第2話 紡がれし龍の伝承

またいずれかの場所。ユイは雄大な山々の麓に広がる草原を歩いていた。


(すこし標高が高い……でもそのおかげで、涼しくて歩きやすい。天気もいいしこのまま寝てしまいたいような……)


 その場所は故郷の地にいた頃から名前は知っていた。しかし、海に囲まれた孤島であり、さらに人が住む地は標高の高い場所にしかないため、滅多に旅人が寄り付くことは無いと言われていた。この島に渡る船自体は定期的に出ているが、高所まで登るものは滅多にいない。

 小さな孤島に、天を衝く山々。正しく自然の作りだした、人を寄せつけぬ場所。そして、この地域では古来より一部の人々から『旅人の墓場』とも呼ばれていた。正確な由来こそ不明だが、ここで消息をたつものが多いという。


(こういう場所こそ、冒険って感じ。)


 しかし、ユイはそのような『噂』などは気にせず、彼女はいままさにその地を歩いている。遠くには、人が住んでいると思われる村が見える。しかし……。


(……? 暗い……?)


 空を見上げると、相変わらずの雲ひとつない晴天。しかしどう言うわけか、村に近づくにつれどんどんとあたりは暗くなってくる。太陽が出ているにも関わらず、雲ひとつ無いにもかかわらず。


(これはまたトラブルの臭いがする……)


 ユイは世界の各地を巡る中で出会ったトラブルを回想しながら足を進める。魔物の仕業か、暴走した人間の仕業か、それともなにか自分の知らない自然現象でもあるのか……と。


(…………消息を絶つものが多いことと関係あるのだろうか)


 そうして歩くうちに、村の入口へとたどり着く。そこに着く頃にはあたりは完全に『闇』であり、しかしながら視界は悪くない……という、その場にいながらにして理解の追いつかない状況だった。


「誰かいませんか。」


 村のの入口にたち、少し大きく声を出すユイ。しかし、その声に応えるものは現れない。


「……手遅れだったかな。」


 旅の中では、そういうこともなくは無かった。たどり着いた村や街が、何者かによって滅ぼされている……日常茶飯事とまではいかないが、驚くほど珍しいことでもない。そして、ユイはそのような時にその元凶を倒したり、村や町を救おうとするほどのお人好しでもなかった。


(何が起きたかは気になるけど、干渉する意味もない。残念だけどまた次の場所に……)


「……?」


 歩き出そうとしたユイの視界の隅に、なにか動くものが映った。彼女がその方角へと近づくと、ボロボロの家があり、窓から中を覗くと……


「……あ、どうも」


「……旅人…………?」


 その中には、生気のない中年の男性がいた。散らかった家の中で、床に座り込んでいる彼はユイをみて驚いたような表情を見せる。


「そうです。わたしはユイ。世界を旅しています。」


「なるほど……もうダメかと思っていたが、このタイミングで旅人……それも、世界を巡るも程の強さを持ち合わせている者が……」


「強さ……わたしはそこまで自信はないですよ。」


「しかし……用心棒も付けず、その歳でただ1人旅をするとは……それに、剣も持っている。強くないわけがない……。」


「それは……肯定も否定もしないでおきます。」


(強い人を求めていた……? ということはやはり魔物か何かの仕業か……?)


「……一体何があったのでしょうか。この暗さと言い、村の様子……とても正常には見えない……」


 ユイが村の様子に興味を示すと、男性はなんとな立ち上がり、一旦玄関に周り外へ出てきた。


「……少し来て欲しい。そっちで話そう。」


「なるほど、わかりました。」


―――――――――――――――


 中年の男性の後に続き、ユイは村の中を通り、その外れにある場所まで来た。その途中、村の中で元気なく歩く人や、なにかに絶望したように座り込んでいる人、そんななかでも無邪気にはしゃぐ子供、そして『なにか』を倒すためなのか、武器を用意している人……様々な人がいた。そこまで大きな村では無いため、建物もそこまで多くはない。そしてその半数以上は壊されているように見える。


(……ここは)


