2冊目〜『本の世界』〜

 資料や書物を持った文官や政務官達があちらの部屋からこちらの部屋へ、こちらの部屋からそちらの部屋へと、毎日慌ただしく動き回り働いている王宮内の政務棟。


 その廊下を奥へと進めば、誰かの執務室や会議室ばかりだった部屋が資料室や書庫に変わり、雑踏が遠のき、人も徐々にまばらになっていく。






 そして、聞こえる足音も自分の者だけになり、人の気配が周りからなくなってもまだ続いていた薄暗く長い廊下の終着地点。




 そこにはその存在だけでその前に立つものを圧倒するような荘厳で重厚な扉が壁に掛けられた蝋燭の光を受けながら静かに佇んでいた。












「まさか……ここの扉の先に呪読師がいたとは」












 フレドリックは目の前の扉に圧倒されながらポツリと呟く。




 この扉の前は三番隊に入ってから王宮内の巡回で一度は通ったことがある。


 が、まさかこの先に呪読師がいるとは思っていなかった。






 フレドリックは渡された地図をもう一度見つめ、確かにそこが指定された場所であることを確認する。




「目的地はこの扉のさらに先か……」




 と、地図の隅に青いインクで文字が書かれているのに気が付いた。






『一枚目の扉の前に着き次第この地図を燃やし、先に進んでください』






 どうやらろうそくの火で燃やせということらしい。


「随分用心深い性格なんだな……」






 そんな些細なことから、今日から護衛対象になる「呪読師」の人柄にほんの少し触れた気がする。


 一体どんな人物なのか。








 じりじりと燃えていく地図に呼応するように、小隊長のグレアムもよく知らないと言うこの人物に、これからの不安と好奇心の入り混じった感情が湧く。




 その感情を深呼吸をして押し殺し、フレドリックは鍵を開け、目の前の荘厳な扉の中に入って行った。




 扉の奥に広がっていたのは渡り廊下。


 日の光の降り注ぐ真っ白な空間とその先の硬質な雰囲気の漂う、深い飴色の扉。




「なんだここ……」




 圧倒されながらその扉に辿り着き。


 フレドリックはノックをした。




 ところが、いつまでたっても中から返事が返って来ず、かといってこのままずっとここで待っている訳にも行かない。




「仕方無い」




 フレドリックは意を決し、部屋の中に入って行った。




 ♯♯♯






 扉の先。


 部屋が魔法具の照明でぼんやりと照らされているそこは、まさに『本の世界』だった。


 天井まで届きそうな大きさの本棚の列、本の山、古いインクの匂いに圧倒されるようだった。




「ほんとに本ばっかりだ……。あれ? 誰も居ないのか?」




 フレドリックは我に帰ると、人の姿を探すが、カウンターらしき場所の中はもぬけの殻だった。




 ---おかしいな……今日はずっと書庫にいるってって聞いたし、引きこもりのはずだろ?何で返事が返って来ないんだ?




 不審に思いながらも、声を張り上げる。




「失礼します! 本日付で呪読師の護衛役に配属されました。王宮騎士団第三番隊 フレドリック・バートンと申します! どなたかいらっしゃいませんか?」




 いくら待っても何の反応もない。


 首を傾げながら、フレドリックは仕方なく部屋の奥に広がる、本棚の森に足を踏み入れた。




 ###




「すいません! どなたかいらっしゃいませんか?」




 声をかけながら奧へ奥へと進んで行くのだが、一向に返事も人の姿も、果てには気配すらなく。




 あるものと言えばどこを見ても変わらない、天井まで届きそうなほどの本棚の群れと、その間にたまに現れる小さな高窓、ぎっしりと詰められた本、本、本。




「……ほんとに居るんだろうなぁ」




 フレドリックは悪態をつき、そして、とうとう最後になった本棚の列を覗き込きこみ……。








 次の瞬間、その先にあった光景に目を奪われた。




 一瞬、本の妖精か精霊でもいるのかとそう思った。


 そこには今までのぼんやりとした光しかなかった本棚の暗さとは一転、植物の蔓を模して作られた窓柵に人が一人座れるくらいの大きさの出窓、そこから柔らかな日の光が降り注ぎ、その一角を照らしている。


