第4話 アレサと商談
「私がこれから目指すところは、ここブルムの街から北上したところにある村。ルスコ村です」
「な……ルスコ村だと!」
俺は思わず口に含んでいたコーヒーを吹き出そうとしてしまった。その勢いでコーヒーが器官に入り思いきり蒸せてしまった。
「やあねえ、お兄さんったら。そういう反応して。意外にスケベだったりするの?」
「あ、あの……ルスコ村って一体なんなんですか?」
アベルはどうやらルスコ村のことを知らないらしい。最近、冒険者になったばかりだしまだまだ地理には疎いのか。いや、でも年頃の男の子なら知っていてもおかしくはないだろう。
「ルスコ村はね。いわゆる、体を売る女の人が集まる場所なの。通称、売春村って言われているんだ」
アレサは恥ずかしげもなく説明をした。アベルはその説明を受けてもまだピンと来ていない様子で、首を傾げている。
「体を売る? 体って売れるんですか? それにバイシュンって?」
「あはは。アベル君。面白い。まあ、冒険者には性教育は必要ないからね。今度、お姉さんがじっくりと教えてあげようか?」
「ルスコ村に一体なんの用があるんだよ」
アレサは女だ。スケベな男ならまだしも、護衛を付けてまでルスコ村に行く理由は一体なんだろう。
「ふふふ。私は商人ですよ? お兄さん。商売しに行くに決まってるじゃない。あ、もちろん売るのは体じゃないよ。このキジャルの薬を売りにいくんだ」
アレサは自身が持っているバッグから小指ほどの大きさの小瓶を取り出した。小瓶の中身は青白い色の液体が入っている。
「それはなんだ」
「大きな声じゃ言えないお薬なの」
アレサは人差し指を立てて口元に持っていきウインクをした。
大きな声じゃ言えないお薬? もしかして違法な薬物ではないのか。そんな危険なものを運ぶために俺たちは使われるのか?
「あ、お兄さん。私を疑ってる。これ違法な薬物じゃないよ。全然。法律上は問題ないの。ただね……ちょっと耳を貸して?」
俺とアベルはアレサの口元に耳を近づける。その瞬間、俺の耳にふっと生暖かい吐息がかかった。
「うわ! なにをする!」
俺は慌てて飛び上がった。その様子を見てケタケタとアレサは笑った。
「あはは。お兄さん面白い。もしかして耳が弱いの?」
このクソメスが。頭をかち割りたくなってきたぞ。
「まあまあ、そう怖い顔しないで。もうしないから、もう1回耳を貸して?」
俺はアレサに疑いの眼差しを向けながらも、再度彼女の口元に耳を近づけた。
「この薬はね。外国の研究機関が開発した避妊薬なの。この薬を飲めば、妊娠の確率はぐっと減る」
「な……」
俺は驚いた。避妊。それはある種、タブーとされる行為だ。この国に根付いている聖クレイア教。その教えでは、子は天からの授かりものとされている。性行為をしておきながら、子を成すことを拒むことは神に反する行為なのだ。そのため、避妊も中絶もしてはいけないこととなっている。聖クレイア教の教えが根強いこの地域では、その教えを忠実に守っている人は多い。
「いいのか……そんなものを流通させたら教会が黙ってないぞ」
「ええ。そうね。この薬を作ることも売ることも買うことも使うことも、この国の法律では問題はない。万一バレたとしても、ブタ箱にぶち込まれることはないでしょう。けれど、力がある教会に目を付けられたら私みたいな弱小商人は簡単につぶされてしまうでしょうね。だからできるだけ内密に取引がしたいの」
確かに法律上は問題ないかもしれない。けれど、聖クレイア教はかなり強い力を持っている宗教だ。信者の数がとんでもなく多い。彼らを敵に回すことになるのはできるだけ避けたい。
「そんな危険なものをなぜ取り扱う気になったんだ」
「んー。グレーゾーンが一番儲かるって言うしー。性が乱れているところに売り込めば儲かるかなって思っただけ。後は、不幸になる子供たちを生ませたくないっていうのもあるかな」
先程までニヤついていたアレサの表情がキリっと真顔になった。俺の耳に息を吹きかけたふざけた女とは思えない。真剣な商人の表情だ。
「知ってる? ルスコ村の娼婦の間に生まれた子供がどうなるか。劣悪な環境で育てられるの。父親の顔すら知らないまま。母親も夜には帰って来ない。親に捨てられて孤児院に行く子もいるけれど、孤児院もいい環境とは言えない。みんな大人になる前に病気になるか衰弱するか虐待されて死ぬの」
