花屋

皿日八目

花屋

4/2

 とうとう自分の花屋を開いた。小学生の夢をいつまで引きずるのかと、色んな人に言われてきたけれど、おい、見たか! 叶えたぞ! 


 たくさんの人がおめでとうと言ってくれた。友達もいっぱい、そんなにいたんじゃお客さん入れないじゃない、ってくらいに来てくれた。花屋になる絶対なると言い続けて、お父さんお母さんと喧嘩したことも何度もあったけれど……今日、ちゃんと見に来てくれた。泣いていた。それを見て思わず私も泣いてしまった。

 

 一緒に働いてくれることになった千夏さんもいい人だった。どんな人が来るのか、募集をしたときは不安だったけど、優しそうな人で良かった。この人とならずっと働いていけそうだ。千夏さんも花が大好きらしい。


 楽しいことばかりじゃないってのはもちろんわかっているつもり。大変な、つらいこともたくさんあるのだろう。でも、絶対にへこたれなんかしない! 私は花屋になったんだ! どんな困難なことも乗り越えてみせる! 死んでもこの花屋を続けてみせるから!


5/13

 お客さんが来ない、と思ったら、また店先に誰かの吐いたものがあった。もう何度目だろう。地面には染みがついて、いくら洗ってもきれいにならない。

 

 吐くならちゃんとトイレで吐いてほしい。


6/8

 今日、店の前を数人の子供ががやがやと喋りながら通った。その中のひとりが振り回したカバンが、並べていた花のひとつに当たった。やばい、という声が聞こえたかと思いきや、あっという間に子供たちは逃げてしまった。


 花は根本から折れていた。千夏さんが元気づけてくれたが、どうしてもあの子供たちの声を思い出してしまう。


 逃げる時、どうして笑っていたのだろう。


7/12

 うちの店で花を買ったというお客さんが、すぐ枯れたと苦情を言いに来た。その人が買ったのは適切な水やりをしないとすぐ枯れてしまう花で、そのことは十分説明したつもりだったが、どうしても私が悪いと言って聞かなかった。


……ずいぶんとひどいことを言われた。あの人の声は大きかった。店の前を通る人が何人も、面白そうにこちらを見た。


 見世物じゃないよ。


8/22

 最近、店先に置いてある花がよく盗まれる。気づいたときにはすでに鉢植えごといくつも無くなっていた。いったいいつから盗まれていたのだろう。


 千夏さんが怒って、夜通しで見張ってくれると言ったが、ありがたく気持ちだけ受け取ることにした。普段から十分過ぎるくらい働いてくれているのに、これ以上仕事を任せるわけにはいかない。


 花を引っ込めればいいとも思うが、私は自分の花屋の前に、自分で選んだ花を置くことが夢だった。それを諦めるわけにはいかない。頑張らなきゃ。


9/12

 眠れなくなった。いつ花が盗まれるかと思うと、どうしても目が冴えてしまう。

 

 昼もずっと通りを見張っている。店の前を通る人が全員犯人に思えてくる。千夏さんに「大丈夫ですか……?」と3回も聞かれた。そんなに疲れているように見えるのだろうか。


 近々、新しい工場が近くに立つとの噂を聞いた。何の工場なのかはわからないが、こちらに煙が来なければいいと思う。花に何かあったらいけないから。


10/5

 昼ごろ、突然どこからかボールが飛んできて、店先に置いてあった鉢植えをひっくり返してしまった。土がこぼれて、植えてあった花が散らばった。そばには黄色いボールが落ちていた。


 持ち主が来るのを閉店時間まで待ち続けたが、誰も取りには来なかった。でも、たぶん明日には来ると思う。今日はまだ踏ん切りがつかないのだ。明日来なくても、その次の日には、きっと。


11/2

 今日も来なかった。ボールはゴミに出した。


12/28

 花が萎れ始めた。確かな証拠はないが、たぶん最近稼働し始めたあの工場のせいだと思う。こちらに向かって流れてくる煙が、二階の窓からよく見える。


 なんとかしなければならないと思うが、いったい誰に、何と言ったらいいのかわからない。私はどうすればいいのだろう。


 千夏さんが心配そうに見ている。彼女にはいつも心配をかけてばかりだ。色々と嫌なことがあったけれど、彼女は弱音一つ吐かず、私を元気づけてくれる。情けない、と自分でも思う。もう彼女に弱いところを見せてはいられない。私の花屋なのだ。私が守らなくては。


