第2話④ 本社トレーナー 柚木璃瀬


 日曜日はオフだったが、趣味も交際相手もない璃瀬りせは、どうしても仕事のことばかり頭に浮かんだ。妹の璃穂りほはFPの事務所へ向かったので、家には両親しかいない。ぶらぶらしていると何か言われそうなので外へ出ることにした。

 蒲田美香かまた みかにメールを入れる。彼女は確か早出で、一時までの勤務のはずだった。四つ違いの彼女とはたまに食事を一緒にする仲だったので、昼食に誘ってみた。店の近くまで車で迎えに行くと伝えると、「ご馳走になります」と返事が来た。

 駅のロータリーで、私服姿の彼女を拾うと、隣の駅近くまで車をとばす。密談をする時使うレストランへ入った。

 常勤のスタッフ以外から店の様子を聞きだすには、適当なアルバイトスタッフを見い出さなければならない。年配のパートスタッフは情報通ではあったが、こちらが喋ったことまであちこちに筒抜けになる可能性もあるので適当ではなかった。賢くて口の堅そうな人間ということで、璃瀬は蒲田美香に目をつけたのだった。

 七人の夏休みアルバイトの中で最年長の彼女は、思ったとおり最適の人材だった。美香はすでに明葉あけはビル店の常勤スタッフが限りなく不安定な均衡のもとに店を切り盛りしていることを見抜いていた。江尻店長とキッチンの松原チーフ、レジカウンターの宮本SWの三人がそれぞれの思惑を抱えながら、どうにかアルバイトを使いこなし、店を繁盛させることに成功していることも知っている。店に持ち込まれるクレームの数々とその対処、店の中における人間関係の構図とその微妙なバランス維持など、特定の人間に接近しすぎない彼女には、鳥瞰ちょうかんするかのようにわかったに違いない。

 璃瀬は自分があまり彼女に深く関わりすぎて、そのために却って警戒されることを気にした。

「大丈夫ですよ、こうしてお昼をご馳走になるくらい、他のスタッフともしていますから。柚木さんが特別というわけではありません」

 璃瀬が聞くと、今までに江尻店長や松原チーフにご馳走してもらったことがあるらしい。そういう時は、同じ大学生である赤塚亮子と一緒なので危ない目にはあわないと美香は笑った。なかなか彼女も世間慣れしている。

「店長やチーフが、高校生たちを特別に誘うことはないでしょうね?」と璃瀬は気にしていたことを聞いた。

「なるほど、本社の社員はこうやって、店の様子をチェックしているのですね」と美香は感心の様子を見せる。なかなか賢くて可愛らしい。

「チェックというほどのことではないけれど、中には常勤スタッフに言い寄られて困っている高校生クルーがいる場合もあるので、そういうことがないか知りたいだけなのよ」

「ううん、そうですねえ、キッチンの高校生がカウンターの子に声をかけることは日常的にありますが、そういうのは報告にあたらないのでしょうね?」

「そうね、それは学校生活の中でみられるようなことなのでしょう? 高校生がふつうに付き合いを申し込んだりすることまで禁止はできないわ。仕事に差しさわりがない程度で許されるでしょう。もちろん女の子の方が迷惑しているのなら話は別よ」

「意外に江尻マネージャーが目を光らせていますからね。お客様の中にカウンタークルーに声をかけるひともいますが、そういうことをしそうな客が入ってくると、江尻マネージャーは何気なく傍まで足を運んできますよ」

「彼が集めたクルーだからね、大事にしたいのでしょうよ」

 璃瀬は冷たく言い放った。

「何だか、柚木ゆずきさんは江尻マネージャーに厳しいですね」

「それは違うわ。私みたいな立場だと現場のスタッフから疎まれることが多いのね。きっと松原さんも宮本さんも、私のいないところで私の悪口を言っているでしょう?」

「そうでもないですよ。柚木さん個人に何らかの感情を抱くことはないと思います。あの方たちはきっと本社の人間ということで緊張しているのだと思います」

 夏休みだけのアルバイトにしてはよくわかっていると璃瀬は感心した。確かにそうなのだ。自分が人に恐れられるほどの人間でないことは重々わかっている。彼らは自分の背後に本社を見ているのだ。だから年下の小娘に媚を売るような真似までしようとした。挙句の果て江尻は自分をホテルに誘って味方に引き入れようとしたのだ。浅はかな連中だと璃瀬は彼らを見下した。

「わかったわ」と璃瀬は話を変えた。「じゃあ、宮本SWの指導が厳しすぎるということはないかしら」と、璃瀬は自分が気にしていることを口にした。

「厳しいのは、柚木さんも同じですよ」と美香は笑った。ふだん直接璃瀬に叱られることのない美香だからこそ、こういうことが率直に言える。それとも彼女の天衣無縫の性質が言わせているのか。

「私のことはさておき」と璃瀬は苦笑しつつ、本題に入った。「古木さんに対して厳しすぎるということはないかしら?」

「理緒ちゃんは、少し雑なところがありますからね。仕事は一番速いんですけど、こなす数が増えるとミスも増えちゃいますよね。私も注意したいと思うことがよくあります。でも他人を注意するほど自分は偉いわけでもないので言いません。宮本さんが指導するしかないのではありませんか?」

「それにしても言い方がひどくないのかしら?」

「私だったら泣いてしまうかもしれないですけれど、何しろ彼女は肝が据わっていますし、それに反骨精神も旺盛ですから。この間、一緒に地下のゲーセンに行ったんですけれど、彼女、『こん畜生! 宮本の糞ばばあ!』とか叫んでもぐら叩きをしていましたよ。ふだんポーカーフェイスで愛想もないのですけど、顔を真っ赤にして怒っていましたね、あれで発散しているのではないですか? あ、これは内緒にしておいてくださいね」

 それは意外なことを聞いたと璃瀬は思った。そのような発散の仕方ができるのなら心配要らないのかもしれない。

「今の高校生はみんな頼もしいですよ」と美香は年寄りじみたことを言った。

 彼女が年寄りなら自分は何だろうと璃瀬は困惑する。

「あづさちゃんも、富貴恵ちゃんも、叱られてもどこ吹く風といった感じですよ」

 あの二人は確かにそうだと璃瀬も思っていた。二人ともマイペースで、自分の世界を持っている。他人がどうこう言おうが全く意に介さない。こういうタイプが長続きするのだと、璃瀬も経験的にわかってきた。

「ありがとう、また話を聞かせてね」

 璃瀬は美香に礼を言って、今後も中の情報をそっと教えてくれるよう頼んだ。


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