第9話 ルスコ村に巣食う魔物

 ラビット亭。このルスコ村にある店で、小奇麗にしてある店だ。この店は主に夜勤終わりやこれから出勤する早番の娼婦が利用している。だから、男の観光客比率の多いこの村でも比較的、洒落た雰囲気のカフェのような店だ。


「なんだこの店は。俺はこういう洒落た店にいるとなんかむず痒くなるんだよ」


 男は背中を掻く仕草を見せた。確かに、この手の下品な男には合わない店かもしれない。清流だけに魚が集まるわけではない。多少濁った川でないと生きていけない魚も中に入るのだ。


「我慢してくれ。一応こっちには女がいるんだ。ギラギラとした性欲塗れの男が密集している環境で飯は食えない」


「ごめんなさいね」


 アレサは両手の手のひらを合わせて頭を下げた。その様子を見て、男もため息をつきながらも納得してくれたようだ。


 俺たちは席についた。店内はそれほど混んでいるわけではないが、数組の客がいた。いずれも女性客だ。この店はあんまり男性の立ち入りはないようだ。


 席についたら、茶髪の若いウェイターが注文を取りに来た。中々、顔がいい。俺ほどじゃないけどな。女性客中心だから、接客する店員もイケメンを採用しているんだろう。


「ウェイターさん。この男に消化にいいものを与えてやってくれ。後、出来るだけ栄養が付く食事が好ましいな。タンパク質とカロリーが多めだと助かる」


「あ、ちょっと待て。何でお前さんが勝手に俺の食い物を決めるんだ。俺は食いたいモンを食うぞ」


 俺の注文に男が異を唱えた。よく考えれば当然か。これは俺が悪い。


「ああ。説明してなかったな。すまない。アンタの内臓は弱っている可能性がある。健康体に回復魔法や補助魔法をかけても大した影響はない。だけど、アンタのように体が弱っている状態で魔法をかけると内臓に負担を与えてしまうことがあるんだ。一応、負担が少ないように魔力量を調節したから、内臓の負担は最小限に留めたけれど万一ということがある。しばらくは内臓を休めた方がいい」


「え? 回復魔法でサクっと治せはしないのか?」


「内臓機能の悪化までは回復魔法では治せない。それに内臓が物理的に傷ついた場合も内蔵に直接魔法を流し込む必要がある。その時に内臓機能にダメージはどうしても出てしまう。さらに言えば内臓の傷は治すのが難しい。上位の回復術士でやっと内臓修復魔法を会得できるくらいだ。それに、プリーストと呼ばれる回復術士でも脳と心臓の損傷までは治せない。だから、内臓は大切に扱った方がいい」


「よくわからんが、魔法も万能じゃないってことがわかったぜ」


「ああ。1ヶ月程は酒もタバコも控えた方がいい。健康な体でいたいのならな」


 まあこの辺の事情は冒険者じゃないなら、あまり理解しなくても大丈夫か。


 事情を理解した男は、俺の注文に異を唱えることはなくなった。消化のいいものを食べられない彼の前で、あんまり豪勢なものを頼むのは良くないだろう。俺も消化に良さそうなスープとリゾットを頼むことにした。


「あ、私はこのローストビーフサンドイッチで」


 アレサはなんの遠慮もなく自分の食べたいものを頼んだ。俺が呆れた視線をアレサに送るとアレサはニッコリと笑う。


「大丈夫だよ。お兄さん。ここのお会計は私が出すから。依頼中の諸経費は私が払うって契約だもんね」


 値段のことを訴えたつもりはないが……まあいいや。こんだけ空気が読めない奴なら逆に大物になるだろう。空気が読めないってことは誰もが躊躇ためらうことを率先してやれる。つまり先駆者になれる逸材だからな。何事も良い方に捉えてあげよう。


 注文が済んだ俺たちは、早速男より聞き取り調査をすることにした。この男がどういう経緯けいいであの干からびたミイラになったのか。知っておく必要がある。


「さてと。それじゃあ、アンタがあの場所でなにをしていたのか聞かせてもらおうか」


「ああ。思い出すだけでブルっちまうが……兄ちゃんは命の恩人だ。俺が知っていることならなんでも話す」


 こうして男は淡々と語り始めるのだった。



 あれは、俺が夜遊びをしようと街を歩いていた時だった。あんまり金を持っていなかった俺は、その辺の夜鷹(路上にいる最下級の娼婦)を引っ掻けようと思ったけど、中々好みの女がいなくてな。まあ、上等な女ならとっくに娼館に迎え入れられているだろうから仕方ないけど。


