第134話

 どうやら、妊娠していないらしい。






 妊娠ではなく只の不順だったらしく、拍子抜けの様な感覚と共に鏡の前で髪を整える。


 あれだけひっきりなしに励んでやったのだから、いい加減子供ぐらい出来ても良い頃合いだとは思うのだが、中々思い通りにはならないものだ。


 まぁ、子供など居なくとも結婚している限りこの生活は殆ど磐石だろうが、念の為に子供でも居た方が確実だろう。


 毎日丁寧に朝から晩まで、隙無く“理想的な妻”を演じてはいるが、男がいきなり不可解な行動をする事を自分は“嫌と言う程”知っている。


 万が一にも向こうが他の女に移り気でも起こして、この生活から追い出される様な事だけは絶対に避けなければならない。


 逆に、子供さえ居れば“万が一”があっても盾にもなるし向こうに責を押し付ける事も出来る。


 自分だけこの生活に残り、あの夫を蹴落とせるならそれはそれで悪くないが、そう甘くは行かないだろう。


 やはり自分があの夫に“気紛れ”を起こさない様に管理しつつ「愛する妻を上等な豪邸に住まわせ、優雅に過ごさせる事こそ我が誇り」と思う様に躾ておかなければ。


 言葉にすれば簡単だが、骨が折れる仕事には変わり無い。


 髪を整えた辺りで、高価な装飾品を華美で無い程度に添える。


 浪費を美徳とした、かつての貴族をなぞる訳では無いが高価な宝石類を安物かの様に、何気無い装飾品として添えておくというのは、真の上流階級の証だと個人的には思っていた。


 少なくとも、くすんだ安物を精一杯磨いて着飾っている様な心身共に醜い女達。そんな連中には、一生届かない階級に居る事は間違いない。


 更に上流階級を望まないと言えば嘘になるが、充分に及第点ではあった。


 “貴族階級の姫”と言われて、レガリスの大半が想像する様な生活は既に手に入っているのだから、昨夜も愛を囁いていた上流階級の夫は、私の人生に充分と言える程貢献してくれている。


 だが、私は今の生活を幸運だとは爪先程にも思った事は無かった。


 幸運等ではなくこれが私の、私という人間の実力なのだと、日頃から自負している。


 正当人種、キセリア人種であるのは当然として、裕福とは言えずとも決して貧しくない家庭に生まれており、周りは皆競争相手だと言う事も分かっていた。


 後はどれだけ周りの愚鈍な連中に、差を付けるか。


 子供の頃から全てを捧げる様に自分を磨き上げ、博士号すら狙える程の頭脳と貴族にマナーを指摘出来る程の教養を手に入れた。


 馬鹿なまま、傷の舐め合いを美談にする愚鈍な連中は眼中に無く、最早比べる事も烏滸がましい。


 そして何より私、アマンダ・オイレンブルクは若く瑞々しく、美しかった。


 誰よりも、私自身がそれを自覚している。


 周りの女から思い上がるなと妬まれるも多かったが、私は妬まれるだけの美貌と素質を持っている事を分かっていたし、それを理解していれば周りの嫉妬は殆どが下らなく見えるだけだ。


 その結果として、私は磨き上げた私に相応しい伴侶たる上流階級の夫を射止め、この輝かしい生活を手にした。


 あれだけの努力と競争が、幸運でなどあってなるものか。


 上流階級の男、それも外見と体裁が整い愛妻家の男ともなると随分競争は苛烈だったが、私には積み重ねた努力と研ぎ澄ました美貌があり、今更になって競い始めた奴等など相手にもならなかった。


 はっきり言うが、私は他の甘ったれた不細工どもとは覚悟が違う。


 その証拠に向こうが望むなら、女優顔負けの演技力を見せ付けてやっても良い。夫が貞淑を望むなら、夫の前では手を握る事も恥じらう程の淑女を演じて続けても良いし、もし夫が好色を望むなら夫の前ではグース・ガーデンの女どもが呆れる程の、娼婦を演じ続けるぐらいの覚悟はある。


