体育

 曇天の下。

 二ノ宮サヨリは体育の授業に参加していた。子供は風の子と言うが、外は寒い。風邪の子となってしまえば洒落にならないだろうに、体内を駆け巡るナノマシンたちが簡単に治してくれるので洒落になる。……尤も、駄目な方の洒落だが。

 その上、虫たちは常に適温に調整してくれるので、風の子にもならない。ぬくぬくの子である。

 さて、今回の種目はリレー。順番は最後の方で、それまで暇だった。運動音痴ではないにしろ、二ノ宮はあまり身体を動かすのは好きではない。

 友人の一ノ瀬エマはと言えば今日も見学。木陰で穏やかな表情を浮かべ、微笑むようにしてうたた寝している。彼女は病弱で、だからこそ体内に機械を入れることができないらしい──が、月に一度の注射が怖いだけなのではと二ノ宮は疑っている。

 或いは、単に運動が嫌いなのか日々のメンテナンスが面倒なだけだろうか。と、二ノ宮は考える。メンテナンス──それは医療用回路タトゥーを走り回る虫たちの交換である。あまりにも小さいために耐用期間が一週間で、その都度老廃物のように取り除く必要がある。壁に取り付けられた手形に触れることで、──まるでキスで菌が入り混じるように──回路を洗浄できる。

 その上、回路自体のメンテナンスのために注射を打つのだ。二ノ宮サヨリはこれが嫌いだった。

 思案から現実に戻ってきて、二ノ宮はコースに立つ。ふと一ノ瀬を見ると、ひらひらと手を振ってきた。

「起きてた」

 バトンを受け取り、二ノ宮は走る。回路の中を動く虫のような錯覚に陥り、不可思議な気分になった。と、足がもつれて前のめり。地面の方からやってきて、意識は一瞬途絶えた。

 気がつくと既に倒れていて、視界には白い雲が映っていた。目が悪くなったのかと思ったが、そうではないらしい。これだから運動は好きじゃない──二ノ宮はそう思った。次いで、痛みが遅れてやってきた。膝を擦りむいたらしい。

 先生が駆け寄ってきて、近くを飛んでいた虫を呼んだ。蚊を模したそれは分泌液を打ち込むと、怪我した箇所の痛みが幾ばくか和らいだ。

「保健室に行きましょう」と先生が言う。

「私が連れて行きます」それは一ノ瀬エマの声だった。「私、保健委員なので」

 授業を抜け出して廊下を歩く。冷たい空気と相まって、静かな時間が心地良い。

「怪我は大丈夫?」一ノ瀬が顔を覗かせる。

「大丈夫。それよりも、感覚がないってことの方が気持ち悪い」

「それよりも、傷口に虫が飛んできたことの方が気持ち悪い」

「……一理あるね」

 声と足音とが響いて、二人は押し黙った。保健室に入ると、輸血用ジェルを塗りたくり、細胞膜ばんそうこうを貼ってもらう。

「ねえ、どうしていつも体育に参加しないの?」二ノ宮は聞いた。

「うーん」一ノ瀬は唸って、「訳を話すと長くなるんだけど……」

「そう前置きするときって、大抵話は短くなるよね」

「ほら私って病弱じゃん?」

「傍目ではわからないけど──むしろ、そんな子のために体育の授業ってあるんじゃないの? 体を育むと書いて、体育」

「"育った体を強化する"の間違いじゃない?」

「間違いじゃない」

「うん」一ノ瀬は苦笑して、「ここだけの話だよ」

「なに?」

 きょろきょろと周りを見てから、一ノ瀬は二ノ宮の耳元で囁いた。

「昨日、夜更かししちゃって……」

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