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8月10日。グレツキはコシュラーと2機で哨戒任務に参加した。漁船から通報があり、沿岸地域をごく低い高度で1機のドイツ軍爆撃機が飛行しているという。部隊からはぐれたのか、何か特殊な任務を帯びているのかは定かではない。その爆撃機を発見し、可能ならば撃墜せよという命令だった。グレツキは無線でコシュラーに呼びかけた。
「爆撃機が1機で飛んでるなんて妙だな」
「たぶん仲間とはぐれたんだろう」
「しかも低空で飛んでるなんて」
「だから、レーダーに捕まらなかったんだ。漁船が見つけた」
RAFは世界に先駆けて第2次世界大戦の初頭からレーダーを使用していた。当時のレーダーはきわめて原始的なもので精度が非常に悪く、監視できる範囲も狭かった。1940年当時のレーダー網はわずかにドーヴァー海峡沿岸地域をカバーするだけであり、敵機が海岸線を通過して内陸部に侵入してしまうと、もう役に立たなかった。そこで、レーダーの情報を補完するために内陸に対空監視哨を設置し、多くの民間人が空の監視に協力した。
空は厚い雲に覆われている。グレツキが操縦するハリケーンの狭い操縦席に湿気が充満して不快だった。コシュラーも同じだろう。
機体が軽金属のモノコック構造であるスピットファイアに比して、ハリケーンは昔ながらの木骨布張りの機体だが、武装はスピットファイアと同様に両翼で合計8門のブローニング7・7ミリ機関銃を装備している。
コシュラーが無線で報告してきた。
「グレツキ、1時の方向。奴が見えた。陸地に接近してる」
グレツキは右手を見る。たしかにハインケル111爆撃機が1機、水面すれすれの極端に低い高度で飛んでいる。ハインケルは機体を薄い灰色で塗装していたため、海面との見分けがつきにくい。コシュラーが報告する。
《デブデンから管制室、1機で飛ぶハインケルを発見。シェフィールド方面に向かっている模様》
《デブデン、よくやった。見失わない内に撃墜せよ》
《了解》
2機のハリケーンは急降下を開始した。コシュラーの後背をグレツキが追尾する。コシュラーはハインケルに鋭角に突っ込み、左のエンジンに集中して銃弾を送った。エンジンが黒煙を吐き、左のプロペラが停止する。推進力が落ちて機体が不安定に揺れ始めたが、ハインケルのような双発機なら、片方のエンジンが生きていれば、なんとか飛行は続けることが出来る。敵機は深手を負いつつもイギリス本土上空に侵入した。グレツキは黒煙を吐き続けるハインケルの後を追いながら、コシュラーを無線で呼んだ。
「コシュラー、自分が仕留める。援護を頼む」
《了解》
グレツキは敵機の後方、斜め上方から一気に急降下した。ハインケルの上部銃座に装備された機関銃が一瞬ひらめいた。グレツキは動じることなく一直線に突っ込む。照準器がハインケルの胴体を捉えた瞬間、8門の機関銃が一斉に火を噴いた。ハインケルは燃料タンクを貫かれ、左翼から炎を噴き出した。
白いパラシュートが4つ、一斉に空に開いた。その直後、ハインケルは空中で大爆発を起こした。機首、エンジン、主翼、胴体がそれぞれバラバラになり、オレンジ色の炎に包まれながら地上に落下していった。
グレツキはパラシュートの1つに接近して、機関銃のトリガーに指をかける。一瞬、パラシュートにぶら下がっている男の表情が見えた。おそらく恐怖で気が変になっているのだろう。口を大きく開けて何か叫んでいる。グレツキはトリガーから指を外して、スリップ・ストリーム(プロペラ後流)でパラシュートを揺らした。
《いま、どうして撃たなかったんだ?》
コシュラーが聞いてくる。不満げな声だった。
「飛行機に乗ってないパイロットがコッチに何が出来るっていうんだ」
《騎士道精神ってやつか》
パラシュートがゆっくりと陸地に降下する。4人は捕虜になるに違いない。グレツキは無線を管制室につないだ。
「管制室、こちらデブデン。ハインケルを1機撃墜。乗員4名がパラシュートで脱出」
《了解、よくやった》
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