 たどり着いた村の外れの場所は、少し高い位置にあり、小さな祭壇のようなものが作られていた。


「これは『龍の祭壇』というものなんだ。……この祭壇から直線方向……あの山が見えるか? あの山に対して作られた祭壇なんだ。それも何代も昔のことだ。」


 男性は先程までとは違い、ハリのある、生気を感じる声で喋る。


「あの山……山脈のなかでも一際大きいあの山……ですか。」


「ああ、そうだ。あの山にある洞窟には古代より巨大な龍が住んでいる……これはおとぎ話や伝説ではなく、事実だ。」


「……なるほど」


 『巨大な龍』……今更その程度のことではユイは動じない。炎の化身の龍や、天に座すドラゴン……たくさんのものと出会ってきたが故の反応。


「……あいつは邪悪な龍だ。見てのとおり、そのせいでこの村はこんな有様だ。昼間なのに暗く、人々の生気も無い……私も、君がここに来てくれなかったら希望を失っていただろう……。」


(……よくわからない)


「質問なのですが……どうしてそんな邪悪な龍に対して祭壇を?」


「……情けない話だが、我々は……龍に屈した。年に何度か、この祭壇に『生贄』……つまり、生きた村人だ……それを捧げる……すると、夜のうちにその生贄は山から現れた龍の餌となる……大昔からそうすることで、なんとかあの龍をしずめていた……しかし。」


 男性は苦しそうな顔になり、続ける。


「時が経つにつれ、必要な生贄は増え、今の代になりさすがにもう限界が来た……。しかし生贄を辞めれば今のような、闇に包まれ生気を奪われる……。なんとか村の者たちで、あの龍を倒そうとも考えた。しかし……誰一人として、向かおうとするものはいなかった。」


(恐れをなすのも無理はない……か。)


「……そこに偶然わたしが訪れた……と。つまり、わたしにその龍を倒して欲しい……ということですよね。」


「ああ……受け入れてくれるだろうか……?」


(……そもそも、倒せるのかな……。)


 確かにユイは、ここに至るまでに多くの邪悪なものを討ってきた。しかし、話を聞く限りではあの山に巣食う龍はとても強大であり、『光を奪う』ことも出来る。流石のユイも、そのような力ははじめてきいたものだった。もしかすると、多くの旅人がここで消息を絶つのはこの龍が関係するかもしれない。


「……仮に、わたしがそれを引き受けたとしたら……同行してくれる人はいるのでしょうか。」


「それはもちろん……よし、呼んでくるから少し待っててくれ……」


 まるで、もう既にユイが討伐を引き受けてくれる前提であるかのような振る舞いをする男性。ユイは特に何も言わず、彼が戻ってくるのを待った。


(来た……あの人か。)



 男性がが連れてきたのは、ユイよりは少し年上に見える、茶髪の青年。背中には大きい剣を背負っていて、多少ながらも戦闘に慣れているように見える。


「……なあ村長さん。こいつか? ……とても強そうにはみえねぇけど?」


(……村長だったんだ)


 今更ながら、あの中年の男性が村長だと理解したユイ。そんな彼女のことを指さし、連れてこられた青年は続けて言う。


「村長さんが『強い旅人』だって言うから期待したけど……俺より年下の女って……なあおまえ……ほんとに強いのか?」


「……わたしは自分の強さを客観的に評価するのは得意じゃない……でも、事実だけ言うなら……。わたしは炎の化身の龍だったり、氷に閉ざされた大地に巣食う古代の魔物を1人で倒したりしたこともある……。これでどうかな? 証明になる?」


 その言葉を聞くと、青年は少し口角をあげて言う。


「へぇ……それが本当なら、確かにもしかしたらってこともあるか……なあ村長さん、これからどうする気なんだよ?」


 青年が問いかけると、村長は遠くの山を見つめながらゆっくりという。


「アレス……お前には……やはり、あの山にある洞窟に行ってもらうしかない。もちろん彼女と一緒にだ。そして……なんとしても、あの邪龍を討伐して欲しい。……これ以上の生贄など、村長として許すわけには行かない。」


「やっぱそういうことだよな〜、ま、俺はいいけどな。だってあれだろ? 俺があの龍倒してみんなを救えば、英雄様だろ。てなわけで、おまえ……」


「ユイ。」


「おう、ユイ。手伝ってくれるんだろ? お前がいいなら今すぐにでも向かうけど。」


(偉そうな男の人……)


