第25話 天女の舞う丘

 特に何の変哲もない少し傾斜のある大地。草花が生えているが、珍しい植物は特にない。リンドウ帝国において最も穏やかな場所だと言われている場所。それが天女の舞う丘である。


 ここは、かつて天女ラーニャが降りてきた場所という伝説があった。ラーニャの踊りを見た者は一時的に能力を上げると言われている。言わば、バッファーの源流とも言われている。バッファーの中には天女ラーニャを崇拝する者もいて、ここはバッファーの聖地として扱われているのだ。


 まあ、ここは別に過酷な環境でもないし、修行に適した場所かと言われるとそうではない。だが、ここで修行をした経験があるというのはバッファーにとって一種のステータスになっているのだ。


「なあ。マリアンヌ……」


「なあに。マイダーリン」


 マリアンヌは俺に話しかけられて少し上機嫌だ。


「お前は自分の手でモノフォビアを倒したいと思うか?」


 俺の質問に対して、マリアンヌの表情が一瞬強張こわばった。自分でも嫌な質問をしていると思う。だが、この質問は俺の身の振り方を考える上で重要なのだ。


「当たり前じゃない。マイダーリン。私がこの手で止めを刺さなきゃ気が済まないよ」


「そうだよな」


 仲間を傷つけさせない。常に自分が前線に立って、無傷で勝利を収める。それこそが俺の信条だ。だが、今回のモノフォビアは事情が違う。復讐のために自らの手で、相手を下したい人物がいるのだ。


 正直言って、復讐したいモンスターがいる気持ちは理解できる。俺も妹を廃人に追い込んだあのモンスターを許せなかった。できることなら、この手で殺してやりたかった。だから、マリアンヌの気持ちは痛いほど理解できるのだ。


「マリアンヌ。俺は今回、サポートに徹する。前線で戦うのはお前の役割だ。だからこそ言う。決して無茶だけはするな。自分が生き残ることだけを考えろ。例え、今回モノフォビアを仕留め損なったとしても生きてさえいれば、必ずまた復讐の機会は訪れるはずだ」


 マリアンヌはただ黙って俺の言葉を聞いていた。


「ふふ。ありがとうマイダーリン。あたいの心配をしてくれてるんだね。ふぉおお!! あたいの心配をするマイダーリンかぁいい。もう好き。だぁいすき。そんなにあたいのことが好きなの?」


「マリアンヌさん。リオンさんは別にマリアンヌさんだから心配しているわけじゃないと思います。リオンさんはみんなに対して優しいんです」


「あ? 黙れよ小僧」


 ドスの効いた声でアベルを脅すマリアンヌ。正論を突かれたくらいでこの脅しようとは。


「デュデュ……」


 俺の前方にモンスターが現れた。エルダースクロー。猟犬ほどの大きさのリス型モンスターだ。その前歯は成獣だと岩すらも砕くと言われている。だが、所詮は前歯の攻撃にさえ気を付けていれば、脅威ではないモンスター。ランクはDに近いEと評されている。


「よっしゃ! 見ててマイダーリン。肩慣らしにこいつらを蹴散らしてみせるから!」


 マリアンヌはエルダースクローの延髄に思いきり蹴りを入れた。常人が食らえば、まず耐えられない攻撃だろう。


「ぐぎゃ」


 エルダースクローは一撃で倒れてしまった。流石、Cランクのアタッカーだ。攻撃性能は抜群に高い。


「へへーん。楽勝よ」


 マリアンヌは右腕を曲げて力こぶを見せつけるような動作をして、自らの力をアピールした。


「凄いです。マリアンヌさん」


「へへ。まあね」


「流石Cランクなだけはあるな」


「あぁーん。マイダーリン。もっと褒めてぇ」


 実際、マリアンヌのパワーとスピードは共にかなり高い。正直言って、Cランクに収まっている器ではない。なにかの切っ掛けさえあれば、Bランクに上がってもおかしくないほどの強さだ。


 後は……俺にベタベタするへきを治してくれれば言うことはないんだけどな。


「グヴォァ!」


 前方からまたもやエルダースクローが現れた。今度はかなり巨大な個体だ。熊ほどの大きさはありそうだ。


「ひ、ひい。なんですか。あのでかさは」


 アベルはエルダースクローのでかさに完全にビビっている。確かにでかいな。こんな巨体なエルダースクローは見たことがない。下手したら新種のモンスターとして登録されるべきレベルじゃないのか? これは。


