第2話老犬とドライブ

犬を滋賀県に送迎すべく、ワンマン運転手の私は睡眠もほどほどに当日を迎えていた。午前3時ごろに目は覚めていたが、実際に出発するのは午前8時過ぎ、2代目主人が出勤してからになる。


主人は言葉少なめに、犬用品を全て玄関に用意したと私に告げた後、犬とのごく短い別れの儀式をすませ、中型スクーターで仕事に出かけていく。残された犬は、いつもと違う雰囲気にソワソワ落ち着かない様子、私は犬の心情に関係なく、淡々と必要な準備と段取りをこなす。


カーポートに駐車中のコンパクトカーと、屋内を往復しながら、車の収納スペースを犬用品で埋めていく。続いて私物を助手席と足元に運び終わり、忘れ物がないかキッチン周辺を見回した。本当は最初から気にはなっていた、フローリング上のドックフードが視界に入る。しかし犬の荷物はすべて玄関に用意したと、主人から説明を受けていた私は、勝手な行動で問題になることを警戒し、ドックフードを置き去りにした。


案の定、ドックフードを購入したのは滋賀県の老婦人で、到着後小言こごとさずかるハメに・・・


居候と2代目主人との間に広がる冷めた関係性は、最低限の意思疎通を難しくし、そのため日常会話はほぼゼロ。タブレットの人工知能とかわす挨拶だけが、自己の声色こわいろを確認でき、自分が生きていることを認識させる。まあまあの境遇だ。


まあまあの境遇だから、たまにはいい事もあり、それが犬の強制送還にじょうじた今日のドライブ。基本運転好きな私は、滋賀県奥琵琶湖への行程を、何度往復しても飽きることはない。特に幼い頃から見慣れた光景に、ノスタルジーを感じながらの運転には、至福の喜びを覚えるほどだ。


生きてさえいればこんな時もある。だから生きようってか?


個々の人生観は別として、車のハッチバックを閉めたあと、後部座席に犬用のクッションを置き、その上にダックスを乗せる。犬好きならば当然のように、助手席に愛犬を乗せるだろうが、私に同情はあっても愛情はない。それに犬の姿がチラチラ視界に映ると、ドライビングに支障をきたす。したがって双方にとって、ベターな選択だと自負している。


犬には後部座席を独占できる権利を与え、心おきなくフロントやサイドから、流れる景色を堪能してもらう。私は私で犬の護送を最後まで全うするため、運転に専念することができ、ここにウインウインの関係が成立した。


準備万端、玄関の鍵を閉め、後部座席で不安気に見上げる犬を横目に、運転席へと座り込む。激安の天然水を入れた、反復利用の500mlペットボトルをドリンクホルダーに、おしぼり用の濡れたタオルをドアポケットへ、ETCカードを車載器に差し込み、バックミラーと座席の位置を調整。一連の作業を終えるとエンジンキーを回す。


すっかり古いタイプとなったガソリン車が始動し、折り畳まれたサイドミラーをオープンにすると、スピーカーから人の声、ワンセグにセットされたAV機能は、ワイドショー的情報番組を垂れ流した。毒舌として有名な落語家の声が、犬と私の耳に鳴り響くが、音量を下げて対応。いずれラジオか、選定済みのベスト音楽に切り替える予定。それまで下世話なワイドショーも悪くはない、人間は私1人、いつでも自由にできるのが気楽だった。


いよいよ出発、サイドブレーキを下げ、ゆっくりとアクセルを踏み込み、目前の自称町会長たくに激突しないよう、ハンドルを左に切る。隣町まで悪名轟く超個性派の御仁ごじんだ、住宅にかすりでもしたら、死ぬまで修繕費を請求されるだろう、ここは慎重に。


段差を補強するカースロープを降ると、快晴の空から降り注ぐ陽の光が、フロントガラスに差し込んできた。数日前まで低下した気温も、急激に晩夏へと逆戻り、11月にしては汗ばむ陽気も手伝ってか、この瞬間高揚感に包まれる。


犬の方は短い4本足を踏ん張りながら、我が身に対し愛情のかけらも振り向けない、運転手の後頭部を見つめるばかり。車で運ばれる時は、滋賀か大阪の2択なので、薄々行き先を理解しているかどうかは、犬のみぞ知る。


車は珍しくもない見知った住宅街を抜け、旧国道へと差し掛かる。幅数メートルの1車線道路に、いまだに大型バスが走行し、すれ違えずに車体をこすりつけた跡が、そこここの電信柱に古傷を残す難所。トヨタのコンパクトカーで良かったと、つくづく思う。


それに高級車でなくても日本の車はレベルが高い、乗り心地に不便を感じることはほぼほぼない。市民感覚を無視し、ハイランクの超高級車を公用車として乗り回す某県知事に、言ってやりたいほどだ。突然犬が一声吠えた、どうやら同調した様子、税金の無駄遣いは犬でもわかるのか?


車窓をすぎる人の姿は、暖秋だんしゅうのせいで薄着が目立つ。それでも植物や生駒山は色づきを始め、これから紅葉の季節を迎える準備段階。車が北に進めば、秋本番の景色が視界を楽しませてくれるはず、密かに期待する私と犬?


鎌倉〜南北朝時代に、そこそこ活躍した武将を祀る神社を横切り、コンビニを数軒、衣料雑貨店を1軒、眼科に歯科に内科など町医者のフルコースは、見るだけで腹一杯になる。山腹までチラシ配りをしていた時のことを、思い出しながら、生駒山沿いをまっすぐ北へ北へ、もしくは大ざっぱに北東方面へ。


旧国道と国道163号線が交差する地点で信号待ち、今回は直進するが、163号線は昔から馴染みのある国道だ。右折して拡張されたトンネルを、抜けるまでの間が清滝峠きよたきとうげ。通称ホイホイ峠。交通機動隊の覆面パトカーや、白バイなどが悪人を懲らしめるべく潜伏。ゴキブリホイホイ並みに、違反者を取り締まる場所として有名。(ちなみにホイホイ峠は私個人が考えたので、検索してもヒットしないことを付け加えておく)


不意に後ろを見る。小用のオムツと道着どうぎを着用した、フントorダックスは、クッションの上で丸まりダンゴムシのよう、おとなしいのはいい事だ。


信号が青に。山腹に伸びる、国道163号線を流し見しながら北進ほくしん。ホイホイ峠と、執念深く獲物を狩る正義の交通機動隊とさよならをした。


交差点を過ぎると、すぐ右手に業界トップを着々と狙う、洋菓子のフランチャイズ。リーズナブルな値段と味もそこそこで、野望を海外にまで広げる。和菓子・パン類・アイスクリームも豊富に、洋菓子屋のプライドを捨ててまで多角経営。私が一度も満杯になったことのない、期限付きポイントカードを武器に、消費者の心を鷲づかむ。


お願いだ、あと2ヶ月ほど期限を伸ばしてくり。


甘くはない洋菓子店を通過し、我が街に近接の街までようやく辿り着いた。まだまだ先は長い、中継地点の第二京阪道路寝屋川北インターチェンジまで、徒歩53分。駄文のドライブノベルが、果てしなく続きそうな気配が漂う。


その時犬は後部座席で、好物のチクワを食う夢でも見ているようだった。

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