世界を巡る少女の冒険譚

華園ひかる

第1話 ケアオフォビアの国

(─────果てのない旅だ。)


 木々も生えない、岩の散らばる果てしのない荒野。そこを歩く、細身の剣を腰の鞘に収めた少女。その出で立ちは正しく『異邦人』であり、この地域ではまず見かけることない、特殊な様式の服も身につけている。


 荒野に吹く風になびく青いマント、薄紅色の服に、膝より上の丈のスカート。ながい旅路を経ているとは思えないような軽い服装。


(風が強い……髪も短くすればよかったか……)


 マントと共になびく銀髪は、ツインテール。彼女は特別そこにはこだわりは持っていない故、長い髪を煩わしく感じた。


 髪を抑えながら荒野を歩く少女。その先には、朧気ながらも城の影が見える。


(見えた……もうすぐだ)


 その城、そしてその城下に築かれた街こそが彼女の次なる目的地。この辺り一体を治める城……エフティヒア城。


――――――――――――――――――――


「決めた。わたしは旅に出る。止めないで。」


 かつてのある日。どこか遠くの国に住む少女……『ユイ』は旅に出ることを決めた。共に住んでいた両親や、近所に住む友人達の静止もきかず、14歳にして一人旅に出た。少しばかりのお金と、大切にしてきた剣だけを持ち、あてもなく、目的もなく……『世界を見て回りたい』その一心のみで広い世界に身を委ねた。


「……世界ってこんなに広いんだ」


 世界で何番目かに高い山に登り、広い世界の一端を眺めたこともあった。


「うっ……こんな生き物がいるとは……」


 またある時は、深い森の奥でなんとも形容しがたい異形の怪物と戦ったこともあった。


「おぉ……これは美味しい……」


 時には旅先の異国の地で、口にしたことすらないような美食に出会うこともあった。


「話せばわかる……なんて時期はもう過ぎたか……」


 酷い時は小規模な紛争に巻き込まれることもあった。


 もとより行先は特に決めずに、たどり着いた街や村で新たに情報を決め、また次のことを考える。今自分はどこにいるのか、故郷はどの方角にあるのか、いつになったら帰るのか……そんなことは、誰にもわからない。そんな旅を続けてきた。


 そんな少女の冒険の記録。


――――――――――――――


(さぁ、次はどんな街だろう……)


 ユイは表情や声には出さないが、その内心では次の出会いをとても楽しみにし、喜んでいた。この荒野にたどり着く前は港街を出発し、海を越えてきた。親切な船乗り達に助けられ、新たな大陸へと旅は進んだ。


(この地域はあのお城……エフティヒアが統治している。しかし……なんだか妙だ。)


 ここに至るまで、一切の人と会わず、人の営みを感じる場所すらなかった。船をつけた場所にすら人はいなかった。本来、国への入国を管理する者がいるはずだが、珍しいことにこの地域は入国に許可が要らない。稀にそういう国もあるにはあるが……。


 城下町以外の場所には人がいないのだろうか……などと少しばかりの疑問を覚えつつ、ユイはその城下町の入口へとたどり着いた。


「……こんにちは」


「旅人……これは珍しい」


 荒野に作られた城下町の入口は狭い門が1つ。それ以外は立派な石壁に囲われてきて入る隙はない。ユイはその門を守っている兵士に声をかけることからはじめた。


「珍しい……なるほど、わたしより以前にはいつ頃旅人がきたのでしょか。」


「どうだったか……もう覚えていないな。こんな不幸な者たちの集まる街など……いや、国などに寄り付くものはほとんど居ない。よっぽどのもの好きか、無知なのか……」


「不幸? もしや……なにかのトラブルでも?」


(面倒事でなければいいけど……)


 旅先でトラブルに巻き込まれたことなど数え切れない。故に、面倒事は避けたいと思うようになっていた。


 しかし、そんなユイの思いに反して兵士は元気の無い顔で言う。


「いいや、何も無いさ。無いが……我々は皆、恵まれず、不幸なんだ。でもそれでいい……いや、それがいい。幸せなんて、そんな恐ろしいものは欲しくもない。……と、無駄話か。入りたければ入って構わない。……面倒事だけは起こさないのように。」