 しかし、村長からも期待されているということは、恐らく実力に偽りはない。それに、ユイ自身も光を奪う邪龍というものに興味があった。人だすけという善意ではなく、単純な好奇心。


「……よし、行こうか。わたしとアレス……2人で。」


―――――――――――――――――――――――


「よーし! それじゃあ俺と、この旅人で今からあの山の洞窟に行ってくるぜ!」


(……)


 黙って行けばいいものを……と思い、アレスを見つめるユイ。彼は村を出る前、村の出口に村人たちを集め、これから自分が邪龍を討伐してくると高らかに宣言した。このような絶望的な状態にありながらも、そのような振る舞いができる……という点においては悪いことでは無いかもしれない……が、ユイには気になることがあった。


(……集まってきた村の人達……どうして……)


 多くの村人がアレスとユイの元に集ったが、その皆、誰もが『勝利を確信した』かのような表情を浮かべている。それはまるで、ユイ達が邪龍を倒すことを確信……というよりも、『アレスとユイが洞窟に向かうこと』そのものに喜んでいるようにも見える。


「よし、そろそろ行くか!」


「うん、無駄なことをしてる暇はないね。」


「いや、俺にとっては無駄じゃねーけどな。」


(…………恐らくこれは……)


 とある仮説を自分の中でたて、ユイはアレスに続いて歩きだし、村を出て山に向かいだした。


――――――――――――――――


「……アレスはあの村で産まれたの?」


 村から山の洞窟まではそれなりの距離がある。歩いて行けるほどであるが、時間がかかるためユイは暇つぶしにアレスに問いかけた。


「そう……ってか、こんな場所にある村に他所から移り住んでくるやつなんてそうそういないぞ。ましてや邪龍なんでやつに目つけられてる場所だ……よっぽどのもの好き、そうじゃなければ真っ当な人生を送るのを諦めたヤツ……くらいしか移り住んでは来ないだろ。お前みたいな旅人ですら、滅多にこねーしな。」


「……たしかに。」


「うーん……にしても……」


 アレスはユイの前を歩きつつ、振り返り彼女の顔を見つめる。


「……な、なに?」


「いや……なんかお前……無感情って訳じゃないけどさ、どっか冷めてる感じするよな。喋り方も淡々としてるし、表情もほとんど変えないし。」


「別に……必要がないからそうしてるだけだよ。必要とあればどうにでもする……。」


「だからそういうとこだよ……」


(……無感情、か。)


 確かに、ユイ自身もそのように言われることに対して、本心から否定的になることはなかった。色んな場所に行き、色んなものを見てきた……だからこそ、一々一喜一憂することも無く、喜怒哀楽を分かりやすく表に出すことと無くなった。もちろん、時と場合によっては表に出ることはあるが。


「こうやって見るとせっかく可愛い顔してんのに、もったいねーな。」


 ユイの顔を見たまま、特になんということでもないというふうにいうアレス。


「なっ……か、かわ……かわいい……」


 しかし、その言葉はユイの心には強く響き、『無感情』と言われた彼女を慌てさせ、表示も変えさせた。


「あー? もしかしてお前……なるほどな。」


(かわいい……わたしには似合わない言葉だ……。)


「……もうお喋りはしない。はやく洞窟に向かおう。」


「はいはい」


―――――――――――――――――――――


「ここが……」


 幾らかの時間歩き、たどり着いた洞窟。それは山脈の中でもひときわ高い山の山頂付近……などではなく、麓にあった。山の麓に口を開いたその洞窟は、蛇行しているようで来るものを拒んでいるようにも見える。


