第78話

 日が、高く昇っている。






 今日は大変な一日になりそうだな。


 まぁ、数日もすればもう俺はこの黒羽の団本部、カラマック島から出発してレガリスに向かわなければならない事を考えれば、仕方ない事ではあるが。


 レガリスの崩落地区に着いた後も決行のタイミング等を調整する事を考えれば、本当にタイトなスケジュールと言わざるを得ない。


 予め実行係の俺以外には話が回っていたらしいが、その時に一応でも良いので俺に話を回して欲しかったというのが本音だ。


 ユーリの所を離れて、その足でクルーガーの元へと向かいながらそんな事を思う。


 あんな辺境から技術開発班にまで戻ってくるのはそれなりの距離を歩く事になったが、気分は悪く無かった。


 技術開発班の連中は、他の居住区の連中と比べてまだ人道的な対応をしてくれるからだ。


 少なくとも、見掛けた途端に疫病の様な扱いをされたり、睨み付けた後に下水でも見たかの様な顔で道合に唾を吐き捨てる様な対応をされる事も無い。


 話によれば、クルーガーにも予め話は通っている筈だ。


 どれ程前に話が通っているかは知らないが、向こうにしても随分と急な話だったのは想像に難くない。


 今まで見た事も聞いた事も無い様な兵器相手に、資料を元に対策を出せと言うのだから。


 階差機関を搭載した、ディロジウム駆動の12フィートの鉄の巨人を倒せる兵器を期日までに作ってくれ、等と急に言われたクルーガーの心中は察するに余りある。


 少し歩いて技術開発班の辺りにまで来たが、随分と穏やかな空気を感じていた。


 以前にゼレーニナの塔に来た頃は袖捲りをした作業員が猛暑の中で機材相手に格闘していたが、今では秋の心地よい風が流れていく中を袖を伸ばした作業員達が、落ち着いた様子で作業をしているのが見える。


 訪問ついでに辺りを見回しながら歩いていると、小休止と言わんばかりに紙巻き煙草を燻らせている作業員が目に留まった。


 静かに、目が合う。


 髪を短く刈り込んだ、同年代らしき作業員の男はどうやら俺が恐ろしい存在とは余り思っていないらしく、煙草を咥えたまま他の班の同僚かの如く粗雑な目を向ける。


 こうして見ると、恐れられるよりは気安く流される方がよっぽど気が楽だな。


 そんな事を考えているとふと、左手の痣が微かに熱を持った。


 片眉を上げ、熱と共に微かに光を帯びている左手の痣を胸の前に持ってくる。何だ?


 羽音。肩に、重さ。


 目が険しくなったのが、自分でも分かった。嗚呼、畜生。そういう事か。


 肩を見るまでもなく、野生であろうシマワタリガラスが使い魔の如く、肩に留まったのが分かる。


 そんな俺を見た目の前の作業員が、目を見開いたまま咥えていた煙草を取り落とす。


 違う。これはそういう類いじゃない。


 俺がそんな弁明をする前に、慌てた様子で転びそうになりながらも、作業員は逃げ出してしまった。


 火の着いた煙草さえ、置き去りにして。


 ……重く、溜め息を吐いた。今の件でとうとう、技術開発班の連中さえ俺を恐れる様になってしまったかも知れない。


 幾らクルーガーから説明を受けていたにしても、それでも挨拶した途端に野生のシマワタリガラスが何処からともなく肩に留まったりすれば、俺が悪魔の使いに見えるのも無理は無い。


