第133話
滴る音がした。
黒く冷たく、淀んだ水を膝で掻き分ける様にしながら男は歩いていく。
男は剥製の様に虚ろな眼をしたまま、濁りと淀みの中を歩いていた。
俯き、淀んだ水に映る自分を眺める様にしながら、男は暗い虚無の中を彷徨う。
その左手には翼を模した様な、トライバル方式の紋様が焼き焦げの如く刻まれ、右手には赤黒い錆の様な物がこびりついた、骨の槍が握られていた。
唄う様な、呼び掛ける様な鳴き声。
風景を這う様にして、ゆっくりとフカクジラが虚無の中を泳いでいく。
その眼球が抉り取られた眼窩からは黒い痕が伸び、泳いでいるとも漂っているとも言える動きのフカクジラが、鳴き声と共に男の上方を通りすぎていった。
黒く冷たい水に点在する、石とも木とも金属とも言える大小様々な結晶の様なもの。
漸く水面から顔を出す程度の結晶もあれば、上方のフカクジラが避けて泳ぐ程に大きく背の高い結晶もある。
当の男はそれを気にも掛けず歩いていたが、不意に虚ろなままの顔を上げた。
岩場の様に結晶が積み重なった粗末な、だが不気味な祭壇の様な場所。
導かれる様に男が淀んだ水から祭壇に足を上げ、結晶を踏み締める様にして祭壇の中心部へと進んでいく。
男が、立ち止まる。
途端に何処からともなく、数多の羽音と濁った輪唱を引き連れて、眼窩を抉られたカラス達が集まり始めた。
取り囲み、憂いてる様にも惹かれている様にも見えるカラス達が、濁った低い鳴き声で四方八方から輪唱を浴びせる。
そんな中、ふと祭壇の前方からゆっくりと顔を覗かせる者が居た。
ウルグス。巨大なフクロウの姿を持つ神霊が蒼白い双眸を興味深そうに輝かせながら、男を見つめていた。
左手の印が蒼白く光り、男の手から滑り落ちた槍が音を立てて祭壇の上を転がる。
カラス達の濁った輪唱の中、ウルグスが微かに首を傾げた後、言葉ではない“何か”を呟いた。
そんなウルグスの仕草に促された様に、微動だにしない男の頬や首から皮膚を突き破る様にして、黒い針の様な物が生え始める。
針の様な物は直ぐ様毛並みの様に生え続け、それが羽根だと分かる頃には男の身体の大半が黒い羽根に包まれていた。
男が黒い羽根に包まれていく中、不意に足元へ赤黒い血が滴り、結晶に染みを残しながら吸い込まれていく。
男の両目、その眼球が眼窩から弛んだ様にゆっくりと零れ落ち、二つの眼球が水中に落ちた葉の如く男の前方を彷徨った。
揺蕩う眼球はウルグスの双眸と同じく不気味な蒼白い色に染まっており、少し宙を待った後、流される様にウルグスの元へと運ばれていく。
その二つの眼球を、ウルグスが満足げな仕草と共に嘴の中へと放り込んだ。
眼窩が空虚になり全身を黒い羽根に包まれた男の身体が、骨が砕ける様な鈍い音と共に変形し輪郭を変える。
そんな男を嘲笑う様にも、男の顛末を嘆く様にも聞こえるカラス達の鳴き声が、辺りに広がっていく。
そして少し経つ頃には、眼窩を抉られ両の眼球を失った一羽のカラスが祭壇の中心に佇んでいた。
やがてそのカラスも周りと同じく、濁った声で鳴き始める。
ウルグスがゆっくりと闇へ姿を消していき、濁った鳴き声を重ねていたカラス達も思い思いの方向へと飛び立ち始めた。
祭壇に居たカラスも濁った鳴き声と共に飛び立ち、群れに混ざっていく。
フカクジラの嘆く様な声が、長く長く響いていた。
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