「ああ、そうだ。せっかくだからお前に『伝承』を教えてやるよ。」


 アレスは洞窟付近の岩に座り言う。


「伝承?」


「ああ、村に紡がれてきたっていう『龍の伝承』だ。」


「なるほど……それなら是非知りたいな。」


「つっても俺も断片的にしか知らねーけどさ。『邪龍を鎮める法は三手あり。一つは生贄により一時的なもの、一つは邪龍の討伐による永劫なもの』。」


「……それは伝承というよりは単なる事実に感じるよ。邪龍を討伐すれば鎮まる……それは当然だし。」


 しかしアレスは首を振って言う。


「慌てんな、まだ続きがあるだろ。『三の手は邪龍を長い時間封じ込める。その法は』」


「『異邦の血を捧げる』……とかだとしっくりくるね。」


「なっ……おまえ……」


 何も言わずとも、アレスのその反応こそがユイの答えが正しいということの証明になる。


「やっぱりね。村長がわたしを見た時の反応や、多少強引な話の展開。それに村を発つときの皆の反応……それらを加味すればこの結論が1番納得出来る。」


「じゃあなんだ……お前はそれを理解しながら、わざわざ生贄になるために俺と一緒にここまで……」


「残念だけど、わたしら知らない人達のために自らの命を捨てるほどのお人好しでは無いよ。わたしが観測することでこの世界は初めてその存在を認識されてるから、わたしが死んでしまえばそれはもう世界の滅亡と変わりないし。」


 ユイのその言葉を聞いたアレスは、立ち上がり声を大きくして言う。


「……後半は何言ってるか全然わかんねーけど、生贄になる気がないならなんで着いてきたんだよ? お前がもしほんとに強いなら、俺たちのことなんて簡単にふりきって行けただろ? なのになんで無視しねーで着いてきたんだ?」


「単純な好奇心……としか言えないかな。世界の色んなところを旅してきたけど、光を奪う邪龍なんて見たことがない。だから見てみたい……それだけ。それに、少し気になることもあるし……」


「まあお前が何考えてるか知らねーけど、多分邪龍はおまえが思ってるよりヤベー奴だぜ。見るだけ見て帰る……なんてできるかわからない……なんて今更だよな。よし、そろそろ行くか。」


 アレスは洞窟の中に入ろうとするが、ユイはそんな彼の背中に向かって声をかける。


「まって……わたしの目的は今言った通りで、生贄になる気なんてない。それにもう洞窟にたどり着いたし、道案内も要らない……。だからあなたは洞窟の中まで来なくても……。」


「……はっ」


 ユイの心配をよそに、アレスは笑って答える。


「俺だって気になるんだよ。大昔からここに住み着いて、光を奪って人を喰らう邪龍……それがどんなやつなのか。なんだかんだ言ってみんな恐れてる癖に、村には実際にその姿を見たやつは一人もいない。……見たやつは生贄……つまりみんな死んでるんだから当たり前だけどな。」


「なるほどね。」


(……好奇心は人を殺す……かもしれない。だとしても。)


 そして、ユイとアレスは洞窟へ足を踏み入れた。



――――――――――――――――――――


 洞窟の中は上にも横にも酷く狭く、人一人が何とか通れる程度だった。先程までとは変わり、ユイが先頭になりその蛇行する道を進む。


「……」


「……ユイ。おまえ灯りとか持ってんのか?」


「いや。そんなふうに言うってことは、アレスも持っていないわけだよね。」


「……だとしたらなんなんだよここは」


 お互いに光を発するものを持っていなく、洞窟には当然だ光の差し込む隙間もない……にもかかわらず、洞窟の内部は視界が奪われることも無く、暗さも感じない。


「歩きやすいのは助かるけど……不気味だね。」


「ったく……外の光は奪うくせに、中は明るいのかよ……」


(……ますます興味が出てきた。)


 その後も背後でブツブツと文句をいうアレスと、それを無視して黙々と歩き続けるユイ。洞窟は蛇行こそしているものの常に1本の道であり、この先に待ち受けているであろう者へと至るための道としての役割を十分に果たしている。


「……そうだ。少し気になってたことがあるのだけど。」


「なんだ?」


「話を聞いた感じだと、ここに救う邪龍は大昔からいる……だとするなら、なぜこんな場所に村を作ったのだろうか……生贄を必要としながらも、長い間移り住むことも無くみなここで暮らしていた……なにか理由でもあるのかな。」


「……さあな。そんなん俺が知ることじゃない。」


「……それなら、アレスはどこか別の場所に移ろうとは思わなかった?」


 ユイのその問いかけに、アレスは呆れたように返す。


「あのな……お前はあちこち旅してるからそういう感覚が薄いのかもしれねーけどな、そんな簡単に『故郷』を捨てるとかできねーよ。たとえそれがクソみたいなところでも、そこで生まれてそこで育って、知ってる人も沢山いる……そういう場所なんだよ。それにこんな辺境だろ、どっか行くのがめんどくせぇってのもあるしな。」