 あなたがいてくれさえすれば、これから先どんな嫌なことがあっても耐えられると思う。そう口に出して言ってみたら、千夏さんは照れたように笑った。これから先もよろしくね。


1/23

 店のお金が無くなった。頭が真っ白になり、とにかく千夏さんと話をしようと思ったが、今日に限って一日中待っても来なかった。無断欠勤どころか、遅刻をしたことすらない彼女なのに、どうしたのだろう。


2/6

 あれから彼女は来なくなった。盗んだのは彼女なのだ。


2/7

 「休店」と書いた紙を張り出した。それでも何となく店にいたが、通り過ぎる人は誰も、店が閉まっていることを気にも留めないようだった。


3/2

 店の花がすべて枯れた。けど、特に何も感じない。


 もう疲れた。


3/3


3/4


3/5


3/6


3/7

 ひとつだけ、枯れずに残っている花があった。夕日のように真っ赤な花だが、こんな花は見たことがない。どこからか飛んできた種がたまたま芽生えたのだろうか。


 なぜだかはわからないが、見ていると何となく落ち着く気がした。


3/12

 あの花を見ようと思って店に降りてみると、おどろいた。床中が真っ赤な花で埋め尽くされていた。もともとの花がどれだったのか、わからないくらいだった。


 店が花の香りでいっぱいだった。開店したころ、店中に花が咲いていたころを思い出して、少しうれしかった。


3/15

 花は街にまで咲き始めた。テレビを見ている限り、私の店が出どころだとは思われていないようだった。植物学者という肩書きの人が何人も番組に出ていたが、誰もあの花のことを知らないようだった。


 花に埋め尽くされた道路の脇で、迷惑きわまりないというようなことをマイクに向かって話す人が、次々と画面に出てきた。どの人も本当に困っているようだった。けど、それを見ていると、なんだか気分がよかった。


3/22

 花が街を覆い尽くした。


3/23

 電気が点かなくなった。あちこちからサイレンや悲鳴が聞こえてくる。でも、私にはどうでもいい。


3/24

 外から何も音が聞こえない。あまりにも静かだったので、久しぶりに外へ出てみた。


 見渡す限り、真っ赤な花で街が覆われていた。電柱や街灯からも花が咲いていた。私の花屋のまわりにあった店もみんな花にまとわりつかれて、かろうじて輪郭がわかる程度になっていた。


 誰もいない。


 飛んでいる鳥もなく、虫の声もしなかった。ただ花が咲いているばかりだった。


 高台の上へ行ってみることにした。もう歩道と道路の区別もつかない。まあ、車なんか、来る気配もないのだけれど……


 花を踏み分けながら、高台の頂上まで登った。とうとうここまで誰にも会わなかった。みんなどこへ行ったのだろう、と一瞬思ったが、すぐにそんな気持ちは消えてしまった。


 地平線の彼方まで、花で世界が埋め尽くされていた。


 四方のどこを見ても、花の侵攻を免れた場所はないようだった。高層ビルの群れも、今は真っ赤な墓標のようにしか見えなかった。


 ぞくりとするような光景なのかもしれないけれど、私はそうは感じなかった。いや、むしろ。


 しばらく呆然と見入っていると、ひとつ、とても赤色が濃い点を見つけた。あの工場があるはずの場所だった。


 高台から降りて、その場所まで行った。工場は、他の建物より何倍も厚く、花の層に覆われていた。なにか、赤い縄で体を締め付けられた、大きな動物が苦しんでいるように見えた。


 みしり、と音がした。


 花の重みに耐えかねたのか、工場は大きな手で握りつぶされたように、ばらばらぼろぼろと私の目の前で崩れ落ちていった。無音のなか、その崩壊音は星どうしが衝突したみたいに大きく聞こえた。


 最後のひとつの瓦礫が地面に落ちて、また静けさが帰ってきた。ただ風が、数え切れない花をそよがせる音だけが、わずかに耳に届くばかりだった。


 私は工場の最期を見届けると、花が敷かれた地面に横たわり、目をつぶった。


 久々にぐっすりと眠った。


3/25


3/26


3/27



 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

花屋 皿日八目 @Sarabihachimoku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