7冊目〜『味方』〜

 

「今日の業務はここまでで結構です。お疲れ様でした。」


 文官が帰っていったその直後、呪読師であるはずの少女は突如としてそんなことを言い出した。


「まだ、終業時間じゃないですよね?」


 そう、今はいつもの午後の半分くらいを過ぎた時間であり、その証拠に普通の部屋より高い場所にある小窓からわずかに入ってくる日の光は傾き始めたところといった具合だ。

 明らかに仕事を終えるには早すぎる。


「解呪の案件があったので今日はもう書庫を閉めます」

 フレドリックが怪訝そうな顔をしたからか、少女の口調には少しツンとした気配が混じる。

 だから納得はしていないが「なるほど、分かりました」と目の前の少女が望むであろう返答を口にした。


 案の定、フレドリックの返答を聞いた少女はこちらを一瞥することなくそのまま応接用の道具を片づけを始めた。

 フレドリックの方も自分に割り当てられた机の上をさっと片し、もうここで「では、お疲れ様でした」と書庫を後にする。




 はずであった。




 でも結局それはできない。

 彼にはどうしてもその疑問を問うことをしないまま、飲み込むことができなかった。



「……呪読師どの、一つ質問よろしいでしょうか?」

「何でしょう」

「何故、彼らに貴女が呪読師長だと言わなかったんです?」



 帰ると思っていた者が不意にそんなことを言いだしたからだろうか、何をするにも音一つしない少女の方から珍しくかちゃりと茶器同士がぶつかる音がした。


「…何故とは?」

「いえ、ただの興味です。彼らは王に仕える文官です。その彼らを偽る理由を教えていただけないかと」


 僅かに不信感を漂わせる彼女を刺激しないよう、フレドリックの方は反射的に冗談めかしたように最上級の猫を被ってそう続けた。


 しかし、その行動は裏目に出てしまったらしい。

 ここからでは顔こそよく見えないし、いつも以上に口を堅く閉ざしているが、少女の気配はフレドリックが言葉を続ければ続けるほど、まるで氷の剣が研がれていくかのように冷たく鋭いものになっていく。


 ---あー、これは珍しく失敗したやつだ。

 入り込みすぎたことを半ば後悔し始め、この場をどう誤魔化してこの部屋から立ち去ろうかとそんなことを考え始めた。



 その時。


「……王に仕えているからといって『味方』であるとは限らないからですよ」


「え? それってどういう……」

「これ以上は貴方には関係ありません。ほかに用件はありますか?」

「あ、ああ。失礼しました。では、お疲れ様でした」



 急に沈黙を破った少女の吐き捨てるように呟かれたそんな発言の意味を飲み込む間もなく、フレドリックはバタバタと書庫を出たのだった。



 ###


 翌日。

 気まずさで重たい足を引きずりながらフレドリックが向かった書庫には、ふとするとそこに存在するかわからなくなるほど空気に溶けたいつもの無表情、無愛想。

「本日は通常業務です。では、私は奥で作業をしているので……」そんな朝の定型文を述べあげると一礼して本の森に消えていった。


 あの氷の剣のような彼女の気配が悪い夢だったのではと錯覚してしまいそうなほど彼女はいつも通りで。


「本当になんなんだ」


フレドリックは益々わからなくなってしまうのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る