 生憎と今の夫、ニコラウスは中々に好色らしかったので、今の所は後者の方針で夫を悦ばせていた。


 何せ、自分の生涯に渡る輝かしい貴族暮らし、満ち足りた優雅な人生が懸かっているのだ。


 その程度の“労働”など、まるで気にならない。


 誇りがどうのこうの、暮らしと金の為なら股でも開くのかと喚く連中も居るが、自分に言わせるなら人生が掛かってまで本気で動けない奴は、その程度のクズでしかない。


 誇りを持って雨漏りに苦労する生活を望むなら、是非とも好きにして貰いたいものだ。


 しかし充分な及第点とは言え、無事にこの男と生活を射止められて良かった。


 思い出すのも癪だが、自分は以前相手の可能性を読み間違え、危うくとんでもない転落人生を歩む所だったのだから。







 前の男は将来有望な上、それなりの教養もあり、変な虫も付いておらず女性にも紳士的とかなり優秀だった。


 帝王からも気に入られており、数年後には宮殿に住んでいるとも噂されている程の男。


 この男さえ手懐ければ、私の輝かしい一生は安泰となる。


 そう思った私は人と金を使ってまで男の過去と家庭を調べ上げ、培った愛嬌と美貌を駆使して彼に近付き、数えきれない程の小細工と共に運命を演出しつつ、『過去と家庭の痛みを癒してくれる運命的な美女』として男に接触した。


 向こうの話に同調するのではなく、先に此方から“似た境遇の話”をするのが肝心だ。そして相手は話しても居ない過去との共通点を見つけ、胸中で共感し始める。そういった幾つもの小細工を駆使し、“私”の全てを注力したのを覚えている。


 結果、男も最初は懐疑的だったが“偶然にも”似た経験があり、家庭環境にも理解がある美女に少しずつ心を許していき、私に“運命”を感じる様になっていった。


 相手の性格、女性嗜好、経歴は弁えていたので許容出来る程度に敢えて時間を掛け、関係を構築していく。


 調べていた以上に彼は女性と丁寧に付き合う性質らしく、思った以上に“跨がる”羽目にはならなかったのは意外だった。


 もっと好色ならば、この若く瑞々しい肉体と美貌を使って手早く夢中にさせられたのだが、こればかりは仕方無い。


 丁寧に時間を掛け相手が心から自分を愛する様になるまで、相当な時間と手間が掛かる羽目になった。


 あの時は子供でも出来ればもっと確実に射止められる、と思っていたのだが、後から考えると仮にあの時子供でも出来ていれば、私はとんでもない転落人生を歩んでいただろう。


 後、数ヶ月で黄金の椅子に座り、寝起きするだけで宮殿で部屋から溢れる程の金貨を手にし、帝王に生活と栄光と欲望の全てを保証される生活が待っていたその時。


 その男、デイヴィッド・ブロウズはよりにもよって、帝王に抗議の書簡を提出したのだ。それも、穢らわしい奴隷民族なんかの為に。


 結果、生涯に渡る黄金の椅子を失い、軍の中でも左遷され、唾を吐かれる立場へと男は転落したのだ。


 それを知った時の、身体中の血潮が沸き立つ様な憤怒は今でも覚えている。


 あらんばかりの罵倒と共に男の頬を張り飛ばし、男の財産の大半を金に替え持ち帰った事も。


 正直に言って、もう一度顔を合わせる事があれば今でも股ぐらを蹴り潰してやりたいのが本音だ。


 もしもあんな狂気染みた“気紛れ”さえ起こさなければ今頃、この夫とは比べ物にならない程の暮らしを出来ていただろうし、その為なら文字通り何でもしてやったと言うのに。


 まぁ、過ぎた事を悔いても仕方がない。


 しかしあの男に人生を狂わされかけたのも、考えてみればもう4年近く前か。


 その後、聞いた話によればあれから弟は事故死して家族にも愛想を尽かされ、軍からも追い出されたらしいが、詳細は分からない。興味も無い。


 夫が読んでいた新聞によると最近、一体何をやらかしたのか帝国軍から正式に指名手配までされたのだとか。


 溜め息が出る。何と言うか、落ちる所まで落ちたとしか言い様が無い。






 デイヴィッドの様な“気紛れ”を起こさせない様、今の夫も見張っておかなければ。


 そんな思いと共に、私は高価な服に袖を通し部屋を出た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る