 俺自身、今の姿を見られてテネジア教徒から“悪魔の使いだ”と指を指されたとして、どれほど反論が出来ようか。


 仕方無しに作業員が居た辺りまで歩いていき、まだ煙を上げていた紙巻き煙草を踏み消す。


 俺の責任じゃないにしろ、吸殻を落としておくのも良くないだろう。後でしかる場所に捨てるなり何なりしておかなければ。


 踏み消した煙草を拾い上げるの動作の最中も、肩に留まったシマワタリガラスは体制を変えつつも平然と肩に留まったままだ。


「お前のせいなんだぞ、分かってんのか?」


 そんな言葉をカラスに呟くも、まるで気にしている様子が無い。至極当たり前の話ではあるのだが。


 肩のカラスをしっかり見据えながら、手で押し退ける様にゆっくり払ってみると肩の上で徐々に押しやられる様に下がった後、どうやら意図が伝わったらしく静かに飛び立った。


 鼻を鳴らす。変に叩き落とす様な真似にならなくて済んだのは、幸いだった。


 俺だって、肩に留まっただけで噛み付いてくる訳でもないカラスを、手酷く殴って追い払う様な真似は極力したくないのだから。


 世の中には、小鳥が目の前に来れば息をする様に踏み潰して蹴り払う連中が居るらしいが、俺は生憎とそういう類いでも無い。


 漸く一息つくも、それでも聞こえてきたカラスの鳴き声に嫌な予感と共に振り返る。


 肩から払ったカラスは、どうやら俺から興味が無くなった訳では無いらしく、手近な屋根の端に留まり俺の方を見つめている。


 ………想像以上に、カラス達とは長い付き合いになりそうだ。


「勿論、窮地に陥ったら助けてくれるんだよな?」


 皮肉気味にそんな言葉をかけるも、ただカラスは不気味にも思える声で低く鳴くだけだった。







「いやはや帝国の技術力には脱帽ですね、有機性階差機関とは。生命を組み込んで機械に自律性を持たせるなんて、よくもまぁ思い付いた物です」


 自動演奏の蝋管型蓄音機、通称“シリンダー型蓄音機”が流麗な音楽を奏でる中、対面に座ったクルーガーがそんな言葉と共に図面を広げていく。


 蓄音機は蒸気駆動式らしく、演奏部分の隣では湯気を立てながら小型の蒸気機関が稼働していた。


 蝋と聞くと最初に蝋燭が浮かぶ類いの人間ではあるが、超硬質の蝋管からすれば隣で小さな蒸気機関が動いている程度の熱では、品質に劣化もないのだろうな。


 利益で敗北し、市場から淘汰されてしまったレコードディスク型も自分としては中々風情があって好きだったのだが………結局は超硬質蝋管を使う、レコードシリンダー型の蓄音機が一般的になってしまった。


 まぁ、録音機能も無いディスク型が市場から消えるのは、必然と言えばそれまでなのだが。


 しかし蓄音機の事は置いておくにしても、目の前の資料と構想らしき書類を見る限りクルーガーはやはり自分より以前に情報を受け取っていたと見て間違いないらしい。


 広げられた図面の様々な箇所に線が引かれ、至る所に注釈がついている。注釈の言葉を幾つか見る限り、生身の人間がまともにぶつかるには厳しい相手らしい。勿論、言うまでも無いが。


