第4話犬、滑り落ちる
こんな話を好んで読む暇人が何人いるかな、そんな空想に耽りながら、車は第二京阪寝屋川北インターチェンジを目指す。
教習所並みの安全運転で、車体は暖秋の空気を切り裂いてゆく。西に並行するのはJR学研都市線。撮り鉄も避けて通るような、凡庸な写真しか撮れない普通の風景、線路に沿ってストレートに伸びる車道も、寝屋川公園駅周辺まで続く。(東寝屋川駅は2019年に寝屋川公園駅に改称、グーグルマップで判明した。油断も隙もない、調査漏れに気をつけねば)
忍者っぽい名前の駅(忍ケ
古代遺跡が発掘されるような未掘削のその場所で、私は現場の作業員に激怒したことがある。肉体労働の世界は上下関係が厳しく、大半の労働者は荒っぽい性格の人が多い。応援と言っても、しょせん下請け扱いされるのが通例。実際の労働より、言葉や態度が不興を買い、執拗な罵声を浴びせられ続け、当時若かった自分に忍耐力はなく、怒鳴り声を上げて元請けの作業員を一喝。
作業員も私のあまりの勢いに沈黙。普通なら居た堪れないので、衝突があればその場から逃走する労働者もいるが、当時気の迷いから信仰を志した自分は『怒りを抑えろ』の教えを思い出し、じゅうぶんさんざん怒ってから教えに従った。怒りを抑えたあと、マンホール内で作業する目上の作業員に謝罪し、その日の工事が終わるまで、仕事を続けたのである。
ちゃんと謝ったせいか、この作業員とは後々現場で一緒になっても、普通に会話するようになる、若気の至りは誰にでもあるなと、現場近くを通り過ぎながら思ったりもした。
小高い丘を緩やかに車は登っていき、坂の途中で信号待ち。ブレーキは軽く踏んだつもりだったが、犬はクッションごと後部座席下に滑り落ちた。落差が2、30センチほどだったため、犬はかぶさったクッションの下でもぞもぞ、鳴き声をあげることもなく、重傷でもないようだ。
私は信号待ちの間にサイドブレーキを引き、クッションをシートに戻し、犬の胴着を背中から掴んで、そのままクッション上にクレーン移動。空中で足をバタつかせることもなく、吊るされた犬は定位置に着陸。クルクル回ってから私の顔を見つめた。
無言で抗議するお犬様の無事を見届けると、サイドブレーキを戻しアクセルを吹かす。ハプニングを乗り越えるたび、犬との親睦が深まることを実感する私は、マイペースに車を進めた。
気合入れれば、ママチャリでも一気に登りきれそうな坂道を終了し、平地に差し掛かる。助手席のフロントガラスごしに見える、令和元年の記念すべき年に閉店したスーパー跡地には、高層マンションを建造中。(跡地光景は記憶にないので、グーグルマップを借用すると、日本食レストランらしき店名。真偽の程は読者個人で確かめよう)
部活帰り高校生だった数十年前に、1度だけ今はなきスーパーに、部員と立ち寄ったことがある。確か地下のフードコートで何かを食べた。白飯にまでソースをかける大阪人なので、タコ焼きかお好み焼きに違いない。他の部員はホットドッグ・焼きそば・クレープ・ハンバーガー、とにかく安くて腹が膨れれば、なんでも食う年頃、読者は想像して餌を与えてください。
グーグルマップのストリートビューには、在りし日のスーパーの勇姿が、更新されずに掲載されていた。時の流れの速さについていけないのは、私も天下のグーグルも一緒だね。なんか安心した。
古いタイプのカーナビより、遥かに優秀なマップ機能に、カルチャーショックを受ける作者と違い、この日の私は上機嫌でドライビングを楽しむ。
バチバチのライバル関係にある、ドラッグストアを右に左に流し見る。続けて看板に自慢げな『炭火焼きとこだわりのご飯』の文字。酒を飲まない私は居酒屋を平然とスルー。その隣にアリの数より多いと感じるコンビニ。いちいち表現していては、可処分時間を無駄にするので、記憶の
T字路の交差点、左のウインカーを点滅させ、ハンドルをゆっくり回す。
おっと、極彩色の巨大建造物がそそり立っていたので、わき見運転に気をつける。低所得者層から金銭を絞り上げ、最後は自主的に借金地獄へと転落させるために造られた、貧乏人のパラダイス。夢の遊戯場は夜遅くまでネオンを灯す。
私も貧乏人だが、ギャンブルはしないし興味もない。従って一生涯この遊戯場の経営に貢献することはないだろう。パラダイスの住人よ、悪く思わないでくり。
悲壮感を持って眺めていると、電撃殺虫器に吸い寄せられるように、大勢のギャンブラーたちが、巨大建造物に飲み込まれていく。それを横目で確認しながら、貧乏人と老犬を乗せた車は、1度西に進路を向けた。
10数メートル直進後に、学研都市線をまたぐ高架道路手前の信号で一時停止。両サイドは、私がエコ
コンビニの方はと言えば、
終点の
くだらない回顧録にうつつを抜かす私に、犬は尻を向け、ときどき立って、運転手の白髪混じりの頭を見る、冷めた目で。
赤から青に変わった信号と同時に、借り物の車は直進。寝屋川公園を突き抜ける。
高校時代、公園のテニスコートまで通い、部活動に汗を流した。パナソニック創業者の、松下幸之助が卒業したと噂の高校で、新設されたばかりのテニス部キャプテンを拝命した私は、顧問の先生が学校の許可なく、勝手に設営したテニスコートが使用できなくなり、駅を4つ5つ越えて、わざわざここまで硬式テニスをやりにきていた。
創設されて一学期後に入部した後輩に、あっと言う間に実力で追い越され、形ばかりの部長であることが
しかしだ、時間と共に、どんなに努力しても及ばないものが世の中にはあると、理解したのもこの時かもしれない。
以来、自分の
ややロンリーモードの私が操るコンパクトカーは、運転手にだけ愛想のない老犬と共に、第二京阪道路の手前にさしかかる。ちょうど良い秋の空気が、少しだけ下げた窓の隙間から流れ込み、公園の樹木の香りを風に乗せ車内へと運んできた。
目的地はまだまだ先だ、気長に行くとしよう。
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