第112話

 皆、どんどんおかしくなっていく。





 坑道に来た最初、皆は不満ばかりで腹が減っただの労働がきついだの、朝が早いだの隠れて文句を言っていた。


 勿論、堂々と言ったりすれば何をさせられるか分かったものでは無い。


 ここの経営者は鞭で教育するタイプらしく、かつて堂々と文句を言った者が道具無しで土を掘らされ、手が傷だらけになった上に“採掘が遅い”と飯まで抜きにされた者の話を聞いた時は、身が縮こまる思いをしたものだ。


 だが少しすると、絶対に聞こえないであろう所では平然と皆で文句を言う様になった。


 どっちにしろ、この労働環境で不平不満が出ない訳が無い。そして、抱え込んだまま口から全く出ない、など到底有り得ないのだ。


 朝から晩まで働かされて、自分達が苦労して採掘した鉱物に「こんなに少ない訳が無いだろう」と一日の終わりに言われて、文句が全く出ない奴こそ、自分に言わせればどうかしている。


 一応自分達は公式には奴隷では無いらしいが、現場からすれば奴隷だろうと奴隷でなかろうと、大した差は無い。


 朝から丸一日働かされて、坑道で岩を掘らされ、夜遅くに寝て、また次の日は朝早くから起こされる。


 こうして言うと、“だがお前はいざとなれば仕事を選べるじゃないか”と文句を付ける奴が居る。


 確かにそうだ。俺達は公式に奴隷契約もしていないし、売買されても居ない。この労働も自分で契約した。


 だが、言わせてほしい。


 ここで文句を吐いて仕事を辞めると言って、何処へ行けと言うのか。


 前職を一方的に解雇され、明日の飯もまともに無い状態からこの炭鉱を紹介され、「次の仕事はあいつらに付いていけ」と書類でも整理する様に経営者から言われたのだ。


 断る権利も機会も無い。


 向こうも、それを分かっているからこそハトかツバメでも扱う様に自分達を、平然と炭鉱送りにしたのだ。


 労働環境は前述の通り、だがこの炭鉱を抜けた所で近辺の町に行くのが精々だ。


 この炭鉱近辺の町には、この炭鉱以外でラグラス人が雇ってもらえる仕事など、この炭鉱仕事の半分以下の給与しか出ない。


 この町を出て他の大きな町に行くには結構な旅費が必要になる。それも、自分達が今より更に食事を切り詰めて更に働いて、少しずつ貯めて、漸く貯まる様な金額だ。


 その上、そこまで苦労して貯めて最初に何とか辿り着ける町は、ラグラス人をこの炭鉱送りにしている事で有名な町なのだから、もうお手上げというしか無い。


 現に自分も、そこで資材運搬をしていたのに当たり前の様にこの炭鉱へ送られた。


 良い生地の服を来たキセリア人が、ヒヨコでも数える様に働く俺達を指差しながら数えていたのを覚えている。


 奴隷かどうかの違いなど、実際に鎖が付いているか見えない鎖に繋がれているかの違いでしかない。


 ここしか行き場所が無く他にも行く当てが無いのなら、奴隷と何が違うというのか。


 飢えない程度の食事を買えば、小銭が幾らか残る程度の給料しかない。


 唯一分かりやすい自由として自分達は、見えない所で不平を言いながら働いているのだ。上司を馬鹿にしたり、上司の妻を馬鹿にしたり、更に下品な冗談を交えたりしつつ。


 未来が明るいなんて、冗談でも言わない。


 浄化戦争はラグラス人の敗北で終わり、自分達はレガリス近辺の浮遊大陸でこうしてニワトリの様に、歩けなくなるまで飼われるしかないのだ。


 一時期は黒羽の何たら、なんて抵抗軍がもう一度革命を起こしてくれるかも、なんて期待を抱いた事もあった。


 だが、聞こえてくる抵抗軍の話題はどれも先細りの様な話題ばかり。


 正直に言って抵抗軍はもう、石を投げて窓を壊して迷惑をかけてやるぐらいしか出来ないのでは無いか。そんな風に思っている。


 最近になって再び、話題になり始めたらしいがもう期待していない。


 希望は、砕かれた時には絶望より鋭く刺さるのだ。だから、“来月には自分達も何か変わるかも”なんてなるべく考えない様にしている。


 そして最近、変化が訪れた。


 こう言いたくはないが、正直に言って良くない変化だ。


 ダニールとかいうラグラス人が、この炭鉱を訪問したのだ。


 わざわざ全労働者に長時間の休憩を設け、一ヶ所に集め、ダニールはクソの詰め合わせみたいな演説を始めた。


 最初は“休憩出来るなら何でも良い”なんてぼやいていた同僚も、何故か途中からは食い入る様に演説を聞き始めたのを今でも覚えている。


 ダニールは正直に言って、気に入らなかった。キセリア人の貴族みたいな高い服を着て、綺麗に頭髪と髭を剃り、勿体振った気持ち悪い喋り方をする。マグダラ語でだ。


 演説の内容もまぁ酷い。丁寧に喋り上品な例えを使うが、“自分流に翻訳”すれば概要はこうだ。