「……どうも」


(……なんだこれは)


 門を潜り、街の中を歩き人々を見ながら先程の兵士の言葉を思い出すユイ。


(不幸でいい……幸せが怖い……。奇妙だけれど、そういう国もあるにはあった……でも、ここはそれとも違う。)


 かつて訪れた国では、一人一人の感情や考えすらも管理され、幸せが許されない国もあった。ディストピアとも、管理社会とも。しかしここはそうでは無い。街を歩く人達はみな自由に喋り、それを監視する者たちもいない。試しに話を聞いてみてもみな、『この国の王は支配的ではない』と言い、それは言わされている訳でもない。


(なのに、なぜ……)


 しかし皆、一様に『自分は不幸』とも言う。具体的に何が、というのは人によって違うが、みなそれぞれ自分の恵まれていないことをまるで『自慢する』かのように喋り、最後に『でも幸せなんていらない』としめる。それは子どもも大人も、店の主人も酒場のウエイトレスも街を守る兵士も変わらない。


(奇妙な国……ここの店はどうだろうか)


 これで最後にしよう、そう考えて情報を集めるために入った店。看板には『アルケミー・アリス』とかかれている。


「お邪魔します、どなたかいますか。」


「ん、お客さんです?いらっしゃいませー」


 狭く、ものが多い店内。その奥にあるカウンターから顔を出したのは、16歳になったユイよりも年下に見える少女。


「あなたがこの店の主? それとも、お父さんとお母さんがいない間のお留守番?」


「お留守番じゃないですよ! れっきとした店主! 錬金術師のアリスです! お客さん、旅の人ですよね。なんの御用ですか?」


「なるほどね……」


 カウンターから身を乗り出す青髪ポニーテールの少女。その服装は街の中の人たちとはまた違い、錬金術師……というよりかは魔術師のように見える。そんな少女に、ユイは優しく問う。


「アリス……あなたは今の自分についてどう思う?不幸なことがあったりするの?」


「そりゃありますよ。まずこのお店。全然人が来ません。頑張っても、いいものを作っても、だーれも来ません。だからもういいんです。錬金術でいいものを作る気も無くなりました。ていうか、みんな不幸不幸言いますけどアリスより不幸な人なんて絶対いません。でもアリスはこれでいいんです。これがお似合いです。」


「そっか……」


(この子も同じか……)


『自分は不幸である』と同時に、『でも現状に不満はない』という相反するような感情を持つ人々。多くの国を見てきたユイでも、このような精神状態の人々だけが住まう国など初めてだった。


「……自己紹介が遅れてたね。わたしはユイ。旅人だよ。……ねえアリス。あなたが不幸なら……どこか遠くの、他の地に移ろうとは考えないの? 違う場所で、違うように暮らせばまた変わるかもしれない。」


 ユイの雑な提案に、アリスは強く首を振る。


「ダメです。そんなことしたら……アリスは幸せになってしまうかもしれません。そんな恐ろしいこと……嫌です。」


「幸せが嫌……それは誰かに何かを言われてるの? 幸せになることが許されていないとか?」


「? ユイさんは不思議なこと言いますね……そんなわけないですけど……?」


「……」


(不思議なのはあなた達だけどね……)


「アリス。これはわたしの完全なる身勝手なんだけど……わたしはこの国はおかしいと思う。幸せが怖い、不幸に安心する……そんなのは人間の正しい感情じゃあないよ。だから……わたしこの国がこんなふうになっている原因を探す。……もしアリスが嫌じゃなかったら、着いてきて欲しい。この街、この国のことを……わたしはよく知らないから、詳しい人にいて欲しい。」