「一応聞きますがミスターブロウズは、自律駆動兵についてはどれぐらいご存知で?」


 広げた資料の端を伸ばして別の資料で押さえながら、クルーガーがそんな事を聞いてくる。

 情報の擦り合わせか、まぁ当たり前と言えば当たり前か。


 しかし考えてみれば朝にヴィタリーから言われた僅かばかりの情報と、ユーリから聞いた情報だけしかグレゴリーについては知らない事になる。


 クルーガーの方で全て聞いた方が早かったのではないか、と一瞬思ったが図面ではどんな挙動でどんな反応をするかまでは、流石のクルーガーも説明出来ないだろう。


 戦士にしか見えないもの、というのはあるものだ。


「………体長12フィートで、剣も矢も効かない程の重装甲が使われている。俺達みたいに走る、柱みたいな斧を握っていてレイヴンを叩き潰す程に強い。そんな所だ」


 ふとゼレーニナからウィスパーの説明を聞いた時、極々簡単な返事しか出来なかった事を思い出した。だからどうと言う訳でも無いが。


 勿論、クルーガーはあんな無愛想な返事をする訳も無く、「ふむ」と資料から俺に目を移しながら呟く。


「完全に主観として、レイヴンのミスター………コラバリコフ?」


「コラベリシコフだ」


「あぁ、失礼。そのミスター……コラバリスコフが主観として聞いた情報のみ、という所で宜しいですか?」



「……あぁ」


 そんな少し諦めた返事にクルーガーが再び目線を資料に目線を戻し、性能表らしき文献を広げながら言葉を紡ぐ。こう言っては何だが、学院の教授みたいな口振りだ。


「では一つずつ行きましょう、まずは基本構造から説明していきます」


 そう言いながらクルーガーが、ライノヘッドの内部構造らしき図面に指を添える。


「正式名称は“有機性階差機関型自律駆動兵”、現在は重装型と機動型の二通りが生産されています」


 成る程、“有機性階差機関”か。ユーリから聞いていた話とヴィタリーから聞いていた話、そして浄化戦争の最中に聞いていた噂話が漸く混ざりあって形を成していく。


 中に特殊処理した鳥類を生きたまま組み込むからこそ、“有機性”なんて名前が付いている訳だ。“自分で判断出来る様に”なんて理由で中に組み込まれる鳥類からすればたまったものではないが。


「ミスターコラバリスコフが遭遇し、三人のレイヴンが殺された駆動兵は重装型、通称“グレゴリー”と呼ばれている駆動兵ですね。腕力や出力に重点を置き、最新鋭の武装戦艦の外装とほぼ同一素材の装甲を身体中に装備しています」


 相変わらず名前は間違えているが、後にしよう。


 重装甲と腕力、か。ユーリから聞いた話から考えても、確かにそれは間違いなさそうだ。


 しかし、それよりも。


「………これが、自律駆動兵か」


 図面に様々な注釈と共に描かれた、恐ろしい風貌の駆動機械。まるで蒸気機関の駆動部をかき集めて組み合わせ、人間を象った様な造形をしていた。


 胴体と頭部は言わずもがな、手足も圧力機構が内包されており腕一本取っても兵器に見える程に太く、足も鉄工所の産業機械をもぎ取って来たかの様に重厚な作りになっている。


 別の資料に描かれている、恐らくはこの自律駆動兵の為に開発されたであろう近接武器も、縮尺を間違えたかの様に巨大な武器だ。


 子供が訳も分からず、馬鹿げた縮尺で描く斧。そんな風に形容するしか無かった。


 ………ユーリの話と組み合わせれば、こんな工業機器に手足を生やした様な造形の巨人が、馬鹿げた大きさの斧を振り回しながら走ってきたという。


 それこそ、冗談にしか聞こえなかった。


「ユーリ……コラベリシコフから、大きさは12フィート程と聞いている。これは本当か?目測を誤っていると思いたいんだが」



 図面の恐ろしい風貌に眉を寄せながら、一つ一つ話を進めていく。


 そんな俺の言葉にも、クルーガーは意外な程軽く答える。


「正確には11.8フィートですが、まぁ大差ないでしょう。残念ながら、ミスターブロウズが想定している姿でほぼ間違いありません」


 いつも、現実は悪い方に行くものだ。バタートーストの法則が頭を過るが、嘆いても仕方無い。


「……最新鋭の武装戦艦の外装と同一の素材と言ったが、それはディロジウム爆薬でも破れないのか?手榴弾では大した損傷は与えられなかったとは聞いたが、炸薬量を増やしても破れないのか?」


 そんな俺の言葉にクルーガーが別の図面と書類を引っ張ってきて、顎に手を当てながら答える。


「一般的な手榴弾程度のディロジウム爆薬では、装甲内部まで損傷させる事はまず無理だと思って良いでしょう。多少はダウンサイジングされているにしても、元々は戦艦の砲弾にも対抗出来る装甲です。ディロジウム爆薬で貫通させるとなると……まず戦闘には使えない程の量になるでしょうね。加えて、それだけの爆薬を使うなら貴方達もただでは済みません。日頃想定している戦闘の間合い、交戦距離では駆動兵の装甲を貫通する以前に、まず此方の方が致命傷を負うと見て間違いないでしょう。爆発に指向性を持たせれば或いは可能性があるかも知れませんが………工房ならまだしも、戦闘時に出来る様な事ではありませんね」


