第4話青緑の森

木を植えよう。


いつかここが、大きな大きな森となるように。

木を植えよう。


森はたくさんの生き物の家となるだろう。

そして、たくさんの生涯を見届けるのだ。


木を植えよう。

たったひとつの「物語」という木を植えよう。

その物語たちが森となった頃、きっとそこは「世界」と呼べる居場所となるように。


木を植えよう。

いつかそこへ辿り着くであろう君と出逢うために、私は物語という木を植え続けよう。


いつかここで、君と出逢うために。




今、私という本の形をした世界が開かれた。

真っ白なページに何を綴る?






それが、私という書き手の始まりであった。







私は書き手である。

別の言葉で言おう。私は、私の書く物語を造り出す神様である。神様はどんな話でも生み出すことができる。心から冷や汗が出るホラー。星のように輝くファンタジー。胸がドキドキする冒険。謎が謎を呼ぶサスペンス。現実と離れたSF。もちろん、得意ではない世界には手を出さない。私には私の好みがある。

書く好みと、読む好みは違う。書けるから好きというわけでもないし、読みたいから書けるということでもないだろう。更に言うと、私は文を書くこと自体得意というわけでもない。魅力的な世界を生み出すことが得意というわけでもない。

すまない。これでは神様失格だな。せっかく今まで書いてきた物語に申し訳ない。


さて。神様神様と言ってはいるが、私は神様が嫌いだ。言い方が悪いだろうか。

別に主イエス・キリストや仏様、八百万の神様を否定しているわけではない。私が嫌いなのは、「書き手は物語という世界を創造した神様」という考えだ。間違ってはいないのだろう。でも、私はその考えを好きになれない。

神様はなんでもできる。どんなに素晴らしい世界でも、どんなに残酷な世界でも、神様はきっと造り出すことができる。でも、神様はひとりっきりなのだ。たったひとりで大きく広い世界の中で立ち続けなければいけないのだ。私には、それがとても淋しく思う。


私は書き手である。どんなに未熟であっても、自分の中に雲のように、霧のように形なく漂っていた世界を文として表現した、一人の文を書く人である。

私は、たとえ物語に対してであっても自分を神とは名乗りたくはない。では、私は、自分の生み出した世界に対してどうあろうというのだろうか。どう、ありたいのだろうか。


私はこう表現しよう。自分は指揮者なのだと。私は、私の世界の中で登場人物たちと一緒に成長したい。物語の中で、彼らを導く存在でありたい。物語の世界を永遠に、これからもずっと育てる存在でありたい。