「お前らがラグラス人に生まれたのは、生まれる前から罪人だからだ。そして罪は必ず償わなければならない。だからお前らは金持ちのキセリア人の靴を舐めて、靴紐をパスタみたいに啜って、我等が聖母テネジア様に懺悔しよう。こんな罪人に生まれて申し訳ありませんと謝ろう。これからは罪を償う為にキセリア人の靴を磨いて、給料を半分で良いですと断って、“俺はタダ働きでこんなに罪を償ったんだぜ、かっこいいだろ”と周りのラグラス人達と自慢しあう人生を送ろう。お前らにこれ以上の生き甲斐は無い。さぁ明日から始めるんだ」




 大分分かりやすく言えば、こう言う話だった。


 最初は鼻で笑っていたが恐ろしい事に、話し方が綺麗なせいか小賢しい文法を使うせいか、皆が真剣に聞き始めた。


 最初は冗談かと思っていた。でも、誰も居ない時に飯を食いながら、仲間が真剣な眼でその話を始めた時は本当に寒気がしたのを覚えている。


 演説は連日に渡り、何度も何度も同じ内容が繰り返された。その内、昼時の食事の時間を兼ねる様になった。


 自分には鼻で笑いながら飯を食べる時間でしかない。


 だが、その演説を聞いている内に本気で自分を罪人だと思い込むラグラス人が、何人も現れ始めた。


 皆、段々と狂気に呑まれていく様で最近は恐怖を感じている。


 何より怖いのは、自分達だけの時間になっても誰も文句を言わなくなった事だ。


 皆、疲れはてても何も言わなくなった。飯も少なくなった。金を貯める様子も無い。


 会話もおかしくなった。


 まず自分が下である事から会話を始め、仕事に不平不満など言おうものなら呪われる、と言わんばかりの調子だ。


 それで居て、自らは幸せだと、遂に自分も何かを成し遂げられるかも知れないと、真剣な眼で言っているのだ。


 もう殆どの者がおかしくなってしまった。


 皆前より少ない給与と食事で、前より笑顔で前より長時間働く様になってしまった。一日中、文句の一つも言わずに。


 もうダニールの演説は行われていない。だが、あの時振り撒かれた狂気はしっかりと根を張ってこの炭鉱に染み付いている。


 誰にも話した事は無いが自分は最近、脱走の計画を立てている。


 最後には一か八か、管理者どもの資金を盗み出してその金で遠い町まで逃げるつもりだ。


 確かにリスクは数え切れない程ある。捕まれば、処刑だってあり得る。ヤギみたいに内臓を引き摺り出されて、それを見せしめとして炭鉱の入り口近くに飾られるかも知れない。


 万が一逃げきっても、此処の連中が連帯責任とやらで酷い目に合う可能性も充分に有り得る。


 だが、此処にはもう居られない。


 こんな場所でこんな連中に囲まれていては、自分が自分で無くなってしまう。


 踏みつけられ、踏みつけてきた靴を磨き、色んな連中の爪先を磨きながら人生を終える事を“美談”として、周りに自慢する一生を送る事になってしまう。


 それだけは死んでも嫌だ。


 俺達の“死んでも嫌だ”は其処らの愚痴とは訳が違う。


 本当に、死ぬ事になっても、嫌なのだ。


 脱走の決行はあのダニールとやらが、飛行船で講演をする際にしよう。


 あの演説を聞けばラグラス人達が給与を断りつつ、前以上に元気で働くものだから経営者達も、ダニールの演説を第一に考えわざわざ休日を振り替えてまで休みを取り、丸一日休ませて演説を聞きに行かせる計画を立てている。


 見張りの連中も最近は気が緩んでいるから、まさか有り難いダニールの演説を聞けるのに、ラグラス人の中から脱走する奴が居るとは思っていない。


 その演説日が、勝負だ。


 皆が意気揚々と定期飛行便に乗り込み、演説を聞きに行く最中、一人だけ炭鉱に残り脱走する。


 奴等は演説に向かう自分達を、全員揃っているか数えたりしない。


 以前、体調不良で倒れたままダニールの演説を聞けなかった仲間に、演説が終わるまで見張りが気付かなかった事からもそれは間違いない。


 皆が飛行船で演説を聞いている最中、完全に無人だと思われている炭鉱から静かに脱走する。


 どれだけ演説と飛行船の方に意識と注意が向いてくれるか、そしてどれだけ発覚が遅れるかが鍵になる。


 そして、演説の際にはこの炭鉱の見張りが半分以上付いていく筈だが、逆に言えば半分近くは残ると言う事。


 無人の炭鉱の周りでは、完全に空気が抜けたキセリア人の連中が鼻でもほじりながら彷徨いてるだろうが、夜中の便所より周りが見えていないのは間違いない。


 俺の脱走の際、飛行船の方で何か騒ぎでも起きてくれたら時間が稼げて助かるのだが。





 まぁ、そんな僥倖は望めないだろうな。

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