 そう言い、ユイはアリスに手を差し伸べる。アリスは少し迷った後、笑顔でその手を取る。


「いいですよ! アリスは逆に、幸せを喜ぶべきだと考えるユイさんが不思議なので、一緒にいてみたいです。」


「ふふ、ありがとう。」


――――――――――――――――――――――


「じゃあなに? 幼いころからそういう風に教わってきたの?」


「そうですよー」


 アリスの案内で街を歩くユイ。その途中でアリスから、この国の教育についてきいた。この国では幼少期に、『幸せは恐ろしいもの』『不幸であることこそ人間的な生活』と教わると。


(頭が痛くなる……)


 

 そんなわけが無い。多少なりとも人により考え方の偏りはあるにせよ、そのような考え方があるとは信じられない。宗教や神の教えでもなく、あくまでもここに住まう人々がなんの根拠もなくそう考えているなら、尚更不可解だ。


 しかし、もしそのように教わってきたと言うなら、少なくともアリスのような子供にとっては、それは正しい考えだと認識されてしまっているということだ。


「あそこの本屋さんの店主の人、歴史とかにも詳しいので話しをきくといいかもしれません!」


「そうだね、きいてみようか。」


 アリスの指さす先にある、大きい建物。そこは本屋のようで、店主と呼ばれる初老の男性は店の外に座っていた。


「すこしいいでしょうか。」


 ユイは彼に近づき、声をかける。


「……旅の方、ですか。こんな店になんの用が?」



「この国の歴史が知りたいのです。アリス曰く、あなたは歴史に詳しいようで……」


 しかし、彼はその言葉を最後まで聞かずに答える。


「歴史ですか……確かに、少しばかりの知識はあります。しかし語ることなどはありませんよ。良くも悪くも何も起きないこの国は、このまま不幸が続くのでしょう……。」


「はぁ……?」


(とても不幸には見えない……とは言えない)


 流石のユイも、相手の事情を知らぬままそのようなことは言わない。……たとえそれば奇妙に見えても。


―――――――――――――――――――――

「なにか納得出来ること、ありました?」


 しばらく街を歩き情報を集めた後、ユイとアリスは広場のベンチに並んで腰をかけた。


「残念だけど、無かった……ね。わたしが納得できるだけの理由を持ってる人は誰もいない。皆単に、『自分は不幸』『幸せはいらない』と言うだけ。一体不幸のどこに安心感を覚えるんだか……」


「アリスは……ユイさんがどうしてそこまで『幸せ』『幸福』にこだわるかわかりませんけど……幸せなことって、そんなにいい事ですか?」


「え……えっ?」


 あまりに予想外の質問に、とっさの返答すらも出来ないユイ。


 と、その時。


「……そこの異邦人。」


「……わたしかな?」


 声をかけた来たのは、ユイよりも少し歳上の男。質のいい素材で出来たコートを着ていて、赤い髪を後ろで縛っている。


「当然、お前しかいない。……錬金術師を連れ回して妙なことをしていると噂を聞いた。」


「……アリスは連れ回されてなんていませんよ……それに、あなた誰ですか?」


「ふん……」


 アリスの問いに、男は軽く息を吐き答える。


「俺は『シオン』……お前なんかよりは多少上の立場の人間だ。そんな俺からの忠告だ。……妙なマネはやめておけ。異邦人が首を突っ込んでくるな。これはこの国に住む人々の話だ、旅をして中途半端に人間として成長出来たと思い込んで勘違いしてるガキが関わることじゃない。……わかったか? とっとと立ち去れ。それだけだ。…………間違っても、俺たちを幸せにするなんて考えるなよ。」


「なっ……」


 言いたいことを一方的にいい、シオンと名乗る男は立ち去った。何か言いたげに立ち上がったユイを見て、アリスは心配そうに言う。


「……お、怒ってますか!?」


「大丈夫、わたしはこの程度の事じゃ怒らないよ。」


「そ、そうですか……?」


(落ち着けわたし……それにしても……何者? 何かを知っているようにも見えるけど……。)


