第8話

 こいつら、どんな神経をしてるんだ。










 民家の外壁を素早く登ったかと思えば、屋根の上を追い立てられた鹿みたいな勢いで駆ける。


 その上、足を踏み外せば只では済まない様な場所を、一切躊躇無く跳び移りやがる。それだけの運動をこれだけ続けておきながら、未だに大して疲労した様子も無い。


 そんなレイヴンの後を追うこちらの身にもなってくれ。


 隠密部隊の鍛練で最優秀賞を受けてなかったら、確実に置いていかれるか煉瓦造りの路面に叩き付けられてる所だ。


 「付いてきてるか、ブロウズ」


 しかも時折こちらを振り替える余裕まであるんだから、益々神経を疑う。


 「良いから前を見ろ!!」


 こちらがそう走りながら叫ぶとマスク越しの微かな笑い声と共に、レイヴンが屋根の端から屋根の端へと、肝の冷える距離を躊躇無く跳ぶ。


 鋭く息を吐き、レイヴンの後を追う形で思いきって跳ぶ。


 辛うじて着地したは良いが、もはや屋根の端は踵のすぐ後ろだ。


 またもや、レイヴンが驚く程の勢いで跳ぶ。本当はこいつら文字通り、カラスから産まれたんじゃないだろうか。


 しかも今度は屋根では無く建物の窓枠にしがみつきやがった。壁面の装飾や凹凸に手足をかけ、器用かつ素早く登っていく。


 屋根に着地どころか、跳んだ勢いのまま壁に張り付けってか。深酒でもそんな冗談そうそう出ないぞ。


 思わず呆然と見ていると壁面を登っていたレイヴンが手を止め、振り返った。


 「どうしたブロウズ、一度降りるか?」


 レイヴンマスクを被っていても分かる、あの野郎笑ってやがる。上等じゃねぇか。


 「さっさと登れ、すぐ追い付く!!」


 覚悟と共に啖呵を切って、深く息を吸った後に目的だけに集中しながら、助走の後に屋根を蹴り宙に跳ぶ。


 時間にすればほんの数秒にも満たない時間だが、一分はある様に感じられる。引き延ばされた様に緩やかに時間が過ぎていく。


 まだか、まだか。


 もう来る、目の前だ、しがみつけ、滑るな。


 指を、届け、掴まれ。


 掴まれ。


 窓枠に手を掛けた瞬間、身体が壁面に振り子の様に叩き付けられ、呻き声を上げる。


 指だけは辛うじて離さなかった。これが離れたらただの飛び下り自殺になっちまう。


 腕一本でぶら下がったまま、下を見やる。今更になって、染み込む様に肝が冷えてきた。明らかに素面で跳ぶ距離じゃない。


 取り敢えずは、落ちずに済んだらしい。その事実に安堵の溜め息を吐いていると、頭上から笑い声が聞こえてきた。


 「まさかいきなり跳ぶとはな、こちらの方がお前の数倍肝を冷やしたよ。潰れたお前を引き摺っていく訳にも行かないだろ」


 レイヴンが屋根の上から身を乗り出して此方を眺めていた。マスクをしている上からでも、笑っているのが分かる。


 「……お前、跳べないと思って呼んだのか」


 「普通はそうそう跳ばないからな、いきなり跳んだのは少なくとも、私が知ってる中じゃお前が初めてだ」


 「あぁそうかい、クソッタレめ」


 そこから窓枠や手掛かりをよじ登りながら何とか屋根の上に登るも、俺が登り終わったのを見た途端、当のレイヴンは気が済んだかの様にまたもや屋根へと跳んだ。









 結局、それからも肝を冷やす空中行軍をほぼ半日やらされるハメになった。こいつら、俺を曲芸士と間違えてるんじゃないだろうな。はっきり言って、曲芸士でもここまで出来る奴はほんの一握りだろうが。


 「そろそろ行き先を教えてくれても良いんじゃないか?」


 地上を歩く事に内心安堵しながら、そんな問いを前を歩いているレイヴンに投げ掛ける。


 「我々の本拠地だと言っただろう」


 振り返りもせずにそんな言葉が返ってくる。本拠地とやらに着いても、暫くはレイヴンに愛想は期待しない方が良さそうだ。


 「その本拠地を聞いてるんだ」


 「廃鉱山だ」


 「何だって?」


 余りにも素直に返ってきた返事に、思わず聞き返す。


 「廃鉱山だ。レガリスの少し下層にある島なんだが、数十年前に鉱脈が枯れたとかでレガリスの地図からすらも消されて、レガリスの人間は全員あの島には見向きもしない。それどころか、島を知っている者も殆ど居ない。当然、帝国軍もな」


 そんな島があるとは知らなかった。まぁ、帝国軍であれだけラグラス人と戦っていた俺が、生まれてこの方聞いた事が無いぐらいだ。まず帝国軍に嗅ぎ付けられる事は無いだろう。


 「そりゃ知らなかったな。お前らが帝国軍に見つからない訳だ、そんな島にいたとは」


 「“そんな島”がお前の聖地になるんだぞブロウズ、分かってるのか?」


 小馬鹿にした様にレイヴンが言う。言われてみればそうだ、帝国軍の“最終制圧目標”が“最終防衛拠点”になる訳か。我ながら本当に皮肉な事態になったものだな。


 「そういえばお前らは毎回毎回、新入りをあの屋上ツアーに案内してるのか?よく墜落死体が出ないもんだな」


 自分で言うのも何だが、俺ぐらいじゃなきゃ本拠地に辿り着く前に、煉瓦と大層仲良しになりかねないぞ。


 そんな発言にレイヴンが笑った。


 「普通はそうそう、お前の言う“屋上ツアー”はやらないさ。我々の上層部、幹部会が直々に隠密部隊のトップだったお前を指命したから、こうして連れていくんだ。じゃなきゃ入ったばかりどころか本拠地にさえ来た事もない新入りを、わざわざ屋上に連れていく事も無い」


つまり、幹部から直々に呼び出された俺は、隠密部隊の隊員だったという理由で、入団翌日に屋上ツアーをたっぷり半日も楽しんだ訳だ。


 「そりゃあ招待されて光栄だな」


 溜め息混じりの皮肉もレイヴンの背中にはまるで届かない。ここ二年で、人付き合いは相当ヘタになったらしい。


 「……彼女にもフラれる訳だ」


 「何だって?」


 こんな話に限って笑い混じりに聞き付けやがる。このレイヴンに愛嬌を期待するのは、取り合えず国家を転覆させてからにしよう。


 「何でもねぇよ、もう屋上ツアーが幕引きみたいなんで残念だなと思ってた所だ」


 そんな俺の返しに、レイヴンが笑う。


 「心配するな、まだまだツアーは始まったばかりさ」









 「おい冗談だろ……」


 思わず声が漏れた俺を無視して、またもやレイヴンが壁を蹴って屋根に駆け上がった。

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