「それもそうかも……すこし無神経な質問だったかもしれない、ごめん。」


「別に気にすんな。」


(故郷……まあ、そのうち帰ろうかな)


 しかし今はそんなことを考えるときではない。会話をしながら歩いているうちに、洞窟の幅は少しづつ広くなっていき、よく見ると壁や天井には爪痕の様なものがあり、地面には赤黒いシミの後がある。


「近いかもしれないね。」


「いよいよか……もし逃げる暇もなく襲ってきたらどうすんだよ? 俺は絶対に死にたくないぞ?」


「……そんな心配はいらない。」


 さらに広くなってきた箇所で、ユイは立ち止まり振かえっていう。


「どういう意味だ?」


「わたしがどうなるかは知らないけど……アレスが邪龍に殺されることはないと思うけど……。だって、そういう契約なんでしょ? そうだね……例えば『定期的に異邦の血を捧げる代わりに村に恩恵を与える』とか?」


「……」


「あそこの村、もしあなたや村長の言ってる通りだとするなら……人が多すぎる。長きに渡り龍に生贄を捧げ、生き延びた人たちも生気がない状態になってしまうことがおおい……なのに、建物の数から考えれば村人は本来いるべきであろう人数程度はいるように見えた。それに……あなたの言う『故郷』の話も嘘だとは思わないけど……それ以上に、あそこの村の人達は龍から受ける恩恵に依存している……どうかな。」


 ユイの突拍子もない推測。しかしそれを聞いたアレスは渋々ながら言う。


「なんなんだよ、お前……どうしてそこまで分かってんのに着いてきたんだ? ああそうだよ、おまえの思ってる通りだよ。太古の昔からこの地域は龍の力で繁栄した。じゃなきゃこんななにもねえ、山の上の村なんかが今日まで続くわけが無い。それに、『孤島にそびえる山の上にある村』なんて言えば、それこそお前またいなもの好きが寄り付く……そうやってこの村は、龍の生贄を手に入れた。……もう何人そうやって人を殺したかわかんねーよ。」


(『旅人の墓場』……その真相はなんてことの無い、単なる人々の保身によるものか。)


「でも残念ながらわたしは命を捨てるほどに」


 ユイが言い終わる前に、アレスが口を開く。


「……悪いけど、ここまで来た時点でもう終わりだ。さあ、喰っちまえ……でてこい『リンドブルム』!」


 その直後、洞窟内にどんな生き物とも違う、地鳴りのような雄叫びが響き渡る。


「っ! うしろ!?」


 ユイ剣を抜き振り返ると、そこには既に巨大な龍がいた。巨大なトカゲにコウモリの翼をつけたような姿で、蛇のような舌をチラつかせ、刺々しい鱗で包まれた魔物……まさしく『龍』だった。


(……?)


 しかしその『リンドブルム』と呼ばれた龍は、水晶のような瞳でユイを見つめ、時折口を開き牙を覗かせるだけで何もしない。さらに体を包む鱗は『白銀色』であり、禍々しいものも一切感じられない。


「リンドブルム……あなたが邪龍?」


『我は聖龍……闇を打ち砕き、光を与える存在』


「わ、喋った……」


「……リンドブルムはその辺の魔物とはちげーからな。」


「……でも、聖龍とは……いまのあなたはやってることが真逆だよ。」


『我は自然の化身……自然は時に弱い。人間の意志によりあり方など無限に変化する。故に……』


「やっぱり、欲にまみれて溺れて、呑まれた人間がいちばん愚かで恐ろしい……かな。」


「なんで俺の方を見る?」


 ユイだけでなく、リンドブルムもアレスの方に首を向け言う。


『汝……かの村に住みし者。最早我は生贄など必要とはしていない。そして我の力を貸すことももうない……村の者共にそう伝えるのだ。』


「……どういうつもりだ? いままで散々お前に生贄を食わせてやってきたのに、いきなりなんだよ? そもそも、いきなり光を奪ったのも最近生贄が無かったからだろ? なのに……」