どこの国にも村にも暗部というものはある。ルスコ村も辺境の地の割には稼げている村ではあるが、その反面に犠牲になっているものは多い。
「彼らはなんのために生まれてきたんだろうね。誰に望まれて生まれてきたわけでもない。自らが望んで生まれてきたわけでもない。人生に希望のひとかけらもなく、絶望に塗れて死ぬくらいなら、いっそのこと生まれない方が幸せだと思わない?」
俺はアレサの質問に答えられなかった。生まれない方が幸せか……なかなか心に来る言葉だな。
「だから私はこの薬を売る。教会の教えがなんだとか知らない。宗教は人を幸せにするためにあるのに。人を救うためにあるのに。宗教で人が不幸になるなら、救われない人がいるなら、そんなの本末転倒なんです。だから私は教会の教えに逆らってでも、自分が正しいと思ったことをする」
どうやら、アレサは本気のようだ。俺はこの小娘が単なる金儲けしか考えてない女狐なら、協力する気は起きなかっただろう。だけど、このアレサという女は、人のために動こうとしている。
「アベル。悪いな。お前は降りてくれ」
「え?」
アベルはポカーンとした顔で俺を見ている。状況が飲み込めていないようだ。
「アレサ。俺がお前の護衛についてやる。だけれど、アベルは巻き込まないでくれ。将来が潰れている俺はどうなっても構わない。だが、アベルにはまだ未来がある。可能性があるんだ。俺はアベルをここで潰したくない」
「おお。お兄さんなら乗ってくれると思ったよ」
アレサはニカっと屈託のない笑みを俺に見せた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいリオンさん! なんで僕を一緒に連れて行ってくれないんですか」
アベルは俺に抗議の目を向ける。仲間外れにされて相当怒っているようだ。
「アベル。わかってくれ。この取引は相当危険なんだ。主犯はアレサにしても、護衛につけば全くの無関係ではなくなる。聖クレイア教は強大な組織だ。敵に回せば、いつ、どこで、誰に命を狙われるかわからない。アベル。今日聞いたことは忘れるんだ。そして元の生活に戻れ。それがお前のためでもあるんだ」
「そ、そんな……僕じゃダメなんですか?」
アベルは捨てられた子犬のような目で俺を見てきた。正直、心が痛む。けれど、心を鬼にして今ここでアベルを切り離さないといけないんだ。
「まあ、私としてはお兄さんが付いて来てくれるならどうでもいいよ。アベル君は正直おまけ程度で考えていたからね。ルスコ村まで行くにしてもレンジャーの力はそこまで必要じゃないし」
アレサは無慈悲にそう言った。その言葉を受けてアベルの顔が青くなった。事実上の戦力外通告。
「わかりました」
アベルは俯いてそう言った。わかってくれたか。これで、アベルを危険な仕事に巻き込まずに済む。そう思っていた矢先、アベルは机に置いてあった小瓶を素早く回収した。
「あ!」
気づいた時には遅かった。盗賊顔負けの素早い動作でアベルはキジャルの薬をかっぱらったのだ。
「あー! な、なにするんだ! アベル君!」
大切な商品を盗まれたアレサはアベルを非難する。アレサがアベルから薬を取り返そうとするが、アベルは素早い動きでアレサを躱した。
「これは証拠として取っておきますね」
アベルは邪気が感じられる笑顔でそう言った。口は笑っているが目は全く笑っていない。アベルの初めて見る表情に俺は戦慄した。
「僕がこれを教会に持っていったらどうなるんでしょう。アレサさん。あなたは終わりですよ?」
「く……」
まずい。アベルが証拠を握っている以上、教会にタレこまれたら終わりだ。アレサは異端者として秘密裏に消されてしまうかもしれない。
「リオンさん。僕を連れてってくれますよね?」
アベルの語気からは強い意思が感じられた。これはどうやら肯定するしかないようだ。
「わかったよアベル。全く……お前ってやつは。どうなってもしらんぞ」
「アベル君も中々やりますね。正直見くびってたよ。私を脅すなんて……キミも大物になれる逸材だよ本当に」
こうして、俺とアベルはアレサの護衛をすることになった。教会の教えに反するアレサ。厄介な女と関わってしまったな。でも、アレサのしていることはきっと誰かがやらなければならないことなんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます