第136話

 人目を引いている自覚はあった。






 自分は過去が過去なだけに、其処らの団員に噂するなと言う方が無理な話だと言う事は、元から分かっている。


 その上、最近は黒魔術を扱う怪物だの、カラスを従えているだの言われているせいで、悪評の一つ一つを輪にすれば長い鎖を作れる程には“デイヴィッド・ブロウズ”という存在は畏れられていた。


 花束を抱えたまま、寒空の下を歩いていく。


 そう、御世辞にも俺の評判は良くない。例え、こうして花束を抱えて歩いていたとしても。


 正直に言えば、団の中心を闊歩する訳では無いにしろ人目が多少ある所を歩くのだから、周りから眼を向けられるつもりが無かったと言えば嘘になる。


 だが、こんな不思議そうな目で見られるのは少し予想外だった。


 眉を潜めて睨み付けたり、露骨に避けたりするのではなく、どちらかと言えば興味深そうな目を向けたり、物陰から顔を出して眺めたりといった普段の扱いからは考えられない形で、周囲から注目が集まる。


 花束を抱えて歩きつつ、何とも言えない感覚と共に隣に目を向けると、これまた何とも言えない顔が見返してきた。


 何でこうなったんだか。


 身長7フィートはある巨大なラグラス人、ユーリ・コラベリシコフが同じく花束を抱えつつ、隣を歩いていた。


 俺もユーリも隠れるつもりは無いし、隠れる理由も無いのだが、只歩いているだけでここまで人目が集まるというのは何とも落ち着かない。


 勿論ユーリとて、あの上半身の大半を彩るタトゥーが見えている訳では無いし、何も奇妙な格好をしている訳でも無い。


 だがそれにしても、7フィートの身長かつその肉体に詰め込んだ様な筋骨粒々とした体躯は、どうしたって人目を引くのは仕方無いとも言えた。


 本人はそういう目で見られる事に慣れているのか、はたまた諦めているのかは分からないが、大して尻込みする様子も見せず悠々と歩いている。


 まぁ、気にするだけ無駄か。


 そんな納得とも諦めとも言える感覚と共に、人目の中を歩いていく。


 道を歩く最中、最初こそ興味や好奇の目を向けられていたが、抱えている花束と歩いている方向から“行き先”を察した人々が少しずつ、納得した様な顔で隣人の肩を叩いては離れていった。


 大の男二人が花束をもって歩く理由など、この団ではそう多くない。


 雪が降り積もった道のりに身体が冷えるも、目的地に着く頃には誰一人として好奇の目を向けてくる者は居なかった。


 先程、ラグラス人の中年女性とすれ違ったが納得した様な目をするだけで足も止めない。


 “この場所”に来て、「何でこんな所に」と言う者は殆ど居ない。“浄化戦争の英雄”だった自分は、言われるかも知れないが。


 背中を合わせる様にして作られた、三体の巨大な彫像。


 リドゴニア及びペラセロトツカで古代から信仰されてきたザルファ教、その主神たる三柱。


 隻眼の戦神、豊穣の女神、そして剛健な軍神が、屋外故の荒天に揉まれた傷痕を誇らしげに帯びながらも、整備された広場の中心に聳え立っていた。


 テネジアを信仰するテネジア教徒と、氷骨神話を信仰するザルファ教徒。


 両方の宗教及び、信仰を認めている黒羽の団ことカラマック島では宗教的な違いで団員達が衝突を生まぬ様、両者が祈りを捧げる彫像は当然ながら離れた場所に立てられていた。


 テネジア教徒が祈りを捧げる彫像、つまり聖母テネジアの彫像はこの場所の対極とは言わずとも、道を間違えた程度ではまず辿り着かない方面、方角の広場に建てられている。


 戦死したスヴャトラフ、そしてスヴャトラフが信仰していたザルファ教への祈りを捧げる場所も、当然ながら此方の彫像が該当するという訳だ。


 神々の中でも、スヴャトラフが主に信仰していたという軍神の像へと献花を捧げ、ユーリと共に祈る。


 来る途中、「現在は無宗教かつ、以前はテネジア教だった自分が祈っても良いのか」とユーリに質問したが、友の為に真摯に祈るのなら全く問題ないとの事だった。


 しかし、この三柱以外にも神々は居るそうだが、そちらに祈るにはどうするのだろうか。


 ユーリ曰く、「あくまで彫像という形があればその彫像に祈るだけで、無ければ無いで神々に祈りを捧げる」との事らしいが。


 テネジア教の礼拝と同じく、祈る事に細かい規則や礼法等は無いとの事だったので、片膝をついて拳を片手で包む様にして静かに祈る。


 風の音を聞きながら息を吸い、目を閉じていると様々な事が瞼の内、そして脳裏を過っていった。


 とりとめの無い事も、取り返しの付かない事も。


 クルーガーの過去を聞いてから数日経った頃、スヴャトラフもパトリックと同様に降葬の形で葬られていった。言うまでもなく、空の棺を。


 葬儀には当然ながら参列した。献花もした。前回のパトリックの時と同様、周りからの冷たい視線も献花する頃には殆ど無くなっていたのを覚えている。


 その葬儀で偶然にも、ユーリとは再会したのだ。


 ユーリの隣で牙を剥かんばかりのヴィタリーが此方を睨み付けていたが、彼が二言三言ヴィタリーへ話し掛けると、睨み付けていたのが拍子抜けの様な顔に変わり、そしてヴィタリーは離れていった。


 それから少し話をした。スヴャトラフの事は勿論、パトリックの事も。


 分かっていた通りユーリには多少寡黙な節があったが、それでもスヴャトラフやパトリック、この団や仲間達を大事に思っている事を話してくれた。


 お前は周りから悪く言われているが、信頼出来る良い仲間だと。団の中にもお前の味方は居るから、心無い事を言われても諦めないでくれとも。


 そして、いつか機会があれば共に狩りにでも行こうと会話を締めくくり、その日は別れた。


 次にいつ会おう、等といった明確な約束はしていない。


 そう、していないのだ。


 だからこそ今日スヴャトラフの為に、ザルファ教の彫像へ献花を捧げようと花束を抱え道を歩いていた所、奇しくも同様に花束を抱えて同じ方向へ歩いていたユーリを見た時は、お互い妙な顔になってしまった。


 そして、現在に至ると言う訳だ。


 少し余計な事を考えすぎたか。


 気が付けば随分と長い間祈っていた事に気付き、祈りを終えて静かに立ち上がる。


 隣のユーリは、目を閉じて膝を付いたまま祈り続けていた。


 随分と真摯に、集中して祈っている事が傍目にも伝わってくる。


 …………考えてみれば、俺よりもユーリの方が戦死について思う所はあるだろう。何れ程親しかったのかは知らないが、俺なんかよりは余程親しかった間柄の筈だ。


 戦死に慣れる事は無い。親しい間柄の友人を戦死、死別で失う事は、何度経験しても身を切る様に辛い。


 慣れてはならない、囚われてもいけない。だが決して忘れてはならないし、決して軽視してもいけない。


 深く息を吸い、足元に花束が手向けられた軍神の像を見上げた。


 ユーリとスヴャトラフが信仰しているという、ザルファ教の神。軍神である事を示す為か兜を被り、大きな鎚を手にした筋骨粒々の姿が彫刻されている。


 成る程。この軍神を余り細部まで知っている訳では無いが、戦士に人気そうなのは頷けるな。


 ユーリを見やる。そのまま眠っているのでは無いかとさえ思える程に、深く祈り続けていた。


 どうやら自分が思っていた以上にユーリの信仰心は深いらしい。いや、深いのは戦死した戦友への想いだろうか。


 風の音に混じる、雪を踏む微かな音にふと振り返る。


 防寒着を着込んだ、ラグラス人の老婆。


 よりにもよって、“浄化戦争の英雄”がザルファ教の彫像の前に居た事に老婆は驚いた顔をしていたが、隣で深く祈り続けているユーリの背中を見つめ、更に彫像の足元へ目線を向けた。


 軍神の足元に手向けられた花束を見つめ、ユーリだけでなく俺も花束を手向けた事を察したのか、再び此方に顔を向けてくる老婆に対して自分も目線を返す。


 老婆は少しの間、罪の告解を聞いた様な顔をしていたが意外にも何も言わず、軍神とは別の彫像、奔放な豊穣の女神を模した彫像へと歩いていった。


 そして、老婆が雪の中に跪いて祈り始めた辺りで漸く隣のユーリが祈りを終え、静かに立ち上がる。


「話しすぎた」


 懐かしむ表情と共に静かにそう呟いたユーリの顔は、この広場に来る前より穏やかな顔をしていた。微かに、ではあるが。


 自分達から少し離れた場所で、祈り続けている老婆を見やる。


 奔放な豊穣の女神、その彫像に老婆は何を祈っているのか。願っているのか、報告しているのか、はたまた感謝しているのか。


 真意は、本人と女神しか知らない。


 …………かつて聖母テネジアと帝国の名の元に人々の命と人権を踏みにじり、異教の生活と信仰を焼き払った俺が抵抗軍に入り、戦死した戦友の為に異教の神々へ祈る事を聖母テネジアはどう思っているのだろうか。


 一度この手で焼き払った人々の為にまたもや手を血に染めて戦っている自分を、ザルファ教……氷骨神話の神々はどう見ているのだろうか。


 俺を、赦すだろうか。それとも、裁くだろうか。


 老婆が祈る姿を見ていると、隣から遠慮がちにユーリが顔を覗かせてくる。


「どうした?」


 少し訛った、そんなユーリの言葉に頭を掻いた。


 胸中で声がする。






「何でもない」


 裁かれるべきだ、と。

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