9冊目〜呪書「魅了」〜

 




 目が覚める。


 その瞬間はいつも突然だ。

 朝日が昇る時。

 昼寝をやめる時。

 うたた寝から意識がかえる時。


 この瞬間は誰でもぼんやりとしているものだろう。

 そう、例えばぶっ倒れた後の目覚めだってそんなもんだ。







 ###


 フレドリックが再び意識を取り戻した時。

 視界に広がっていたのは暗くなった部屋の古い木の敷き詰められた高い天井だった。

 何処の天井なのか、なぜ天井が見えるのか。

 ぼんやりとしてまとまらない思考の中で何度か瞬きをする。


 そうしてようやく視界と意識が覚めてきたところに亜麻色が入り込んできた。


「目が覚めましたか」


 すぐ近くから聞こえたのは少女の声だった。

 一瞬飛びそうになった思考を無理やり引き戻して「あ、はい」と返事を返す。

 と同時にフレドリックは自身の所在について結論を出した。



 ここはいつもの書庫、自分が倒れたその場所にいるのだと。



「気分はどうですか?起き上がれますか?」

「はい、大丈夫です」


 立て続けに少女から尋ねられた質問にそう変えると、ゆっくりと上体を起こす。

 いつの間にか、あのタールのような不快感やだるさは消えていた。


 おもむろにあたりを見回すと、いつもより少し暗いものの見覚えのある部屋の景色が広がっている。

 ---まさかこの部屋を見て安心する日が来るとはな……。


 ふっと自嘲していると、少女がずいっと人差し指を目の前に出してきた。


「えっ、あ、あの?」

「確認です。そのまま少し指の先を目で追ってください」


 そう言うと、少女はじっとこちらを見たままにスイっと水平に指を動かす。

 そして、ある程度まで行くとまた反対の方向に同じようにゆっくりと水平に動かした。


 フレドリックは言われたとおりにそれを目で追っていたが、途中向けられた視線が気になってついついちらりと少女の方を盗み見た。


 自分を観察する少女は真剣そのもの、そしてそれは同時にどこか不安気にも感じられた。

 ---そういえば、こいつの瞳、薄紫色だ。あんまじっくりとは顔合わせないから気が付かなかった。って、そんなことはどうでもいいっての。


 その後も何度か左右に指を動かし、ふうと安心したように小さく息をつき。


「大丈夫そうですね。もう結構です」


 そう言って、指を下した。

 彼女の表情はもういつも通りだった。


「ありがとうございます。お手数をおかけしました」


 フレドリックの方もしっかりと猫を被り直す。


 もうそこはいつもの書庫だった。


「いえ、こちらが不用意に呪書を置いてしまったことも原因です。でも」


 彼女の目がキリリと鋭くなる。


「『不用意に本には触らないこと』と言いましたよね?」

「それは、その……ハイ」


 その圧で言い訳は出てこなかった。


「…今回の呪書は『魅了』の効果のみがまだ残っていただけの状態だったので、意識が本に吸われただけでまだ命にかかわるようなことにはなりませんでしたが、他の効果特に殺傷性のある呪いが残っている呪書もここには多く保管されています。以後お気を付けください」


 そう言うと彼女は立ちあがって一礼した。


 その姿を見て、フレドリックの口から出てきたのは、

「はい、分かりました」その一言だった。



 ###


「では、こちらの封筒を明日、上官の方にお渡しください。そのあとは一日安静にして。一応、こちらの『毒消し』をお渡しするので水と一緒に一瓶飲み切ってくださいね。ゆっくり体を休めてください。」


 そのあとはあれよあれよという間に帰り支度をさせられ、いつの間に用意したのか、三通の封筒と紫色の小瓶を持たされ、書庫を出る時には明日一日は休養を取るために休むことになってしまっていた。




 気が付けばパタンと閉じられた書庫の扉。

 そこに背でもたれる。

 右手に持たされた小瓶が今までの出来事が現実だと静かに物語っている。


 小瓶を眼前にかざすように持ち上げる。

 瓶の中の液体は真っ白な渡り廊下が反射した月の光を受けてゆらゆらと揺れていた。



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