私は、今はまだ未熟な一人の書き手である。どうか私の世界たちよ。あなたたちとともにあることを許して欲しい。

私は指揮者。物語を導き、物語の中の登場人物とともに世界を奏でる、一人の書き手である。






木を植えよう。


いつかここが、大きな大きな森となるように。

木を植えよう。


植えた木は育ち始めた。土に根を深く深くはり、養分を得ようとしている。

聞こえるだろうか。彼らがゆっくりと呼吸をしているのを。

聞こえるだろうか。彼らが水を吸い上げているのを。


木は、確かに育ち始めているのである。そして、着実にその数を増やしている。

さあ、今日も木を植えよう。

たったひとつの「物語」という木を植えよう。

その物語たちが森となった頃、きっとそこは「世界」と呼べる居場所となるように。


まだまだ時間はかかりそうだ。







風が吹く。

葉が擦れる音がする。

音もなく、葉が落ちる。

天高くから日が降り注いでくる。

喉が渇いた。水が欲しい。次はいつ雨が降るだろうか。







風が吹く。

雨が降る直前の匂いがする。「石のエッセンス」の意味を持つ「ペトリコール」。

まもなく雨が降り始める。


風が吹く。

雨が降る。

天を横切る灰色の雲たちは、頭上に広げられた幾多の葉によって遮られて切れ切れにしか見えない。

雨が降り続けている。

久しぶりの水に、木たちは喜んでいるようだ。

雨はまだ止みそうにない。


風が吹く。

雨が降り続けている。

水の粒が葉に当たり、タタンタタンと音を奏でる。

落ち葉によって絨毯が敷かれた地面には水は溜まらない。ゆっくりと時間をかけて地下へと染み込んでいく。ゆっくり、ゆっくりと水が落ちていく。

きっと、この足の下には大きな湖ができるのだろう。

雨はまだ止まない。


風が吹く。

嵐がやって来た。

誰もいない森の中では、その嵐に怯える者は誰もいない。

天では雷光が煌めいている。太陽とも月とも違う鋭い光は美しい。雷鳴が雲に隠れて唸っている。煌めく獣はなかなか地上へは降りて来ない。

嵐は怒りではなく、森に変化を連れてやって来る。

まもなく嵐は去っていくだろう。

季節は移ろう。次の季節がやって来る。

嵐は去っていった。


風が吹く。

嵐は去った。

何を残して嵐は去った? 恵みとなる水を残して嵐は去った。たくさんの傷を残して嵐は去った。

何を連れて嵐は去った? たくさんの木が折れてしまった。これらは失敗だったのだろうか。後悔を嵐は連れ去った。

折れてしまった木たちを糧に、新たな木を育てよう。

森に、雨が降った後の匂いが残された。「ジェオスミン」と呼ばれる「大地の匂い」が嵐によって舞い上がった。

風は今日も吹いている。








風が吹く。

今日も森には誰もいない。


風が吹く。

風が吹いている。

風は、どこから吹いている。

決して手の届かない天の上から吹いている。

空には青が広がっていて、時折白が青を横切っていく。薄く、厚く、白は気紛れに駆けていく。

空にも誰もいない。

しかし、予感がする。いつか、誰かの為に風が吹くだろう。

森には今日も風が吹いている。


風が吹く。

天から風が吹いている。

青い空のその先に、果てない黒が広がっている。それはたくさんのものが混ざった無限の黒であり、何も無い虚無の黒である。

森の上には空が広がっている。青い、青い、透き通る青。

空の上には天が広がっている。深く、深い、底の見えることのない黒。

青はどこからきたのだろうか。黒が光によって薄まることで青になるのだろうか。

黒を青く見せる光とはなんだろう。それは太陽か、月か。それともどちらでもない未知なる星か。

頭上を照らす光は誰だろう。

森を照らす光は誰だろう。

光を纏って風は吹く。

森の中を、光は駆け抜ける。


風が吹く。

空には青が広がっていて、風が吹いている。

天には黒が広がっていて、風は止んでいる。

風なき天には星が散らばる。

この森と同じように、天には物語が根付いているのだ。

かつて誰かが作った星座という繋がりは、森の中で今でも育ち続けている。終わることのない物語を育て続けている。


森に木を植えよう。

森で木を育てよう。

終わることのない物語を輝かせ続けよう。

風は吹く。







風が吹く。

いつか降り注いだ雨は、森の深く下で流れ続けている。

森を育てる為に、水は地下で湖となり再び地上へ上がる日を待っている。微かに、水のさざめきが聞こえる。ざざん、ざざん、と、水の擦れる音がする。水の流れる音がする。空から降り注いだ水は、空の青を溶かし込んで美しく輝いている。

木は水を吸い上げる。

緑は青を吸い上げる。

そして、緑の中に青を溶かし込んで大きく育つ。


聞こえるだろうか。

森には緑の葉が擦れる音が響いている。

森の下では青の水が擦れる音が響いている。

どこか似た音が、響いている。







風が吹く。

森を風が駆け巡る。

森を風が吹き抜ける。

ここは彼の庭。いつでも戻っておいで。私はいつまでもここで木を植えよう。

あなたが翼を休めることができるよう、いつまでも森を育て続けよう。


大きく広げた木の葉たち。青い空を乞い慕い、空から落ちた青い水を吸い上げる。

いつしか緑は空の青を溶かし込み、空とも森とも違う色を奏で出す。

風が吹く。

青緑の葉を揺らして風が吹き抜けていく。

青と緑が風に吹かれて揺れている。

風が吹いている。

木を植えよう。緑の木を、たくさん植えよう。

木を育てよう。青緑となる木を、青い空にも劣らない木を、たくさん育てよう。




ここはいつか辿り着くであろう彼の庭。

風が吹く、青緑の森。


今日も風は吹いている。










『青緑の森』


風が吹く

物語のページを捲る風が吹く

木の葉を揺らす風が吹く

風は吹く

星たち躍る天から降りた

空を突き抜け青をも溶かした

風も吹く

ゆらりと揺らめく水を吸い

大きく大きく木を育てる


緑が欲した青色は

青が包んだ緑色


本の森に立ち入るあなたに言いたい

ようこそ

私の青緑の森へ

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