[7]

 グレツキとコシュラーはデブデン基地に帰投した後、第19飛行中隊の隊長に戦果を報告した。駐機場エプロンから司令部に向かう道すがら、コシュラーが呟くように言った。

「あのオッサン、苦手なんだよな」

 コシュラーがそう思うのは無理もない。グレツキはそう思った。シュピルマンが北海に墜落した日、コシュラーも命からがら帰還した。コシュラーのハリケーンはキャノピーを破壊された上、昇降舵にも激しく被弾していて遠目にも穴が開いているのが分かるほどだった。それでもバランスを取りながら着陸に持ち込んだのはさすがだった。機体は基地司令部の前にある芝生の庭までオーバーランして、ようやく止まった。

「お前はそこで何をしている?」

 コクピットの中で天を仰いだコシュラーに隊長が声をかける。隊長はチャールズ・ハンドリーという名の大佐だった。ハンドリーも何年か前は戦闘機乗りだったそうだが、今ではそうとは思えないほど腹回りが大きい。

「昇降舵をやられました」

「なぜ機体が芝生に入っているのかと聞いてるんだ」

「いや、これは・・・」

「ここは英国だ。チェコではない。芝生に立ち入り禁止だ!」

 コシュラーと救援に駆け付けたグレツキや整備兵が呆然とする。ハンドリーはいまいましそうな足取りで、すでに明かりが灯った司令部に消えていった。

 グレツキは隊長室でハンドリーの隣で椅子に座っている男に見覚えがあった。右眼に眼帯を着けている。先日、シュピルマンの葬儀で見かけた空軍大佐だった。

 グレツキは少将に向かって頭を下げた。

「シュピルマン中尉の葬儀にいらっしゃいましたね」

「君は?」

 グレツキは官姓名を名乗る。

「シュピルマン中尉は以前、ぼくの教官だったんです」

「ほう」大佐はハンドリーに尋ねた。「この基地でも、外国人パイロットが多く配属されてるのですね?」

 ハンドリーは鼻の下に生やしている小さな髭をいじる。陰でパイロットたちはその風貌から《総統フューラー》という有り難くない綽名を頂戴していた。

「ええ、ここにはポーランドやチェコから来た者が多いです。彼らは配属されてから、優に40機以上の敵機を落としていますよ。それがひいては、本国のパイロットたちの士気も上げることにつながっています」

「ほう」

 ハンドリーは2人に言った。

「こちらは空軍参謀部のジェイソン・ピアーズ大佐だ。たしか先日までダックスフォード交戦セクターに居たんでしたな?」

 ピアーズはうなづいた。

「この前に戦死したセルジュ・シュピルマン中尉は私の部下でした」

 グレツキは胸の裡で首をかしげる。わざわざ一介の中尉の葬儀に出席するあたり、自分が知っている将官の姿とはどこか一致しない面がある。

「シュピルマンは良い人間だった。だが、良いパイロットでは無かったようだ」

「何ですって?」グレツキが言った。

「悪魔に喰われたのだ。戦場における一秒に潜む悪魔に」

 ピアーズは他に巡回する基地があるということで夕刻、デブデン基地を出て行った。ハンドリーは双眼鏡を持って滑走路に向かった。日没までに基地に帰還できなければ、戦闘機は暗闇の中で進路を見失うことになる。ハンドリーは次々と帰還してくる戦闘機の着陸を1機ずつ確認せずにはいられない性分の持ち主だった。

 司令部の建物を出て宿舎に向かう時、コシュラーが空を指さした。

「おい見ろ。ハンドリーのオッサン、何も言わなかったくせに」

 司令部前の芝生の庭に国旗掲揚用のポールが3本立っている。1本にユニオンジャック、もう1本にRAFの円形国際標識が掲揚している。どういう風の吹き回しか、3本目のポールにポーランド国旗がするすると揚がった。久し振りに国旗を見上げながら、グレツキは一抹の虚無感を感じていた。

《イギリスの空に祖国の国旗が揚がる。それがいったい何だというんだ?名誉か?異国の空軍から認められることが、俺たちの名誉だというのか?》

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