第140話
若者は、ロニー・グリーナウェイと名乗った。
元々、団にて悪名高い俺の噂話を聞いてはいたらしい。
最初は「帝国軍から裏切り者が流れてきた」程度に考えていたそうだが、悪名の中に聞こえる俺の“戦果”は経歴や悪名以上に目を引く物だったらしい。
そしてあのナッキービル地区、ディオニシオ・ガルバンが所有する庭園での、黒魔術騒動。
あれ以来、周りにどれだけ止められようともデイヴィッド・ブロウズの“英雄譚”に興味を持つ様になったのだとか。
俺には皮肉な話にしか聞こえないが、どうやら「浄化戦争で英雄になった事を悔いて、抵抗軍へと転身した大罪人の男が黒魔術を手にし、カラスを操っている」という話は、何故かロニーには痺れる程にクールな物語として聞こえるらしい。
それが因果な話だと言うのなら、まだしも。
本人としては約束されていた高い地位を投げ捨て、帝国中から狙われる上に、団の連中から疎まれながら、鮮血や内臓の匂いの中で戦う事がクールとは余り思えないが。
騎士に憧れているのか、と聞いたら「騎士なんて綺麗な服と鎧を着てるだけだ、礼儀と品格ばかりでクールじゃない」と来たもんだ。
礼節を弁え、教養を持ち、騎士として鍛え上げた精神と肉体を持ち、忠義を尽くす騎士の方がよっぽど“クール”だと個人的には思うのだがな。
正直に言ってよく分からない話も多かったが何にせよ、この変わった若者の眼には今俺は相当クールな戦士に映っているらしい。
ロニーは子供の頃にこの団に来て以来、帝国軍に立ち向かう為に幼少の頃からレイヴンを目指し、鍛練を続けて来たのだとか。
幼少から鍛えた甲斐あってか、それとも天性の才覚があったのか、はたまた両方かは知らないがロニーは今回のレイヴン選抜試験を、最優秀の評価と共に終えた。
こうして遂にレイヴンの1人となったロニーだったが、友人や団から期待される立場になったにも関わらず、その直後に何故かよりにもよって悪名高い俺に接触してきたのだから、此方としては訳が分からなかった。
「…………そのフクロウの夢って、どうやったら見れるんだ?」
「さぁな。俺の方が聞きたいぐらいだ」
自分がロニーの立場なら、それこそ聖書でも盾にして出来る限り関わらない様にすると思うのだが。
相手にしてみると良く分かるが、悪気の無い相手と言うのは悪気のある相手よりも、面倒な事がある。
「じゃあ、イザベラとかいう女科学者を蹴り飛ばして真の科学者に地位を取り戻したのは………」
「イステルだ。イザベラじゃない」
現に、悪名や噂が真実だと気付かれてしまってからは、ロニーは鈴の付いた子ヤギの様にずっと俺に着いてきていた。
踏み込んでいた原生林をそのまま少し歩いたが、未だにロニーは隣から離れる様子は無く肩に留まったままのカラスにも相変わらず、感動する様な視線を向け続けている。
何度かカラスを自分の肩にも留まらせようと試しているが、今の所は威嚇と共に指を噛まれるだけに終わっていた。
「やっぱり、あんたもレイヴン選抜試験は受けたのか?」
「いや。移動術の訓練は自主的にさせてもらったが、試験は何も受けていない」
「試験無しでレイヴンになったのか?とんでもねぇな」
隣で意気揚々と喋り続けるロニーを見ているのは、何とも言えない気分だった。
騎士に憧れる少年に、騎士の実情を教えている様な気さえしてくる。
言うまでもなくロニーは少年ではないし、騎士どころか実際には真逆とも言える立場だが。
「あんた、原生林には良く来るのか?やっぱり、カラスが居るからか?」
「…………元々、森林浴が趣味なだけだ。カラス云々は関係無い。今日だって気分転換に森林浴に来ただけだったんだ」
俺のそんな言葉に、ロニーが妙な顔をする。
此方も、妙な顔を返す。
「森林浴?」
「森林浴だ」
「狩りでも無いのに、森の中歩いて葉と土の匂い嗅いで、歩き回ってそれだけか?」
「あぁ、それだけだ」
理解出来ないと言わんばかりに、ロニーが眉を潜める。
歩きながら辺りを見回し、あからさまに深呼吸してみるも、またも眉を潜めて足元の土を幾らか意識していた。
何が楽しいのやら、と表情が雄弁に物語っている。
「……まぁ、良さは分からなくもないな」
「お前嘘吐くのヘタだな」
そんな俺の言葉に、直ぐ様ロニーが苦い顔を見せる。
ロニーが目指したのがレイヴンマスクを被るレイヴンで良かった、こいつが諜報員になると言っていたら恐らく俺が止めていたか、他の連中に止められていただろう。
「仕方ねぇだろ、狩猟する訳でも無いのに雪の中歩き回って何が楽しいんだ?」
「自然は良い物だ。植木鉢や花壇とは違った良さがある」
「…………良さって、どんな?寒い冬景色にしか見えねぇけど」
「見たままだ。何も人の手が入っていない自然は、それだけで美しい。大体、分かって貰えないがな」
土を踏む足音が続く中、少し考える表情と共にロニーが辺りを見回し、更に考え込む。
何か良さを見つけようとしているのだろうが、すっかり葉の落ちた樹木の枝を見上げていたが、やはり良さは思い付かなかった様だ。
