16冊目〜紋章の付いた封筒〜

 

 政務棟の廊下は相変わらず、人がよく往来するためにそこかしこで人の気配がある。

 しかし、足音があの書庫と違って足音が耳につかないのは、廊下に敷き詰められた緋色の立派な絨毯がそれを吸い取ってしまうからだろう。


 時刻は昼下がり。

 外の厳しい冬の寒さを和らげるように廊下の窓枠からは零れる日が柔らかく落ちている。

 アイリスに頼まれた書類の届け先から戻ったら彼女とのお茶の時間になるだろうといったそんな頃。


「失礼、呪読師の護衛役、フレドリック・バードンどのでしょうか?」


 そう、後ろから声をかけられた。

 振り返るとこそには執事服を着た男が立っていた。


「はい、そうですが……」

「私は然るお方の使いで参りました。こちらを呪読師どのにお渡しください」


 そう言って彼はフレドリックに封筒を手渡すと、それ以上何を言うでもなく一礼し去って行く。


 ---俺も早く戻るか

 今日はどの本の話をしようか、フレドリックも踵を返した。



 ほんのわずかの間に済まされた授受。

 それは誰の目にもとまることがなかった。




 ###




「ただいま戻りました」


 書庫に帰ると、本棚の影からアイリスが顔を見せた。


「おかえりなさい、ちょうどいいですし一息つきましょうか」


 そう言って彼女がお茶の準備を始める。


「ああ、そういえば。さっきこれを渡してくれといわれました」


 そんな彼女に差し出したのは先程使だといった男に渡された、紋章のついた封筒。

 フレドリックにはこの紋と付けられた封蝋に見覚えはない。

 ---どこかの家の紋ではないようだな、そうだったら知っているだろうし……何の紋だ?


「……」

「アイリスどの?」

「……いえ、何でもありません。ありがとうございます」


 それは珍しく明らかな狼狽。

 しかしそれを隠すというのなら。

 ---あえて深く聞くことでもないだろう。


「予定ができてしまったので、今日は早めに終業にします。貴方も今日はこのまま就業して構いません」


 受け取ったものの中を見ることなくアイリスは立ち上がるとそういって書庫の奥へと去って行った。

 ただ一つ、それはほんの一瞬のことだったが、その封筒に彼女が向けたのはひどく冷たい目であった。



 ###




 蝋燭の頼りない光だけがユラユラと灯る暗い部屋には布を絞るたびにジャバジャバと小さな水音が立っていた。

 白いキャミソールの薄着になった少女は盥の上に立ち、体を拭き清めていた。

 汲んだ水の冷たさが浸して絞った布を通して染みてゆき、拭った箇所から冬の夜の外気によってさらにじわじわと熱を奪われる。


 一通り体を拭い終わると、少女は部屋の壁にかけていた服を身に着けていく。

 白いビショップスリーブのブラウスに黒のジャンパースカート、足元には編み上げのブーツ。

 本来はここにフリルのたっぷりついたパニエやリボンタイ、ひらひらと各所各所に飾りがついていたのだがそれらは変にならない程度に取っ払ってしまった。

 どうせ、人に会う際はローブを纏ってしまうため誰に咎められることもない。

 ---もしソフィ姉さんがこの服を見たらきっと、「女の子らしくない!可愛くない!!」と叱られてしまったのだろうけど……


 サッと心に過ぎ去った感情を押し込めて身支度を整えていく。

 ウィル兄さんがソフィ姉さんにそして、その後私に受け継がれた呪術師長の紋が入ったの闇色のローブを纏う。

 ローブは少し大きいために少女の姿をすべて覆い隠してしまえるほどであった。


 少女は身に着けたローブを一撫ですると亜麻色の髪に櫛を通し、丁寧に結いあげる。

 仕上げにローブのフードを被ってしまえば、そこには世間で『智の番人』、『書庫の賢者』と呼ばれる「呪術師どの」が出来上がる。

 そう、これは少女が呪術師になるそのための儀式なのだ。


部屋の隅に追いやっていたテーブルの上からを懐にしまい、燭台を手にして部屋を後にした。




 ###




 部屋を出た少女は二つあるカギの一つを使って今出てきた部屋を閉じる。

 こんなところに物取りなんて来ないだろうけれど、一応ここは自室であり、なんとなく気分的にもその方が安心するので施錠する。


 自室の扉を閉めるとカウンターを横切って書庫の外に出る扉の鍵を開く。

 新しく護衛役となった本が好きなのだという彼は鍵を掛け忘れたといったことが今まで一度もなかった、本当にまじめな人のようだ。


 最近、そんな彼との昼下がりの小さなお茶会がほんの少し楽しみなのである。

 それはどこか懐かしい、そう彼らと共にいた時間を思い出すから。

 ---今日はあまり話ができませんでしたね……明日は何もないといいのですけど



 書庫の深い飴色の扉の鍵を掛け直し、真っ白な渡り廊下を歩いていく。

 ここに来るものを威圧するように、この先にいるものを隔離するように作られたこの空間はあまり好きではない。

 コツコツとこの空間のように冷たく硬質な足音が響いて消えた。



 書庫の入口となる渡り廊下の端までたどり着くと、目の前の扉にまずは二度、間をあけて再び三度ノックをすると、ガチャリと鍵の開く音がする。

 そして、手をかけないままに外へと続く重たい扉は開かれる。



「呪術師どの、お迎えに上がりました」



 そこにはすでに呼び出し人の使いの男が待っていた。



 ###



 使いの先導者に連れられて無駄に装飾の多い暗い廊下を無言で進んでいく。


 着こんだローブは小柄な少女には少し大きい。

 僅かに裾がすれる音が歩くたびに耳につく。


「こちらです」


 その声と共にたどり着いた金で縁取られた白い扉が開かれた



 部屋に入り、数歩。

 そして、ひざまずくと頭をたれる。





「王宮呪読師、召集に従い参りました」

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