飯先に食べてて」

「あら……ここ数日忙しそうですね。何かトラブルでも?」

「んーん、事務処理が詰まってるの。最近『居住区』入りを希望する獣人さんの人数が増えてるからね、うれしい悲鳴が断末魔ってやつだよ」

「それ過労死してません?」


 ミーナちゃんは区役所の住民課にお勤めの方で、私と出会ったのも住民登録のための手続きがきっかけでした。

 淀みなく涼やかな笑顔で完璧な受け答えをしていたお嬢さんが、その流れのまま「ところでこの街の家賃高すぎると思わない?」と耳打ちしてきたのでびっくりしましたが……。


 さて王都と一口に言ってもその面積は広く、内部は大きく分けて3つの地区に分かれています。

 王様の住むお城と、行政の中枢が置かれた中央区。

 商業施設や文化施設などが集約された西区。

 そして私が今住んでいる、住民の主要な生活の場となっている東区。


 この東区には一つだけ、他の地区、ひいては国中の何処とも異なる超特殊な特徴がありました。

 その内部に、政府公認で保護された特区……『獣人』達が住まう『居住区』を有している、ということです。


 獣人。

 かつて、ヒトより以前にこの世界を支配していたとされる神秘の獣たちの血を引く、人ならざる人。


 彼らは通常は普通の人間の姿を形取っていますが、いざとなればその身に眠る血を目覚めさせ、獣の姿を晒し人知を超えた力を発現させるのだそうです。

 その、おとぎ話の中でしか見聞きしたなかったこの世界の不思議が、本当に存在する人達なのだと実感したのは、王都に来てからのことでした。


 役所で手続きをする際に分厚い『獣人マニュアル』を手渡され、生活上の注意点などを説明していただいたのですが、正直その頃はまだ村で起きたあれこれの疲れも残っていて話半分に頷いてしまい……マニュアルはクローゼットの奥の方で眠っています。

 仕事が決まったらゆっくり目を通したいですね、永眠させることにならないようがんばらなくては。


「そういえば私、まだ獣人さんとお会いしたことないです。どんな方々なんですか?」

「んー、獣化してなければ普通の人とそんなに変わりはないと思うな。大抵気の良いおもしろい人たちだよ。居住区には大抵のものが揃ってるし、東区まで出てくることはあんまりないんだけど……あー、そろそろ行かないと本当に遅刻だ。じゃあねトールちゃん、コーヒーごちそうさま」


 ミーナちゃんは朝刊から紙面を一枚抜き取ると私に手渡し、「たぶんだけどね、今日決まるよ。トールちゃんのお仕事」と可愛らしく笑いました。

 そしてそのままひらひらと手を振り、振り返らずに颯爽と部屋を出て出勤していかれるのでした。


「……そうでしょうか?」


 全く自信も持てずに目を細めつつ、一人になった部屋で、ミーナちゃんに渡された紙面────『本日の求人情報一覧』に視線を落とし首を傾げます。

 でもミーナちゃんの予報は、お天気でも私が転ぶ回数でも、不思議と何でもピタリと当たるものなのです。信じてみるのも決して悪くはないでしょう。


 そんなわけで淡い期待を抱きつつ、私は脱・無職を誓ってひとりフンと鼻を鳴らすと、村に残した弟を思い強く念じます。


 待っててねアルフレッド、姉さんは都会の荒波に負けずにがんばります……!


 あ、ていうかまだ殺してませんよねブなんとかさん?? 心配になってきました。

 無事に仕事が決まったら、手紙を書いて確認しなくっちゃ。




 * * *



 しかしミーナちゃんの予報は当たらず、弟への手紙も今日は書けそうにもありませんでした。


「ここも×、と……」


 ペケ、と求人一覧の紙面にまた一つ大きな赤い印を書いて、私は深くため息を吐きます。


 時刻は午後2時を少し回った頃。

 昼食も抜いて朝から求人一覧に載っていた職場を片っ端から当たってみましたが、まあ結果は世知辛いものでした。


 田舎に比べれば王都は仕事も格段に多く、賃金も遥かに高いのですが、さすがに『学歴無し、職歴無し、特技は葡萄畑の世話』などというふざけた村娘を雇ってくれる気前のいい職場はなかなか無いのでした。うーん…………。


 ……やっぱり今からでも大人しく村に帰って、ブラッドのことは仕事仲間と割り切って大人しく葡萄酒造りを手伝う方がいいのでしょうか。

 あのエリーゼさんもいるでしょうけど何も無かったように振る舞って、何を言われようともただ、淡々と仕事を……


「……いやいや」


 ハッ、と苦笑して、私は少し滲んで見える新聞、最後の求人広告に目を落とします。

 ふむふむ、未経験者歓迎、アットホームな職場、手厚い保険制度……?

