第2話② 本社トレーナー 柚木璃瀬
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夏休みを迎えた。
夏休みのために採用されたレジ担当のクルーは全部で七名、そのうち五名が高校生だった。大学生二人のうち、
高校生のトレーニングはまさに璃瀬の腕のみせどころとなった。二年生三人、一年生二人という内訳だったが、それぞれ特徴のある子たちで、指導マニュアルに忠実に従っていては短期間で一人前にすることは困難だと思われた。とくにこの店での指導は、常勤契約のスウィングマネージャー
宮本遥は璃瀬より二つばかり年上だった。どの店にも璃瀬より年上の女性スタッフは数多くいたが、この二つしか違わないというところが微妙な隔たりを作るのだった。璃瀬は一流私大卒業の本社勤務のOL、遥は高卒で常勤クルーとなりすでに八年現場でたたき上げられたスイッチマネージャーである。すでにトレーナーとしてのスキルも多く習得していて、近いうちに璃瀬と同じトレーナーの資格も手に入れるはずだった。遥が自分より年下で学歴の高い本社の人間を目ざわりと思ったかどうかはわからないが、少なくとも二人揃って友好的に店を盛り上げようという意志はないようだった。
その微妙な違いは、アルバイトクルーの指導にも表れた。璃瀬も厳しく指導する方だったが、遥は特定のクルーに対して極端に厳しかった。どうも人に対する好き嫌いが激しいようである。
五人も高校生がいると、叱られてばかりいるキャラが出てくる。レジ業務のミスの半分以上を犯していたのは、
ふつうは勤務が終了した時に注意することが多いが、遥の場合は客が少なくなったと見ると、すぐに奥のキッチンへ呼んで注意する。「同じことを何度も言わせないで、だいたい雑なのよ、あなた、勉強はそこそこそれで通用するかもしれないけれど、この世界はスピードとともに正確さが大事なの」と古木理緒に対する注意には、必ず「勉強」だとか「頭がいい」といった言葉が入っていて、それを否定することによって自分のコンプレックスを慰めているように見受けられた。
璃瀬は遥にどうして理緒に対して激昂するのか単刀直入に聞いたことがあった。
「それはあの子の性根が坐っているからですよ。どんなに怒鳴っても、平気のさらさら、へとも思っていないでしょうね。だから強く言うんです。賢いくせにミスばかりするという言い方をすれば、本気になってやるはずです。それに比べて泊はだめです。あんな苛められっこキャラは萎縮するだけですね。だからもう、叱るより、後ろについていてフォローし、場合によってはこちらがやった方がいいです。あの子の指導は無理ですよ」
要するに泊留美佳はもう見限っているということだ。理緒に対しては根性があるとでも言いたいのだろう。確かに性格に対する見立ては璃瀬も遥もほぼ同様だった。泊留美佳は慌てるとミスが極端に増える。本来目が回るほど忙しい時間帯の業務は無理なのだ。それに叱責すると萎縮したり、パニックになったりして、さらにミスが増えるのも事実だった。一方の古木理緒はとにかく仕事が速い。レジでも信じられないスピードでこなしていく。数をたくさんこなすわけだから、ミスも多くなるという典型的な例だった。彼女は黙って体を動かしていくタイプらしく、他のスタッフと雑談することも少なかった。闘志を内に秘める、根性のある、という言い表し方も当然かもしれない。しかし璃瀬はトイレでこっそり泣いている理緒を何度か見た。それは遥も気づいているはずだ。隠れて泣くのを根性の指標にするのは如何なものかと璃瀬は思う。
しばらく一緒に仕事をしていて、宮本遥が目の敵にするタイプが何となくわかってきた。ミスが多すぎる泊留美佳は別として、遥の攻撃対象は古木理緒の他に、
宮本遥にとっては、美しく賢い娘が腰掛け程度でアルバイトをしている、ということ自体、どうにも我慢のできないことなのだと璃瀬は理解した。よく観察すると、この三人に対して向けられる目と同じものが、自分にも向けられていると璃瀬は感じた。しかし本社のトレーナーに対しては一切手が出せない。そこで身近にいる高学歴で美貌の娘たちに捌け口を求めているように思えるのだった。これは自分の考えすぎというものなのだろうか。
璃瀬は本社からアルバイトの指導をする際の注意を常に受けている。その中に心に残るアルバイト経験というのがあった。それは彼女らがたとえ短い期間のアルバイトだったとしても、お客様としては一生の付き合いなのだという点から来ている。肉体的にはつらかったが、クイーンズサンドのアルバイトは自分の人生にとって良い経験になった、やめた後も客として一生この店と付き合っていきたいと思わせるような体験をさせてあげること、という社の考えがこめられているのだ。だから璃瀬もそれを肝に銘じてクルーの教育に携わっている。叱る時も後に残らないやり方を常に考えてやっているつもりだ。ところが宮本遥にはそれが感じられなかった。彼女に理解してもらうには本社で研修を受けてもらうしかないのだろうか。
今日、明葉ビル店に本社の吉田部長とともにやって来たのは、吉田部長の気まぐれに付き合わされたわけだが、自分がシフトに入っていない状態の店を見る良い機会だと思うことができた。このところ、自分と宮本遥が同時に勤務が入ることはなくなっている。教育係が二人もいても仕方がないし、かえって混乱を招くと店長が判断したのだろう。そこのところは店長の江尻は狡猾に動くのだ。彼は自分が遥と合わないことをすでに見破っているに違いない。店をうまくまとめるために、そういう方法をとらざるを得なかったのだろう。特に自分は本社から来ている余所者だ。これからずっと一緒にやっていく人間とは違うのだから。
店はかなり混雑していたが、アルバイトクルーたちはみなうまくやっていた。
吉田部長は小一時間ほどいたが、満足げに店を引き上げた。璃瀬はその後、もう一店舗、自分が関わっている店を案内し、四時には部長を最寄り駅まで送り届けた。
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