「あたいに任せて!」


 マリアンヌはエルダースクローに向かって正拳突きを放った。エルダースクローはそれを腹部で受け止める。


「やった! モロに入りましたよ!」


「いや、アベル。あいつは殆どダメージを受けていない」


「え?」


 俺も見立て通り、エルダースクローはマリアンヌの打撃を受けてピンピンとしている。


 そして、カウンターとしてマリアンヌを爪で引っ掻く。


「あぎゃあ!」


 マリアンヌの皮膚が切り裂かれる。血が噴出し始めた。


「な、なんなんですか。このモンスターは! 滅茶苦茶すぎます。パワーもスピードも耐久力もけた違いです」


「いや……おかしい」


「え? なにがおかしいんですか?」


 マリアンヌの奴……どういうつもりだ。


「デュォオオ!」


 今度はエルダースクローの前歯がマリアンヌの左腕に突き刺さる。ベキィという嫌な音がした。なにかが砕ける音。恐らく、今の一撃でマリアンヌの骨が砕けたのだろう。


「あぁあ!」


「マリアンヌさん」


「キレそう」


「え? そ、そうですよね! 大切な仲間が傷つけられているんです。あのリスに対して怒るのは当然ですよね?」


「いや、俺はマリアンヌに対して怒りを覚えている。この戦闘が終わったら説教だな」


「え? な、なに言ってるんですか! マリアンヌさんは攻撃されている被害者ですよ!」


 アベルはまだ状況を理解していないようだ。ああ、腹立たしい。マリアンヌもCランクあれば、この程度の相手を無傷で倒してくれると思っていたのに。マリアンヌに任せたせいで、俺が回復魔法を使うハメになってしまった。


「マリアンヌ。もういいだろ」


 俺が苦言を呈するとマリアンヌはこちらに向かってウィンクを仕掛けた。


「マイダーリン。こいつ強いよ。あぁーん。マイダーリンのバフがないと勝てないよぉー」


 うぜえ……こいつ、俺にバフを要求するために、わざと手を抜きやがったな。マリアンヌほどのパワーとスピードがあれば、こんな相手一撃で倒せたはずだ。


 完全に魔力の無駄遣いを俺にさせようとしてくるこの女。殴りたい。俺はその気持ちをグッと堪えて、マリアンヌに攻撃バフ、物理防御バフ、攻撃速度上昇バフをかけた。


「ありがとう。マイダーリン。これで……心置きなく、こいつを倒せる!」


 マリアンヌは本気の正拳突きを繰り出した。エルダースクローの腹部を貫いた。そんだけ強い一撃を放てるんだったら最初からやれ。


「す、凄い! ねえ、見ましたリオンさん。流石、リオンさんのバフです。あれだけ、劣勢だったのを一気に形勢逆転しました」


「やめろアベル。それじゃあ、俺が適切なバフを適切なタイミングで撒けなかったみたいじゃないか」


「え?」


「マリアンヌは俺のバフとか関係なしにあのリスを倒せた。そうだろ?」


「な、なんのことかなー。あたいには全然わからないなー。それより、マイダーリン。あたしを、い・や・し・て」


「チッ」


 俺は思わず舌打ちをしてしまった。この女の目的がわかった。俺の補助魔法と回復魔法を受けたかっただけなんだ。そのために、勝てる相手に手を抜いて、劣勢を装った。最低すぎる。


「マリアンヌ」


「なあに。ダーリン」


 俺はマリアンヌに近づき。そして、マリアンヌの傷の箇所を杖で小突いた。


「あいだ!」


「リオンさん! あなたなにしてるんですか!」


「なにが痛いだ。俺の心はもっと痛かったぞ。どうして、俺が傷ついたお前を見させられなきゃならんのだ!」


「え?」


 マリアンヌは俺に怒鳴られてきょとんとした顔をしている。


「俺は! マリアンヌ! お前に傷ついて欲しくなかったんだよ。かすり傷1つでも負わせたくないんだよ! それをわざと自分を傷つけるようなことをしやがって! もっと自分の体を大切にしろ!」


「は、はい……」


「もう2度とこんなことをするなよ。それが約束できなきゃ回復してやらんぞ」


「ご、ごめんなさい。ダーリン。あたい、ダーリンにそんなに想われているだなんて知らなかった」


「はい?」


「きゃー! もうやだぁ。ねえ、アベル君。聞いた? 今のダーリンのセリフ。これもうプロポーズだよね? きゃー」


「なあ、アベル。なんでマリアンヌは喜んでいるんだ? 嫌われる覚悟で説教したのに」


「さあ。僕には女心はわかりません」


 俺にもわからん。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る