第1話③ 店長 江尻克巳


 平日なら二時を過ぎたあたりから徐々に閑散としてくるものだが、さすがに夏休みの土曜は客が途切れる兆しが見えなかった。それでもランチタイム真っ盛りに比べると比較的余裕が出てくるもので、カウンターの四人は、蒲田美香かまた みか瀧本たきもとあづさ、森沢富貴恵もりさわ ふきえ泊留美佳とまり るみかの四人にした。留美佳の背後に指導役として宮本遥みやもと はるかがついた。

 早朝からのシフトだった赤塚亮子あかつか りょうこは勤務を切り上げ、昼から勤務の高見澤神那たかみざわ かんな古木理緒ふるき りおが客席清掃に回った。夕方からは遅番シフトの主婦パートがやってくることになっていた。

 そろそろ問題の時間帯だと江尻えじりは構えた。明葉あけはビル店を悩ませる要注意人物が、どういうわけか午後二時から四時に集中して来店することを江尻はこの数ヶ月で学んだ。

 その一人目がやって来た。

 駐車場にその大型アメリカ車が停車した時点で、江尻のエマージェンシーサインが点灯する。この近隣の地主の孫で、確か二浪中の身だったはずだ。二十歳を過ぎているのでタバコを銜えていても悪くはないが、店の前でポイ捨てするのは止めて欲しい。肩をいからせて歩く様子はチンピラにも見えるが、駅前にいくつもの土地とビルを所有する裕福な家の御曹司なのである。二代目は土建会社を経営し、彼はその三男にあたるのだが、上の二人の優秀は兄に比べると、不幸なことに学業に秀でる才がなかったらしい。医学部を目指しているわけでもないのに二浪、しかも宅浪だった。

 彼が一人で店にやって来るときは、たいてい勉強や遊びに飽きて、店の女の子にちょっかいを出すためだった。今のところ我が店の女子クルーに直接的な被害はなかったが、このまま放置しておいて良いものか、江尻はこのところ頭を悩ませていた。

 茶色や金色の混じった丈の長いシャツに真っ黒のだぼだぼのズボンを穿き、夏にも関わらずポケットに手を突っ込んでいる。店内に入るや、カウンターの女子クルーを舐めまわすように見た。

 カウンター一番の蒲田美香には、以前「彼氏がいるの、ごめんね」と軽くかわされた。二番の瀧本あづさは一見お似合いにも見えるが、ナンパのことばに訳のわからない早口のネイティブイングリッシュを返されて煙に巻かれた。従って今日の標的は三番目にいる森沢富貴恵のようだ。並んでいるのかはっきりしない立ち位置をとっていた彼は、不思議なタイミングで三番が空くとすっと富貴恵の前に並んだ。

「いらっしゃいませ。お店でお召し上がりですか? お持ち帰りですか?」

「持ち帰りだ」

 童顔に似合わず態度は大きい。これまでは店内飲食を選択することが多かったが、さすがに女の子のナンパに失敗することが続いて、このところ持ち帰りが多くなっている。いずれにせよ何か富貴恵に言いはしないかはらはらさせられる。しかし富貴恵はマニュアル通り、他の客と全く同じ接客をしていた。

 この森沢富貴恵という高校一年生。なかなか変わった娘だった。決して美人ではない。しかし中年の主婦層にはたいそう可愛がられるのだ。にっこり笑うと誰もが愛らしいと思う愛嬌のある顔になる。パートの主婦や、年配の客には「可愛いねえ」と絶賛されている。実は江尻も面接の際、あまりに美形ばかりを揃えると問題と考えて、十人並みの彼女を入れたのだが、これが予想外のヒットだった。

 面接のときは全く笑うことなくひたすら真面目な高校生、いや外見は中学生に見える、という印象だったのに、研修ではよく笑い、不思議なことを口にするキャラクターの持ち主だった。

「今日はおなかが空いて、ほっぺが落ちそうです」

「それを言うなら、おいしくてほっぺが落ちるだろ」

「たまにはラーメンをとりましょう。もうバーガーは飽きました」

「店の中で食うわけにもいかんだろうが」

「おへそもラーメンが食べたいと泣いています」

「どれどれ」と言うと、シャツを捲り上げて本当に臍を出した。

 とにかく周囲の空気を変える不思議な娘だった。

 その彼女の前に立った二浪の御曹司は、キングサイズのバーガーセットを注文した挙句、いつものようにひとことを付け加えた。

「……それから森沢バーガーを追加で一つ……」

 以前は「スマイル一つ」などとメニューに書かれたことを口にしていたが、最近は相手をみていろいろ言い換えている。蒲田美香を相手にしたときは「美香んジュース」と言ったこともあった。こういう台詞は祖父の代から受け継がれるものなのだろうか。二十歳そこそこの若者のギャグにしては古臭い。

 しかし富貴恵は、このふざけた注文に信じられない返事をした。

「おお、森沢バーガーをオーダーされるとは、お客様、なかなかの通ですね」と、愛らしい笑顔を彼に見せた後、後ろを振り返って、「フッキースペシャルひとつ!」と叫んだのだ。

 これにはその場にいた同僚たちがみな唖然とした。蒲田美香は目を丸くし、留美佳を補助していた宮本遥は瞬時にポーズの状態になった。瀧本あづさだけが、横目で見てクックックと笑いを堪えている。

 二浪の御曹司は何が出てくるのかと、自分の蒔いた種がどのような花を咲かせ実を結ぶか成り行きを見守った。

 富貴恵は近くにあった赤のサインペンを握ると、用意されたキングサイズバーガーのボックスにラブピースを思わせるような単純な似顔絵を描きこんで、御曹司の前に差し出したのだった。まさに堂々とやらかしたマニュアル破りの禁じ手に、遥が慌てて富貴恵の傍に駆け寄った。

「お客様、失礼いたしました。ただちにお取替えいたします」と頭を下げる遥に対して、彼は全く目を向けず、その目は富貴恵のにっこりとした笑顔に注がれていた。

「やあ、ありがとう」

 彼は満足そうな笑みを浮かべて包みを受け取り、「また来るよ」と言い残して、颯爽と店を出て行った。

 富貴恵が遥に引っ張られて奥へ引っ込んだのは言うまでもない。

 仕方なく、江尻は二階から古木理緒を呼び寄せ、三番のカウンターに配置した。


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