第18話 船旅

 長い船旅に備えて俺たちは準備を整えた。と言っても当面の食料や必要な道具はレンジャーのアベルが用意してくれる。俺とマリアンヌは身の周りの生活用品を揃えるだけでいい。こういう時はレンジャーがいると気が楽だ。


 港で待ち合わせをした俺たち。3人揃ったところで乗船手続きをして、船に乗った。


「うぇっぷ……うっぷ……おえー」


 マリアンヌの顔色が既に悪い。船酔いをしているようだ。


「おいおい。マリアンヌ。まだ出航してないのにもう酔ってるのか」


「マイダーリン……あたいの心配してくれるのかい? 好き……うっぷ……」


 マリアンヌは口元を抑えて、顔色が青ざめている。このままだと吐くのも時間の問題だろう。


「マリアンヌさん大丈夫ですか? 一応、エチケット用にバケツを持ってきました。万一の時はこれに吐いて下さい」


 アベルは小型の鉄製のバケツをマリアンヌに渡した。


「マリアンヌ。お前はもうベッドで寝ていろ」


「あ、あたいと一緒に寝たいだって。きゃー。マイダーリンったら大胆」


「誰もそんなこと言ってない」


 そんなこんなやり取りをしていると、黒髪の女がこっちに近づいてきた。この女は見覚えがある……つくづくこいつと縁があるな俺は……


「よ、お兄さん。久しぶり。元気にしてた?」


「アレサか。よく会うな」


「そこのお姉さん、酔ってるみたいだね。私、良く効く酔い止めの薬を持ってるんだよね」


 アレサは錠剤が入っている瓶をマリアンヌにチラつかせた。


「う、い、いくら?」


「お姉さんはお兄さんの知り合いだからね。お友達のお友達料金で安くしとくよ」


 弱っている人間につけこむ。中々に商魂逞しいやつだ。こんなことを想定して酔い止めの薬を持ってきたのか。


「ところでアレサ。あんたもリンドウ帝国に行くのか?」


「ううん。私が用があるのは隣のエニシ公国だね。お兄さんの……」


 俺はアレサに余計なことをいうなと視線で訴えた。アレサは俺の視線に気づいたのか俺と視線を逸らした。


「いや、なんでもない。エニシ公国とちょっとパイプを繋げたくてね。あそこはBランク冒険者が2人ほど在籍しているから」


「凄い! Bランク冒険者だなんて各ギルドに1人でもいれば優秀な扱いを受けるのに。僕もBランク冒険者に会ってみたいです!」


 アベルが目を輝かせている。アレサはそれを見て微笑ましい目で見ている。目の前に元Bランク冒険者がいるぞとでも言いたそうな顔をしてやがる。


「まあ、私も商売をしている都合上は人脈は多い方がいいからね。いつ、どこで、手札が消されるかわからない時代だしね。特に冒険者は」


 冒険者は離職率も高ければ殉職率も高い。昨日まで一緒に冒険していた仲間が、今日も一緒に冒険してくれるとは限らない。そういう世界だ。別れは本当に唐突に来るものだ。


 プオオオオンと汽笛の音が鳴り響いた。もうすぐこの船が出航する合図だ。


「お、そろそろ出航するみたいだね。じゃあねお兄さんたち」


「アレサさんどこに行くんですか?」


「私は船で情報収集と人脈作りをしてくるよ。何日も続く船旅だもの。一緒に旅するお客さんや船員とは仲良くしておいて損はないでしょ?」


 アレサはアベルに向かってウィンクをした。


「お、そうだな。少なくとも既に知り合いの俺たちと雑談しているよりかは有意義な時間だな」


「もう。お兄さん。その言い方じゃ私が嫌な女みたいじゃない! 棘がありすぎるって。お兄さんたちとの関係も軽視してないから。その証拠に酔い止め薬を格安で譲ってあげたでしょ?」


「冗談だ。まあ、また会おう」


「あはは。そうね。じゃあ、また」


 アレサは俺たちと離れて別の客に話しかけに向かった。ものすごいコミュニケーション能力だ。それくらいじゃないと商人は務まらないのだろうか。


「おろろろろろ」


 船が動き始めた途端、マリアンヌはアベルが用意したバケツに吐きだした。



 夕食の時間。船にいるシェフが、客の料理を作ってくれた。干し肉とジャガイモのスープとパン。簡素な食事だが、仕方ない。海上にいるのに、地上と同じような食事を望むのは贅沢というものだ。