「…………一応聞くが、それってあんたの“強さ”に関係あるか?」
「“強さ”?」
「こう、森林浴の良さが分かってる方が判断が早いとか、いざという時に冷静な見方が出来るとか」
「いいや。判断の早さも冷静な見方も、そいつの素質だ。森林浴は関係無い」
ロニーが足元の石を溜め息混じりに蹴飛ばし、大した音も無く石が転がっていく。
露骨に残念な顔のまま、隣のロニーが空を見上げた。
帝国軍に居た頃、こんな兵士を見た事があった。剣を振り回し、ライフルの構えと狙いを覚え、筋肉を付けた辺りで「これで俺も敵を殺せるのか」と目を輝かせて騒いでいた兵士を。
早く敵を打倒し、強くなった自分を実感したいと心から待ち兼ねている姿を覚えている。
その兵士は最初の戦闘で駆け出し、敵を探している内から敵に腹を撃たれ、腹を抑えている所にライフルで頭を殴られて死んだ。
何も出来ず、ただ死んだだけだった。遠い、虚しい記憶だ。
「レイヴン選抜試験を潜り抜けたんなら、充分じゃないのか?少なくとも判断が遅い奴や、冷静な判断が出来ない奴になれる程レイヴンは甘くないだろう」
そう声を掛けると、悩む様な声と共にロニーが此方に目を向ける。
カラスが、促す様にも聞こえる声で鳴いた。
「確かにレイヴンは甘くないし、俺だって苦労したさ。だが帝国軍だって間抜けの集まりじゃない、実際に敵を倒せる…………噂じゃない強さが必要なんだ」
強さ、か。
自身を弱いとは思わないが、“強い”と思えるかはまた別だ。
そう反論しようとした瞬間に足を止めたロニーが、此方に向き直る。
「あんたもそうだろ?確かにあんたの評判は良くない。だが、ここまで言われる強さは本物だ。現にメニシコフ教官でさえ、あんたが強い事は認めてる」
メニシコフ教官……ヴィタリーの事か。
確かにあいつとは険悪だが、今まで遂行してきた任務と戦果を無視する程、愚鈍じゃない。
むしろ実質主義者の軍人だからこそ、無視する事が出来ない筈だ。
少し、皮肉な笑みが溢れる。
「一応聞くが、その強さも“噂”とは思わないのか?俺が大袈裟に言ってる可能性だって、無くは無い。改めて聞くが、これだけ悪い様に言われている俺の言葉を本当に全て信じる気か?」
実際、この団で広まっている俺の“強さ”も根拠は噂が大半だろう。悪名混じりの、大分黒い噂ではあるが。
ロニーが、首を振る。
「あんたは確かに悪評もあるし、大袈裟な噂も沢山ある。だが、過去に関わらず“強さ”は本物の筈だ。でなければ最高幹部達が軍を追い出されて腐っていたあんたを、わざわざ引き抜いてレイヴンとして投入する訳が無い」
冬の冷たい空気を、深く吸い込む。
強さが只の噂でない事は周りが証明している、か。
「“浄化戦争の英雄”程にもなれば、過去の汚名や悪名、罪や所属を踏み越えてまで黒羽の団のレイヴンとして勧誘される。俺は過去や大罪に負けず、果てには黒魔術まで手に入れる………俺はあんたの様な、“強さ”が欲しいんだ」
ロニーと同じく足を止めたまま、長く息を吐く。
過去の悪名や罪に負けずに戦う、なんて考えた事も無かった。その果てに黒魔術を手に入れた、とも。
俺は、そんな男では無い。
罪に負けないのではなく許されない罪を“背負い続ける”事、そして戦い続ける事しか出来ないだけだ。罪に“負けない”強さなど、無い。
無意識に拳を握り締める。喉まで出かかった言葉を、堪えた。
「…………鍛練に、励むしかないな」
それしか、言えなかった。目の前のロニーに罪は無い。少なくとも、俺に比べれば余程潔癖な存在だろう。
若い新兵に罪や悪名について説ける程、俺は高潔な人間じゃない。
「俺には俺の強さがあるなら、お前もお前の強さがある筈だ。違う人間が同じ鍛え方をしても、得られる物は違うだろう」
俺の罪を知ればむしろロニーが正義の名の元に、俺を討ち取るかも知れないな。
そんな、皮肉めいた考えが脳裏を過る。
「鍛練あるのみ、か。分かっちゃいたが、簡単な話じゃねぇよなぁ………なぁ、ほんとにその痣が手に出た切っ掛けは分かんねぇのか?」
そんな言葉と共にロニーが再び歩き出し、冬の冷たい雪を踏み締めていく。
俺の痣に憧れるかの様に、自分の左手を見つめながら。
強さとは何なのか。かつて俺も、そんな風に考えた事があった。
ひたすらに剣を振った事も、ひたすらに身体を鍛えた事もあった。だが、結局は“あの男”の様な者こそが強者なのだと結論付けたんだったな。
現に、俺に“強さ”なんて物があるのなら、殆どが“あの男”から受け継いだ物なのは間違いない。
悩みながらも歩いているロニーにかつての自分が重なり、隣を歩きながらも微かな笑みが漏れる。
「カラスに指を噛まれてる様じゃ、黒魔術なんて夢のまた夢だな」
そんな俺の言葉に、ロニーの顔が目に見えて苦くなった。
「自分がクールだからってそりゃないぜ、全く」
ロニーに覗き込まれた肩のカラスが、賛同する様に鳴いた。
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