 おお、なかなか良さそうですね。一体何の


「キャウー!!」

「わ!?」


 下を見ながら通りを歩いていたら、突然足下にふわふわしたものが突撃してきて間抜けに叫びました。

 見やれば、私の足にすがるようにして震える毛玉……もとい、まるっとした子犬が一匹。

 なにかに脅えるようにまんまるの目を潤ませて私を見上げています。


 おお、なんて可愛いワンチャン……ちょうど落ち込んでいたところですので本能的に手を差し伸べ抱っこします。わお、指が沈む。モフが極まってます、ふわっふわです。


「かわいい……あなたどこから来たの? 迷子ですか?」


 わんちゃんの手触りは丁寧に手入れがされたそれで、よく見れば真っ赤なスカーフをマントのように背中でひらひらさせています。飼い主さんとはぐれてしまったのでしょうかかわいい、いやかわいそうに。


 ……犬の迷子は、衛兵さんに届け出てもいいものなのでしょうか?

 なんて眉根を寄せていると、通りの向こうから悲鳴と轟音。

 そしてものすごい土煙を纏って何かが急接近していることに気付き、私は目を見張りました。


「ん……? 飼い主さん?」

「キャワーー!!」

「そこの人逃げろー!! 吹っ飛ぶぞーー!!」


 胸に抱える子犬の叫びと、背後から聞こえた通行人の方のありがたい助言……

 それらの意味を悟った時には、私は接近者の正体を視認し、そしてあきらめました。


「…………」

『ブモーーーーーー!!』


 牛が。


 立派な角を生やした大きな黒い牛が。

 都会の大通りを目を血走らせて。

 私に向かってまっすぐに全力疾走してました。


「……ええー……」


 天国のお母さんお父さん、トールも不本意ながらそっちに行くことになりそうです……なんかすいませんホントに……。

 アルフレッド、姉さんの死因が牛だったことは、ブラなんとかさんには絶対に言わないでくださいね……恥ずかしいので……。


 なんて死を悟って目を閉じた後、私の体は衝突の衝撃に襲われ────

 そして私は、尻餅をつきました。


「…………あれ?」


 な、なんということでしょう、浮気修羅場事件を乗り越えてストロングになった私のボディは、牛の体当たりを受けても耐えられるほどに逞しく進化を遂げていた……!?


 などということもなく、目を開ければなぜか忽然と牛の姿は消え。

 代わりに、一人の可愛らしい女の子が同じように尻餅をついて目を回していました。

 その長い黒髪に不思議と既視感があって、私はぽかんと口を開けます。


 艶のある黒い髪。入れ替わりに消えた黒い牛。

 こ、この方はもしや……。


「痛ぁー……。あ、あれ? どうしてわたし人化できたんだろ……っていうかお姉さん、怪我! 怪我してませんか!? ごめんなさいごめんなさいっ、種族の血が騒いじゃってつい獣化しちゃって……! 私ダメなんです、赤い布を目の前でヒラヒラされちゃうと追いかけずにはいられない血筋でして!」

「はあ、それは難儀なご家庭ですね……???」


 涙目で詰め寄られて、私はくらくらしつつ目を細めます。何が何やら?

 しかし腕の中で震えるわんちゃんが、キャンキャンと健気に吠えて黒髪の少女を一生懸命威嚇しています。その警戒モードは先ほど、あの真っ黒な牛に向けていたものとまったく同じ。


 ………………。


「あの、お嬢さんはもしかしてさっきの牛さんですか……?」

「え? はい、それはもちろん。まだこの街に来たばかりで、初めて『居住区』の外に出たんですけどうっかり本能を晒してしまって……わんちゃんも、無事で良かった。怖がらせちゃってごめんなさい」


 申し訳なさそうに微笑んで、彼女は私をまじまじと見つめ。


「それにしても驚きましたお姉さん、あんな風に魔法みたいに獣化が勝手に解かれるなんて! この街には優秀な『調停師』さんがいるっていうのは本当なんですね!」

「…………ちょうていし?」


 呆然としている私の代わりに、きゃわん、と子犬が鳴きます。

 そうして差し伸べられた彼女の手に、お利口にもポフっとお手をして返してくれていたのでした。

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