 マリアンヌは食事の時間になっても客室から出てこなかった。相当酔いがひどいのだろうか。


「あははは。アレサちゃんは面白い話を知ってるな」


「そうですか? おじ様こそ教養があって素敵です」


 アレサがシルクハットを被った身なりのいい紳士と仲良く談笑している。よくもまあ、知らない人間とあんなに楽しそうに話ができるな。はたから見たらまるで親子のような関係だ。


「リオンさん。もし、モノフォビアを倒した後に時間があったら、僕はエニシ公国にも行ってみたいです」


 俺はアベルのその言葉に固まった。エニシ公国。俺の故郷。そこには、俺の消し去りたい過去がある。俺の罪も――


「そうか。俺は止めない。1人で行ってくるといいさ」


「リオンさんは付いていってくれないんですか?」


 アベルは捨てられた子犬のような目をして俺に訴えかけた。俺の言い方は冷たかったかもしれない。けれど、俺はエニシ公国に行くつもりはない。


「アベルも一人前の冒険者だろ? 単独で行動することも経験した方がいい」


「でも……僕はリオンさんと一緒にいたいんです。それにリオンさんと一緒にいないと不安で。だって、リオンさんは強いし頼りがいがあるし、知識も経験も豊富だし、判断力も冷静だし」


 俺を頼ってくれるのは嬉しい。けれど……


「アベル。俺だって、いつまでもアベルと一緒にいられるわけじゃない。俺が冒険で命を落とすことだってあるし、年齢的には俺の方が先に引退する確率が高い」


 冒険者の離職率が高い理由は、やはり年齢的なピークの問題がある。歳を取って体力と魔力が落ち始めると、やはり若い時のように戦えなくなる。そして、自分の限界を悟った冒険者たちが引退するのだ。尤も引退する年齢まで冒険者として生きていけるのは幸運なことだ。大概の冒険者は死体として見つかるか……ひどいときは行方不明になって死体すら見つからなくなるか。


「もし、俺がアベルの元からいなくなった時、次にアベルは後輩の世話をしなくちゃいけなくなる。その時に、俺がいなきゃ何もできませんですって言えるか? 後輩に頼られる冒険者に成長しなきゃいけない。違うか?」


 まだまだ新人のアベルには、厳しい物言いだ。事実、いつかはアベルも俺から離れて独り立ちしなくちゃいけない時が来るだろう。だが、それは今じゃない。今はもっと仲間と共に成長していく時期なのだ。尤もらしいことを言っているけれど、俺がただ単にエニシ公国に行きたくないだけである。理論武装して、若者を諭す自分が嫌になる。


「わかりました。リオンさん。リオンさんの言うことは間違ってないです。僕が甘えていただけなんですね」


 違う。俺の言っていることは間違ってはないかもしれないけれど、正しくはない。ただ、言い訳をしていただけだ。


「さて。飯を食い終わったし、客室に戻るぞ」


「はい」


 俺たちは冒険者ギルドからの申請によって、個室が与えられている。個室を払う金がない貧乏人は男女問わずタコ部屋へと放り込まれる。ハッキリ言って見知らぬ男女が同じ空間で寝泊まりするのは問題だと思うけれど。まあ、そこは俺の関与することではないか。


 俺たちが個室に戻るとマリアンヌがバケツにゲーゲー吐いていた。まだ、慣れてないのかこの女は。


「どうだ? マリアンヌ。調子の方は」


「死にそう……」


「そうか」


 不謹慎な話だが、普段のウザいマリアンヌよりかは、こっちの大人しくなっているマリアンヌの方がまだ可愛げがあっていい。


「リオンさん。回復魔法で酔いは治せないんですか?」


「そりゃ、回復魔法の管轄外だな。どちらかと言うとバッファーの領域か? 三半規管を強化する魔法をかけてやれば治るかもしれない」


「その魔法はリオンさんは使えないんですか?」


「俺だって万能じゃない。全ての魔法を使えるわけじゃないからな」


 そもそも俺はヒーラーだぞ。アタッカーやバッファーやタンクの扱いやすい技能を習得しているだけで、専門職のやつらに比べると痒い所に地味に手が届かないっていう小回りの利かない存在だ。

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