 アレスが慌てながら言うと、リンドブルムは牙を向け荒々しく言う。


『愚か者……もとより我は生贄など必要とはしておらん……しかし自らの繁栄のみを求める人間達の誤った認識が我を邪に染めた……。今一度、ここでその過ちを正す機会を与える。汝が村に戻り、これを伝え、もう二度と過ちを繰り返さずに正しい認識を持つならば……奪ったものは返そう。もう二度と、罪なき旅人を殺してはならぬ。』


(……不思議な力だ。そこまで人智を超えたものなのに、最後は人の認識なんていうありふれたものに影響され、自我に関係なく邪に染まる……。なのに今度は自らの意思で人にチャンスを与える……自然の化身といったかな、よくわからない……。)


「……なあおい、今更それはねーだろ」


 リンドブルムの言葉を聞いたアレスは、それを受け入れずに反論する。


「村長さん達から散々きいてんだよ。あの村はあんたのおかげで成り立ってるって。なのに今更『こんなことはやめよう』だと? じゃあどーすんだよ! その後の村のこと、あんたが責任取ってくれんのか!? 今のあの村は自分たちでろくに作物も育てられない、魔物や動物も狩ることもできない、そんな奴らしかいねー村なんだよ!」


「……アレス」


「ユイ、おまえがどう考えてるかは知らねーけどな、少なくとも俺達にとってはこれが正解……いや、これしかねーんだよ。長い間、何代にも渡ってリンドブルムに依存してきたんだ……今更無理なんだよ。」


 そんなアレスの様子を見て、リンドブルムはため息のような唸り声をあげながら言う。


『……大いに理解した。汝一人見るだけで村全体の様子を把握できる。ならば残念だが……この地は永遠に闇に閉ざされ、人々の生気も失せたままだ。愚かで哀れなる者よ……去るがいい。』


「……リンドブルム。」


『旅人……我は汝の命を喰らうことはせん。この地の事など忘れ、次の旅へ向かうがいい。』


 リンドブルムは最早語ることなどない……という様子で言う。そんなリンドブルムにたいし、ユイは剣を持ったまま言う。


「たとえ何かの事情があったとしても、あなたが罪なき旅人を喰らっていたのも事実。それは無視して、人間の罪と言うだけにして人を見放すのは……無責任だよ。」


『ほう……しかし我はそのような存在である以上、それは仕方の無いこと。人間の影響を受け、相応の存在になる……それは抗うことの出来ない、自然そのものだ。』


「だとしてもだよ。 例えば……人間が野生の動物に何度も何度も餌を上げて、でもある時からそれ以降は何もしないで放置……したとすると、その野生の動物はもう自分で餌を探すことはせず、また人間が餌をくれるのを待って、最悪の場合は餓死する。……それと同じ。何度でも言うけど、無責任だよ。」


「俺達野生の動物扱いかよ……。」


『ふむ……ならば改めよう。今後は旅人を喰らうのをやめ、村の者共が騙っていたように……村の者を生贄として捧げてもらうことにするとしよう。』


 リンドブルムはそう宣言し、狭い洞窟の中を器用に飛び、アレスに向かっていく。


「なっ!」


「それはさせない!」


 一瞬のうちに、ユイはリンドブルムとアレスの間に立ちはだかる。そして牙を剣で受け止める。


「お、おい……おまえ……どうして」


 ユイの行動が理解できないアレスは戸惑うが、彼女は迷うことなく言う。


「わたしは……知らない人たちのために命を捨てるほどお人好しではないけど、わたしを騙して殺そうとした男の人を、龍から守ってあげるくらいには……お人好しだから」


「……女に守られるとか、俺もダサいヤツだな……」


『旅人……どういうつもりだ』


 リンドブルムは牙で剣を貫こうと口を開いたまま喋る。ユイも負けじとそれを受け止めつつ答える。


「わたしはこの土地の事情なんて深くは知らない。でも……たとえどんな理由でも、これ以上人が死ぬのは許したくない。」


『しかし我には無責任だと文句をつける。なんと嘆かわしい自分勝手な人間か。』


「残念だけど……わたしが旅の中で求めることは、正義や正しさ、正解じゃない……。自分の信じた道を進んで、自分の道理を通すこと。その結果、もしかしたらわたしの知らないところで人が不幸になるかもしれない、人が傷つくかもしれない……残酷で、冷酷なやつって思われるだろうけど……わたしはそれでいい。」