 長い間、裏路地で夜鷹漁りをしていた時だった。裏路地の中でも人気が滅多にいない場所。そう、俺が今朝ぶっ倒れていた場所にローブを纏った女がいてな。女のローブから覗かせる唇がぷっくりしていてかなりセクシーだったのは覚えている。それに興奮した俺は、その女を買おうと声をかけたんだ。


「よお。姉ちゃん。いくらだい?」


「お金はいりません」


 その言葉を聞いた時、俺はキレたね。折角、砂漠で必死こいて見つけたオアシスが蜃気楼だったかのような気持ちになった。


「なんだよ。てめえ、夜の裏路地に突っ立ていて売り物じゃねえだと! ふざけるな! 紛らわしいんだよ。清純派いい子ちゃんはとっとと家に帰んな」


「あら。お兄さん。誤解しないで下さい。お金はいらないだけで、お兄さんと遊びたい気持ちはありますから。ふふふ」


 その言葉を聞いた時、俺は天にも昇るような気持ちになったね。わかるかい? タダで自分好みの女と後腐れもなくヤれるんだぜ? 兄ちゃんも男ならわかるよな? っといけねえ。話が脱線するところだった。こんな所で尻込みしたら男じゃねえ。


「へへ、いいのかい? アンタなら俺の全財産を払っても惜しくはないけどな」


「お金だなんて無粋なこと言わないで。愛には必要ないでしょ?」


 女が俺に近づいてくる。女が一歩一歩近づいてくる度にむせ返るような甘い香りが漂ってくる。その匂いを嗅いでいると、こう頭がクラクラしてボーっとして何も考えられなくなったんだ。


 頭が真っ白になった俺は、まるで光に集まる虫のように女に吸い寄せられていった。そして、両手を広げた女の胸元に顔を埋めたその瞬間、女に抱擁されて意識を失った。まるで一夜の夢を見ていたようだった。それが夢だったらどれだけ良かったか。


 真っ暗な視界の中、俺は下半身がスースーする感覚と共に目を覚ました。目を開けてみると俺のズボンが脱がされていた。そして、その股間を愛おしそうに見ていたのは……牛みたいな角が生えて、牛みたいにでかい胸を持った女だった。女の背中には蝙蝠みたいな羽が生えていて、爬虫類みたいな尻尾が生えていた。この時、俺は悟った。この女は人間じゃなかった。


「あら、起きたの? あのまま眠っていたままだったら幸せなまま死ねたのにね」


「な、なんだお前は!」


「私の名前はガイノフォビア。この村で生まれて、この村で育った存在。この村の歪な繁栄と欲望が私を強くしてくれた」


「や、やめろ! 俺になにをするつもりだ?」


「あら? 逃げるの? そんな下半身丸出しでどこに逃げようっていうの? 逃がさないわ」


 ガイノフォビアと名乗った女は、俺の首根っこを掴み、そして俺と身を重ねた。そしたら、急に体の力と生命力が奪われていくような気がして、俺はそのまま意識を失ってしまったんだ。



「以上が俺が覚えている話だ。これ以上のことは思い出せない」


 男の顔が青ざめている。思い出したくもない情報を思い出したせいで精神的に負担がかかったのだろう。


「ああ。話してくれてありがとう」


 俺は右手を顎の当たりに持っていき考え事をした。


「ガイノフォビア? この辺りにそんなモンスターいたっけ?」


 アレサが首を傾げる。咄嗟にそういう発言が出るということは、ここら周辺のモンスターの情報を頭に叩き込んでいた証拠だろう。中々、勉強熱心なようだ。


「ガイノフォビア……女性恐怖症のことだな。文字通り、女性と交流することで恐怖や嫌悪感を覚えたりする症状だ。主に思春期の男子が一時的にこの症状にかかりやすいと言われている。女でもたまに発症する人もいるようだ」


「へー。お兄さん物知り」


 アレサは、いつの間にか来ていたローストビースサンドイッチをもぐもぐと食べながらそう言った。


「ガイノフォビアか……一応、この村のみんなにも注意喚起した方がいいか」

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