第2話③ 本社トレーナー 柚木璃瀬


 本社に寄らず、自宅へ直帰したため帰宅時刻は夕方六時過ぎだった。両親と妹との四人暮らし。土曜日でも父親は帰りが遅いので、家にいたのは母親と妹だった。

 妹の璃穂りほは立志大学の四年生。昨年度はミスキャンパスコンテストなどに出て、家族の予想を覆しミス立志大グランプリをとってしまった。彼女の夢は女子アナウンサーになることだったので、これがその一歩となった。たちまちキャスターを多く抱えるファウンテンプラス通称FPというプロダクションから声がかかり、就職難で内定が貰えずあたふたして嘆いていた璃穂は、一気に薔薇色の人生を夢見た。両親がしぶしぶ承諾したのも無理はない。何しろこの就職難だ。呼んでくれるところがあるのなら一時身をあずけようという話になった。

 璃瀬りせ璃穂りほ。名前も似ているし、並んでいるとたまに双子に間違えられることもある。しかし年の差は三歳で、両親に言わせると、璃瀬の方が美人、璃穂は可愛く愛嬌があるということだった。その言葉は性格を指して言ったのかもしれないが、子供に対する思い入れの違いだと璃瀬は思った。つんと澄まして愛想のない璃瀬より、家でごろごろすることの多い妹の璃穂の方が可愛いに違いないと璃瀬は大人気なく嫉妬した。

「ねえ、お姉ちゃん、太った?」

 顔を合わすなり、いきなりこういう言い方をする妹だった。

「変わらないわよ」と、そういう質問は潰すことにしている。

「そのうち、きっとハンバーガーみたいになるわよ」

 璃穂はくっくっくと屈託なく笑う。小さい頃から妹は姉を挑発してじゃれあいに持ち込んだ。それが楽しいのだ。仕方なくそれに付き合う。黙ったまま腕を璃穂の首にまきつけて締め付ける。璃穂は「きゃは、きゃは」とむせるように笑った。

「女子アナになるキャラじゃないわね、璃穂!」

「こう見えても、外面は違うのよ」

 それはお互い様だと璃瀬は思った。我が家はみな内弁慶。家の中では地が出せる。外で緊張する分、家に帰るとすっかりリラックスしてしまうのだった。

「お姉ちゃん、彼氏できた?」

「そんな暇ないわよ」

「だよね、こんなに早く帰ってきて」

 また首を絞めようか。

「今日、近所の人がお母さんにお見合い話を持ってきたよ。お宅の上のお嬢様はいかがでしょうって……」

「で、どうしたの!」

 璃瀬は璃穂に顔を近づけた。まだまだお見合いは早いと思っている。三年位してからと言ったではないか。

「さあ、お母さんに聞いてみて」

「ちっ、璃穂に譲るわ、その話」

「いやよ、私は当分男断ちの身なんだから」

 璃穂はプロダクションと学生用の契約を結んだ。すでにFPのホームページに璃穂のプロフィールやらが掲載されている。今やれっきとしたFP所属のタレントだった。雑誌に写真を載せたり、インターネットの情報サイトで、あちこちを訪ねるレポートもしていた。その契約条項の備考欄に男女交際を慎むことというのがある。若いうちはタレントの交際にまで口を出す会社らしい。

「じゃ、璃穂はあんなにたくさんいたボーイフレンドをみんな整理したの?」

「整理とは、ひどい言い方ね、心外だわ」と璃穂はむくれた。「お姉ちゃんは私を誤解している。私が付き合った相手なんて、お姉ちゃんとそれほどかわらないわよ。みんな仲の良いお友達」

 璃穂は璃瀬と違って愛嬌があり、フレンドリーだったため、たくさんの男友達がいた。携帯が繋がらない時に家の電話にまでかけてきた男の子は数知れない。しかし付き合いは意外に淡白だったのかもしれない。自宅でごろごろするのが好きな璃穂は、たいてい十時には家にいたし、旅行以外で外泊したことは一度もなかった。

「おねえちゃん、見合いをしないのなら、パーティーに出て見ない?」

 璃穂が突然話を始めた。

「パーティー? ダンパとか?」

 男女が集まってクラブへいくようなものを想像してしまった。

「まあ、お見合いみたいなものらしいよ、私は行ったことがないけれど。お友達にそういうのを企画している人がいるのよ。医者や弁護士、青年実業家といった男性がたくさん来るんですって。会費はそれなりにするけど、女性にとっては出会いの場としておいしいらしいわよ、何しろ女性は三分の一くらいしか集まらないらしいから。それで女性を集めるのに苦労しているようよ」

「何だか、怪しげな集まりね、お断りだわ」

「だよね、そう言うと思ったよ。今度ミスコンの時の仲間がゲストで参加するらしいから、どんな様子だったか聞いておくよ」

 パーティーには催し物として、これから売り出そうとしているバンドやお笑い芸人、そして各大学のミスキャンパスの参加者などが舞台に上がるそうだ。璃穂もプロダクションの許可が出れば顔を出すこともできたようだが、あいにく許可は下りなかった。

 璃穂の同級生にそういうイベントを企画するのを趣味にしている男がいるらしい。将来その手の事業でも始めるのだろうか。しかしこの不景気では成り立たないに違いない。

 食事は母親と三人でとった。その席で母親が近所の人からお見合いの話を持ってこられたと言ったが、璃瀬が慌てて拒否の姿勢を見せる前に、お断りしたと言った。

「三年の間は自分で探すと言ってたでしょう。だからお断りしたの」と母親は言った。

 以前言ったことばを真に受けたようだった。それならその通りにしなければならないと璃瀬は感じた。最近仕事だけでは潤いがないと感じるようになっている。それは仕事に慣れてきた証でもあった。ようやく趣味や私生活に目をむける余裕が出てきたということか。

 かといって職場で交際相手を見つけるつもりはなかった。

「お姉ちゃんも何か趣味を持つといいのよ」と璃穂は平然と言った。

 璃穂に趣味があるとは思えなかったが、テレビで仕事をするのを夢見てきたわけだから、それが彼女にとって趣味だといえないこともない。かつては家庭教師のアルバイトで稼いだ金を、着飾ることに注いでいた璃穂だが、最近はFPから小さな仕事を貰うようになり、家庭教師と同じくらいの収入をあげていた。法学部の政治学科に在籍しているのだが、気象予報士の勉強も始めている。すべては将来のための実益を兼ねていた。ふらふら遊んでいるように見えて、実は考えて行動するしっかり者だと見直すようになった。

「今年はまた仕事に追われそうね」と璃瀬は言った。



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