「……あはは、怒られちゃったみたいだねわたし。」


「む、無理に笑わなくていいんですよ……」


「ううん、無理じゃない。笑った方が『幸せ』だからだよ。」


「……幸せ、ですか。嫌な言葉です。」


 アリスは下を向き、小さい声で呟く。そんな彼女の様子を見て、ユイは何かをしてから声をかける。


「ねえアリス。下なんて向かないで。顔上げてよ。」


「あ、はい……んん!? ぷっ……あははっ!?な、なんですかそれ!?」


「お、わらったね。」


 顔を上げたアリスの目に飛び込んできたのは、異国の地で見つけたであろう珍妙な装飾品を顔に沢山つけたユイだった。普段のクールなユイからは想像も出来ないような顔に、思わず笑ってしまっていた。


「ずるいですよ!」


「ほら。でもさ」


「ぷっ……それ取ってから喋ってください。」


「あ、ごめん」


(……恥ずかしいな)


 冷静になり、そんなことを思いながら装飾品を外し、ベンチに座るユイ。そして改めて言う。


「ほら、どうかな。今みたいに思いっきり笑うの。今みたいな、そんなふうな気持ちがずっと続くことが幸せ……だったりするんだよ。」


「これが? こんなことがですか?」


 真剣な表情でユイに問うアリス。そんなアリスを見て、ユイは優しく微笑んで言う。


「多分だけどね。でも、悪くないでしょ? そんなものを恐れる必要も無いし、拒む意味ないよ。不幸なんてどっかに捨てて、小さくてもいいから幸福を探そうよ、ね。」


「……新手のプロポーズです?」


「ち、違う! 幸せ嫌いなのになんでそういうことは思いつくの……」


(結婚なんて、幸せの象徴でしょ……)


「冗談です……けど、なんだか少しわかったかもかしれません。なってみればこんなもの、どこが怖かったのかわかりませんもん。」


 アリスは万遍の笑みをユイに向け、元気よく言う。


「よし、なら良かった! それでね、少し相談があるんだけど。」


「……結婚!?」


「だ、だから違う!」


「ふん……愚かな……」


 幸せを伝えるユイと幸せを理解しかけたアリス。それを遠くから見つめる存在に、2人は気がついていなかった。


――――――――――――――――――――



 ユイがアリスにした相談。それは『王様に会いたい』だった。もしそれが叶うなら、この国を統治する王に直接、この国の現状について聞くことが出来るかもしれない。しかし、そんなことが叶うはずもないということもわかっていた。どこの国でも、王というのは誰でも会えるものでなく、特別な者のみが……


「とか思ってたけど……まさか」


「この国ではこれが普通なんです。会いたければ会えますよ。」


 ユイの想像とは全く違い、この国では王には簡単に会えることがわかった。城を警備する兵士に、王に会いたいという旨を伝え、怪しいものでないと判断されればその場で王との謁見が許される。


(わたしは怪しくないのか……?)


 この国に住むアリスはいいとして、異邦人である自分もこんなに簡単に許可される……ということにはユイも驚いた。何からなにまで、常識が通用しない国であると。


「アリスも王様に会うの初めてです。緊張……」


「そうだね。やっぱり王様に会うのはドキドキしてしまうね。」


(不幸を喜ぶ国……もしも、わたしがここで王を殺害でもしたら……その不幸に対して国民は何を思うのだろうか……いや、さすがにそんなことは出来ないけど……)


 意味の無い妄想をしながら、兵士に先導されて城の内部を進む。時折聞こえてくる兵士たちの話もまた、不幸自慢のようなものにきこえる。


「さて、ここが謁見の間だ。私はここで待つ。さあ入れ。妙なことはするなよ?」


「心得ております。」


「あ、アリス気をつけます……!」


 兵士がドアを開け、まずはユイ。そしてアリスが謁見の間に入る。そしてすぐに、扉を閉められ、その空間には3人だけとなる。


「今日の客は2人か……」


「わたしはユイ。旅の途中でこの国を訪れました。」


(王様……どこにでも居そうなおじさんに見える……服装も……言ってしまえば貧相だ。)