 亜麻色の髪をおさげにし、丸い眼鏡をかけた少女はフレドリックより少し年下くらいに見える。


 窓の位置が少し高いのか、窓辺に腰掛けた少女の足は床から少し浮いていた。


 少女は視線を本に落とし、時折、ぱらりぱらりと本のページをめくっていた。






 




 しばらくフレドリックが目の前の絵画の一幕のような光景に声を掛けずに立ち尽くしていると、






「誰?」




 フレドリックの方を全く見ずに、本に視線を落としたままの少女が少し不機嫌そうな、訝しげな声色で尋ねてきた。




「失礼しました。本日付で呪読師の護衛役に配属されました。王宮騎士団第三番小隊所属フレドリック・バートンと申します。どうぞお見知り置きを」




 フレドリックはサッと女性受けの良い、いつもの表情と綺麗な礼をする。


 少女は一瞬チラリとこちらを見たかと思うと、直ぐにまた本に向き直り、




「……そうですか。すみませんが今、手が離せないので、入口付近まで戻って左手の方にある椅子に座ってお待ちいただけますか」




 全く持って感情の伴わない、静かで淡々とした口調でそう返してきた。




 ―――は?




「……いや、あの」


「お待ちいただけますか?」




 フレドリックが何か言おうとした途端、少女の口調が先程と同じ淡々と、だが有無を言わせない物になり、結局。




「……分かりました」




 そう言ってフレドリックは大人しくその場を離れたのだった。




 ---なんだアイツ、可愛げがねー。何が『手が離せない』だよ。絶対、ただ本読みたいだけじゃねーかよ。




 少女に言われた入り口まで引き返す途中、表情こそ変えないものの、フレドリックの内心は荒れに荒れていた。


 


 ---まさかあれが護衛対象? 俺とそんな歳の変わらなそうな、あんなくそ生意気そうな小娘が?……いやいや、あんなのが『知恵の番人』や『書庫の賢者』な訳無い、無い。どうせ助手かなんかだろ。どうせそうだ。いや、そうに決まってる!




 嫌な予感が一瞬頭をよぎる。が、まさかと、フレドリックはそのまま流してしまうのだった。




 ###




 入り口付近まで引き返し、言われた通りに椅子に座りしばらく待っていると、本棚の森の奥から足音がやって来るのが聞こえた。




 ---あっ、来た。




 本棚の森の奥から眼鏡を外した少女が現れ、そのままカウンターの奥の扉の部屋に入って行く。


 少しして、扉の向こうから紅茶の乗ったお盆を持った、やはりあの少女のみがフレドリックの待つ方にやって来た。






「お待たせしました。」


「いえ、大丈夫ですよ」




 フレドリックは笑顔を貼り付けたまま出された紅茶を飲み、一息いれると、目の前に座り紅茶を飲む少女に聞きたかったことを尋ねた。




「それで、あの……呪読師殿は」「私です」


「へ?君が?」




『呪読師殿はどこに居るのか』そう聞こうとしたフレドリックは、割って入ってきた少女の言葉に、おもわず聞き返してしまった。


 先程は気が付かなかったが改めてよく見ると確かに目の前の少女の服装は王宮に勤めている女官の仕着せの装飾を全て取り払ったもので……。




 ---まさかそんな………冗談。






「……改めまして、お初にお目にかかります。私がこの書庫の責任者で王宮呪読師長、貴方の護衛対象です。よろしくお願いいたします。」




 目の前の少女は立ち上がると、無表情のまま、フレドリックに向かってお辞儀をした。




 嫌な予感の見事な的中にフレドリックは顔を引きつらせたのだった。














 そしてこれが『本の虫』とその『護衛騎士』の出会いであった。














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