 ………薄々、分かってはいたが爆薬でも駄目か。クルーガーの言いたい事は分かる、戦艦の外装に爆薬で穴を開ける事を考えれば、それこそ背負って運ぶ程の爆薬が必要になる。


 レイヴンを叩き潰す程の強大な鉄の巨人に、その量の爆薬を取り付けて起爆する事がどれだけ非現実的かは、言うまでも無い。


 その上、万が一起爆出来てもその量を起爆すれば装甲を貫通するより先に、俺の方が粉微塵になってしまう。


 爆薬を諦めるとなると、それこそ戦艦の砲弾程の瞬発力が必要になる。砲弾をぶつけるなんて勿論出来る訳もなく。


 空を見上げながら、座っていた椅子に体重をかける。


「となると、どうしたものか。いっそ戦艦なら、まだストレートに砲弾をぶつけられたんだが」


 そんな言葉と共に思案に耽っていく。


 どうにか、この鉄の巨人こと“自律駆動兵”を遠ざける策を考えるしか無い。


 排除が無理なら、搦め手だろうと何だろうと使って、こいつを隔離なり何なりするしかないか。いや、それだと“この巨人が居てもレイヴンには敵わない”という証明にはならないか?


 そんな中、ふとある点が引っ掛かり、跳ね上げる様に椅子にかけていた体重を背凭れから前に戻す。


「待て、貴方“達”?俺だけの作戦じゃないのか?」


 椅子が微かに軋みを上げる中、クルーガーが意外そうに眉を上げる。


「今回の作戦は、貴方含めレイヴン4人が協力する任務なのでしょう?私はそう聞いて居ますが」


「何だって?」


 思わず大きな声が出る。俺一人が飛び込んでいく任務では無いと言う事か?戦略の幅は広がるが、それならまるで話は違ってくるぞ。


 クルーガーが、剽軽に肩を竦める。“自分に言われてもどうしようもない”そんな仕草だった。


 僅かな間の後、合点が行った。考えてみれば、このタイトな日程から考えても俺に情報が回ってきたのは最後も最後と見て良い。


 つまり、最後まで今回の作戦に俺を加入させる事を渋っていた人間、ヴィタリーが俺に伝え忘れたか、どうせクルーガーと話せば勝手に気付くとでも思っていたのか。


 まぁ、どの道今回で気付かずとも幹部会議辺りで判明した事ではあるだろうが………


 いやはや、随分な扱いな事だ。仮にも、黒羽の団内では名誉たる、カラスの懐中時計を貰った身分なのだがな。


 渋くなった顔で、クルーガーがカップに紅茶を淹れながらふと呟く。


「一応は、策があります。簡易的ではありますが、レイヴンが近接攻撃でその装甲を貫通させる方法、そして武器を何とか考案しました」


 ディロジウム爆薬でも貫通出来ない装甲を、レイヴンが直接対決で貫通させる武器?まさか砲弾をぶつける訳でも無いだろうに。


「それだけの装甲を破れる近接武器があるのか?今の話を聞いた限りじゃ、ウォーピックでも装甲を破るのは難しいと思うが」


 そんな言葉を返すも、当のクルーガーは俺の返事も意に介さないかの様にカップを置き、目線で此方にも紅茶はどうかと問い掛けてくる。


 仕草で断った。正直、ユーリの所でハーブティーを飲み過ぎたのが本音だ。


 少しばかり拍子抜けの様な表情を見せた後に、クルーガーが紅茶に手を付ける。


「確かにレイヴンが一人で装甲を貫通させる武器はありますが、ただし………」


 そんな言葉と共に、クルーガーが言葉を濁らせる。首筋に、嫌な予感が静かに染み込んでいく。


「何だ?」


 俺のそんな言葉に少しの間を置いて、幾ばくかの皮肉な笑みと共にクルーガーが言葉を紡ぐ。






「率直に言って、貴方にはかなり無茶をしてもらう事になります」

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