 ユイは膝まつき、王に挨拶をする。それを見たアリスも真似をするが、王はアリスの言葉は待たずに言う。


「珍しいこともある……まあ良い。そのような異邦人が何の用だい?」


 王は圧を感じない、優しい口調で問う。


「はい。失礼を承知でお聞きします。この国の様子……はっきり申し上げると、奇妙です。不幸をよろこび幸せを拒む……とてもこれが正しい人間のあり方とは思えません。これに関して、王はどうお考えなのでしょうか? もしくは、なにか高次元の魔なる存在の干渉を受けているなどは……」


(そういう国もあった。魔物の支配……嫌な世界だ。)


 しかし、王は首を振り答える。


「残念だが、何も言うことは無い。そのような感情に君がどう思うかは勝手だが、この国はそのように成り立っている……ただそれだけなんだよ。それに、国民と同じくして私も不幸だ。しかしこれこそ、あるべき姿。国民になりより寄り添っている証拠なのさ。……期待に応えられなかったら申し訳ないが、これしか言えることは無いよ。」


「……承知しました。アリス、帰ろう」


 ユイはアリスに手を差し伸べ、すぐに立ち上がる。


「え、あ、はい?」


「突然の謁見を許可していただき、ありがとうございました。これにて失礼します。」


「ああ……君のような人はこの国に長くいない方がいいかもしれないね。」


(……)


―――――――――――――――――


「どうするんですか?」


 王すらも取り合ってくれないとわかり、ユイとアリスは『アルケミー・アリス』の店に帰ってきていた。


「……どうしようかな。アリスは幸せの尊さをなんとなくは理解してくれたけど、でも確かに……それをみんなに押し付けるのもなにか違うかもしれない。」


 幾度となく自分の考えを否定されたユイは、さすがに落ち込んでいた……が、今度は逆にアリスが声をかける。


「そ、そんなことは無いです! アリスはユイさんから教えて貰って、幸せが、幸福がいかに素晴らしいかわかりました! た、たしかに……幸せの後に嫌なことが起きるかもしれない……とか考えるとまた前の考え方に戻りそうになりますけど、でも……幸せが怖いなんてもう絶対思いません! 不幸があるから幸せがある、幸せがあるから不幸がある……両方が等しくあってこそなんだって分かりました! きっとみんなもそうですよ! だから……何とかしましょう!」


「アリス……すごいね、ほんの僅かな時間しか一緒にいないのに……そんなことが言えるなんて。……そうだ、たしかあなたは錬金術師……だよね?」


 店内を見て、改めて確認をするユイ。


「ですよー。」


「ふむふむ……」


(あの大きな釜……壁にかかってる干し草……瓶に入った薬……あれは動物性の素材……そこにあれを加えれば……)


「ねえ、ちょっとやってみたいことがある。いい?」


―――――――――――――――


「それではまずは釜に『錬金溶液』と一般的な素材を入れますね」


「よしきた」


(錬金溶液……物質を分離、結合させやすくする薬……か)


 ユイの提案で、『アリスの錬金術』と『ユイが世界を旅して集めた珍しい素材』を合わせてある物を作ることにした。


「それでは次に、ユイさんから貰ったこの『炎龍の瞳』を……い、入れますよ?」


「大丈夫だよ、怖がらないで。」


(炎龍の瞳……その名の通り、龍の眼球。……あれは苦労した。何せ炎の化身のドラゴンだ。斬撃も通らなければ半端な魔法も効かない。倒し方は……と、思い出の回想はまた今度だ。)


「えいっ!」


 アリスは思い切り、その瞳を釜に入れる。そしてユイはゆっくりと棒でかき混ぜる。


「混ぜる技術は要らなくて、素材を入れるタイミングが大切なんて、錬金術も変わってるよね」


「そうですね〜……はい、次は……うわ、なんですかこれ……ああ、『蛇王の舌』……」


(蛇王か……懐かしい。あの巨体の蛇だ。舌だけ取ってみても、それ自体が蛇に見えるほどに大きい。よくもまあ、こんなものも倒せたものだ。)


