[9]

 8月13日。ドイツ空軍はRAFの戦闘機軍団を企図して「鷲」作戦を開始する。空軍総司令官ゲーリング元帥は約2週間に渡る一連の攻勢で敵空軍を壊滅させ、英本土上陸作戦―「アシカ」作戦における障害物を取り除くことができると考えた。

 8月14日。ドイツ空軍は1485機に及ぶ戦闘機と爆撃機をイギリス本土に向けて出撃させた。真夏に照りつける陽光の下、グレツキはデッキチェアを駐機場エプロンの脇に持ち出して寝そべっていた。他のパイロットや整備兵たちもタバコをふかしたり、雑談をしたり、本や雑誌を読んでいる。コシュラーが隣の椅子にどさりと腰を下ろした。

「これはおれ個人の意見なんだが、敵は来ないんじゃないかな」

「いや、来る」

 近くで唸るような大きな音がした。コシュラーが呟いた。

「うるさいトラクターだな」

「各飛行中隊、出撃態勢に入れ。各飛行中隊、出撃態勢に入れ」

 駐機場エプロンに連絡将校の声が響き渡った。

「トラクターじゃないぞ!」

 グレツキは立ち上がってハリケーンに向かって駆け出した。

 その時、空の高みでシュトゥーカ―Ju87爆撃機の一群が機体を傾けて急降下する。グレツキは翼によじ登り、キャノピーを開け、コクピットに飛び込む。機付き兵が操縦席に落下傘を投げ込み、車止めチョークを外す。エンジンを始動させた。ハリケーンが轟音を上げて滑走して離陸する。

 最初の爆弾が滑走路に着弾した。ハリケーンが1機爆発して横滑りし、黒煙を噴き上げた。グレツキはその黒煙を突き抜け、左に機体を傾けて地上の損害を確認した。4機のハリケーンが炎上していた。また機体を傾ける。

 1機のJu87を照準器に捉えてブローニング機関銃のトリガーを引いた。敵機が被弾した個所から火を噴いて地上に向かって落ちる。残り4機。当初の任務を終えたらしい敵機は機首を南にめぐらした。グレツキは追撃してもう1機を海に落とした。

 怒りや憎悪もわかなかった。冷静に仕事をこなしただけだった。ポーランドを席巻した「電撃戦」の一翼を担ったシュトゥーカは空中戦においては、ハリケーンやスピットファイアの敵ではなかった。スピットファイアとは対照的に、無骨な直線が目立つデザインをしたメッサーシュミットMe109は装備やエンジンの性能において、RAFの空軍機より若干優れていると言われている。グレツキはデブデン飛行場に帰投する。

 デブデン飛行場は惨状を呈していた。グレツキはひとつだけ無傷だった滑走路に着陸してハリケーンから降りた。コシュラーが滑走路の脇で担架に寝かされていた。左腕と顔に包帯が巻かれている。

「1機でも落としたか?」

 グレツキがコシュラーにタバコを1本くわえさせた時、救急車が近づいてきた。

「戦果は2機」

 毛布を掛けた遺体が載っている担架がいくつもあった。コシュラーは言った。

「搭乗員が6人も死んだ。おれのハリケーンは壊されたし、まだ地上にいるうちに、飛び立ったのはお前だけだ。ポーランドでもこれぐらいひどかったか?」

「同じようなものだ」

 グレツキの脳裏に最も暗い時期がよみがえる。ドイツ軍の電撃戦ブリッツ・クリーグを目の当たりにしたポーランドでは、グレツキら空軍はほとんど役に立たなかった。空軍の主力であるPZL・P11戦闘機の多くは飛び立つ前に破壊されてしまった。

 救急隊員たちがコシュラーの担架を持ち上げて救急車に向かう。グレツキも付き添った。コシュラーは力のない笑みを浮かべた。

「いまのシュトゥーカだが、落としたのは陸の上か、海か?」

「1機は陸の上」

「残念だな。もう1機は公認されないかもしれない」

「別に構わない。戦争はまだまだ続くだろうから」

 グレツキは救急車のドアを閉めた。

 ドイツ空軍は同月18日まで攻勢を続けた。高度50フィートの低空や2万フィートの彼方から敵機が舞い降りて、イングランド南部の飛行場に対する空襲が続いた。大勢の人間が炎や銃弾にさらされて亡くなった。死者を悼む教会の鐘は聞こえない。暑い夏の陽に聞こえてくるのは、すべて戦いの音だけだった。

 イギリス空軍の頑強な抵抗により、ドイツ空軍は「敵空軍の徹底的な破壊」という当初の目的は達成できなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る