『ふん……ならば貴様がここで通す道理はなんだと言う。』


 リンドブルムはユイから距離をとり、洞窟の中で浮遊しながらユイに問いかける。


「たとえそれがめちゃくちゃだとしても……これ以上誰も無駄に死なずに、外の光を取り戻して、村の人達が暮らしていけること……だよ。」


(……全然わたしらしくない。)


 彼女自信が一番理解していた。そんなことは無理で、そもそも自分はこんなふうに『知らない人達』のために本気で戦うような人間でもないと。リンドブルムの言う通り、こんな場所のことなど忘れ、また次の旅に出る方が自分らしい……と。


(だとしても……)


 踏み込んでしまった以上、中途半端に投げ出すことこそ『無責任』だと。背負ってしまった以上、それが間違いだとしても『結末』にたどり着くまでは背負いきる……と。


『ならば……我を打ち負かしてみよ。それが出来たなら……我は正常なる形での人との共存を認める。さあ……来るがいい。』


「ユイ! やめとけ! こんなバケモンにお前一人で勝てるわけねーだろ!」


「大丈夫……客観的に見ればわたしは強いらしいから。」


 そして、ユイは右手に剣を持ってリンドブルムに向かって走る。


(炎に包まれた龍は水流の魔法剣で、永久凍土の魔物は火炎の魔術、岩より硬い獣はそれを上回る硬度で叩いた……それならこの龍は……)


 リンドブルムはユイに向かって急降下し、爪を突き立てる。しかしユイはその爪をいとも容易く剣で弾いた。爪と剣がぶつかり、甲高い金属音が洞窟に響き渡る中、ユイはリンドブルムの背中にとびのる。


「今のあなたは光を奪い人を喰らう邪龍……それなら、断罪を下すのは聖なる光……!『聖光剣』……!」


 リンドブルムの背中でふるわれたユイの剣は白く輝く光を放ち、リンドブルムに突き刺さった。


(どんな技もいつか絶対に役に立つ……だから人生に無駄なことは無い。)


 『聖光剣』、それはユイがかつて訪れたとある国で習得していた光の剣。邪に染った龍にはその剣技は非常に有効だったようで、そのたった一撃だけで、リンドブルムは苦しそうに呻きながらその場に倒れた。


「……あなたに恨みなんて無いけど、わたしはわたしの信じた道を進むだけ……。」


「まじかこいつ……」


 一瞬でリンドブルムを倒したユイを見ていたアレスは、その場に座り込み力なく呟いた。


「……見て分かると思うけど、魔法の力を宿した剣技はとても強いよ。でもその代わり……連続で使えない。だからこそ、一撃で決めないといけない。」


 そう言いながら、ユイは手に持っていた剣を腰の鞘に収めた。そした、倒れたリンドブルムに近寄り言う。


「……これでいい?」


『ああ……認めよう。我は確かに、汝に負けた。それもたったの一太刀だ。……どうやら我も、人から捧げられる生贄を喰らうだけの怠惰な時間を過ごしたが故、力が弱まっていたようだ。』


「……」


『案ずるな。約束は守る。これより先は我らとかの村の問題……旅人が関わっていいのはここまでだ。』


「……それもそうだね。」


 それだけ言い、ユイはリンドブルムに背を向けて洞窟の外に向かって歩き出す。


「お、おい! 待てよ!? ほんとにこのまま行く気か!?」


「うん……ダメかな。」


「い、いやダメじゃねーけど……なんか不思議なやつだよなお前……」


「?」


「だってよ……俺の村ではもう何代も前から……それこそ、何百年も、下手したら1000年以上かもしれねぇくらの間、旅人に嘘ついてリンドブルムの生贄として捧げて成り立ってたんだ。なのに……お前が村に来て、ここに来るまでたったの数時間だ。それっぽっちの時間で、そんな長い間続いたこの村の悪い風習をぶった斬ってくれたんだ。……何者だよお前。」


 アレスの問いかけに、ユイは少しだけ笑みを浮かべて答える。


「わたしは……単なる旅人でしかないよ。わたしの旅路の果てがどこにあるのかは誰も知らないし、知る必要もない。」


 そして、ユイは洞くつの外に向かって歩き出した。その歩みが次はどこに向かうのか、それは誰にも分からない。


――――――――――――――――――

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