 それを入れたことで激しい反応をみせ、妙な色にかわる釜の中の液体。しかし2人はそれには気を取られず、次の素材を取り出す。


「これが最後ですねー。『久遠の雪結晶』……こんなに冷たいのに、溶けないんですね……不思議です。」


「素手で長く持つと凍傷になるよ。気をつけて。」


(確か……永久凍土の地下深く……ああ、思い出しただけで寒くなる……)


「はーい、入れますね。」


 最後の素材を入れ、アリスとユイのふたりで全力で釜をかき混ぜる。そして、釜の火が消えるまで待てばそれは完成する。


「……出来ましたよ。」


 アリスは出来たその薬品を、瓶に詰める。


「……多少、いやかなり……強引かもしれないけど、悪くは無いかな。『幸福薬』……。」


「名前だけ聞くと明らかにダメなやつですよ!?」


(わたしの提案で作った『幸福薬 (仮)』。それは危険なもの……などではなく、ほんの少し、一瞬だけの幸福感を与えるもの)


「……いや、だからそれは危険な気もする。わたしが提案しておいてなんだけど……アリス、これはほんとに平気なのかな……。」


 ユイの心配をよそに、アリスはキラキラした瞳で瓶を見つめて言う。


「平気です! ユイさんがアリスにヘンテコな顔を見せてくれて、笑わせてくれた時のあの気持ち……あんな気持ちになるだけです。きっと一度味わえば、幸せの楽しさと、そして『不幸の悲しさ』を正しく理解してくれます!」


「……そうだね」


「もちろん、この薬に依存性なんてありませんし、薬なんてなくても幸せはすぐ作れますので! みんなで仲良く、更にいい国になりますように!」


「じゃあ……申し訳ないけど、わたしは少し寝るね。ここを借りてもいいんだよね?」


「はい! アリスはその間に皆さんにこれをわけてきます! きっとユイさんが起きる頃には……! 行ってきますね!」


 笑顔で、楽しそうに店を出ていくアリス。ユイはそんな彼女を見送り、店遠くの布団で横になる。


(……妙な副作用がなければいいけど)


―――――――――――――――――


「……アリス、協力してくれてありがとう。わたしはもう行くよ。」


「はい! またいつか会いたいです!」


 数日後。ユイは街の出口でアリスと話していた。例の薬は副作用や危険な効果もなく、街の人達にその効果を発揮した。皆、程よい幸せを感じ、不幸に嫌悪感を示すようになった。……ただ、ユイはシオンの姿を見つけることは出来なかった。


(こうなればいい国だ……)


 アリスと最後の挨拶をしながら、門の奥の街を眺めてそう考えるユイ。いい活気にあふれ、皆、正しく幸せと不幸を感じている。短い間だったが、貴重な体験をしたとも言える。


「……アリス。あなたの錬金術でもっと人を幸せにしてあげてね」


「はい! 約束ですよー!」


 元気に手を振り、ユイを見送るアリス。ユイは振り返ることなく、荒野の向こうに向かって歩き出した。



―――――――――――――――


「……馬鹿なことをしてれたな、異邦人……」


 それから少し未来のエフティヒア。そこに居たのはシオン。彼はアリスとユイの創り出した薬の影響を受けていなかった。


「幸せなど……それ自体が副作用と依存性にまみれた薬だ……」


 シオンの見つめる先。そこには愚かに争う人々の姿があった。


「王は聡明だった……理由を説明することなく、それが正解だと認識させた……皆が一様に不幸……それが1番の平和だとしらぬ愚か者は毒となる……」


 幸せ。それは悪いことではなかった。しかし……際限なくそれを求めてしまった人々は、いずれ争いを始め、人から奪うことで幸福を得ようとした。


「ふん……思い上がった旅人。お前のその無駄な親切心……それが滅びを呼ぶこともあると忘れるなよ……」

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