第6話
驚く事ばかりだった。
閑職に飛ばされた挙げ句、軍を退役した俺を帝国軍が殺しに来た事。
その帝国軍の刺客もその辺の雑兵ではなく、暗殺専門の隠密部隊だと言う事。
そして何より、反体制組織の抵抗軍、黒羽の団に勧誘された事。
正直、元帝国軍で一時期は英雄扱いまでされた俺が、反体制組織の抵抗軍に入るってのは随分と皮肉な話だ。
あの後、レイヴン達は時間と場所を書いたメモを俺に手渡し「本当に我々と来たいなら、荷物を纏めてこの時間、この場所に来い。身軽にしておけよ」と言い残し消えてしまった。
荷物を背負い、一人頭を掻く。
随分と妙な事になってしまったものだ。先週まで屠殺場でヤギやニワトリを切り分けていたというのに、今や帝国軍暗部から狙われる軍部のお尋ね者だ。
しかし、深夜にこんな崩落区画に呼び出されるとは思いもしなかった。まぁ帝国都市の中で抵抗軍と会うのだから、これぐらいは当たり前なのかもしれないが。
崩落区画に近寄る者、立ち入る者は日陰者だ。理由は単純。区画の土台、ジェリーガスが充填されている気嚢の圧力が推奨維持基準を下回り、いつ空の中へ落ちていくか分からない区画など、まともな人間なら近付かない。いつ落ちるか分からない橋など、渡らないに越した事は無いからだ。
まぁ、公式発表ではいつ落ちてもおかしくない、という事にはなっているが崩落区画は“推奨維持基準”を下回っている、というだけで区画ごと閉鎖されているに過ぎない。
実際の所“最低維持基準”を下回らない限り、区画が崩落する事はまず無いと言っていい。そもそも、“推奨”を下回っているとしても“標準基準”は大きく上回っている為、実質的には何も他の区画と変わり無い。
公式には「崩落する危険がある」としか公表されていない為、一部の人間しか知らない事ではあるが。
ポケットから懐中時計を取り出し、開く。そろそろ時間の筈だが………
唐突に、気配を感じた。それも意図的に、わざと滲み出させた様な気配が。声かけの代わりのつもりだろう。
民家の陰に、影が立っていた。まるで枯れ木の様に現れた人影は、歩いている筈なのに滑っている様な静かさで目の前まで寄ってきた。
目の前に現れた人影を改めて見て、そいつがレイヴンだと言う事にようやく気が付く。
「我々と来るんだな?ミスター・ブロウズ」
マスクの下から、そんな声が問い掛ける。
十代半ばから軍に身を置いていたのだから、勿論抵抗軍に入る意味が分からない訳じゃない。
抵抗軍が帝国軍の手に落ちればどうなるか、嫌と言う程知っている。
この帝国軍が取り仕切る都市で、抵抗軍に入る事がどういう意味を成すのか、良く分かっているつもりだ。
それでも。それでも、今の腐った政権を覆す助けが出来るのなら。
弟の魂が少しでも報われるなら。
「あぁ」
「後悔しないと誓うか?」
答えは迷わなかった。かつての親元に、この都市全体に、牙を剥く事を躊躇いはしなかった。
俺が頷くと同時に、レイヴンが手招きしてそのまま歩き出した。付いてこいとの事らしい。
驚く事が、また一つ増えた。
崩落地区に何があるかと聞かれたら、この都市に住む9割以上の人間が瓦礫と鉄筋と、スズメとハトぐらいだと答えるだろう。
余程深酒でもしてない限り、崩落地区の表面下にレイヴン達の基地があるなんて答える奴はいない。
表面の瓦礫だらけの廃都と違い、内部の基地は施設が思ったより充実していた。居住施設なんてそこらの安モーテルと比べればこちらの方がマシなぐらいだ。
俺と言えば、美術館に初めて連れてこられたガキみたいに、忙しなく目を動かしていた。帝国軍で隠密部隊にいた時も、英雄と呼ばれていた時もこんな物は見た事が無かった。
まぁ、抵抗軍の家を帝国軍の英雄が知っている訳が無いのだが。
何人かのレイヴンとすれ違ったが、当たり前の様に見向きもしない。こう言っては何だが、異様な光景だ。
しかもレイヴン達は、革の防護服を着込んではいたがあの鳥みたいなマスクを、額の上に上げていた。
想像通り、マスクの下はラグラス人ばかりだった。やはり人種による差別体制を転覆させようとしてるだけの事はある。
「明日の夜、また出発する。それまでゆっくり休むと良い」
モーテルの部屋の様な一室に連れてこられた途端、やっとレイヴンが喋ったと思ったらこれだ。まぁ無口なのは嫌いじゃないが。
「出発、という事は何処かに連れていくのか?」
「我々の本拠地に連れていく」
淡々とレイヴンが答える。どうやら鳥みたいなマスクを外すつもりは無いらしい。
「ここが本拠地じゃないのか?」
「こんな所が本拠地なら、帝国軍相手に戦える訳が無いだろう」
確かに、と認めない訳には行かなかった。
どう考えてもここにいる連中だけで、浄化戦争で帝国軍に脅威を与える程の事が出来るとは思えない。
大体、所々生活感はあるがここに来てコイツ以外のレイヴンを数人程しか見た覚えが無い。
「本拠地ってのは何処にあるんだ?」
「明日連れていく。朝から一日中移動する事になるからよく休んでおけ」
そう言ったきり、ドアが閉められた。あのレイヴン、質問されるのは好きじゃないらしい。
一息ついて、荷物を置いてベッドに寝転がる。思ったより、ベッドは固かった。まぁ、此方の方が好みではあるが。
寝転んでいると、思い出した様に瞼が重くなってきた。何だか一気に疲れた気がする、確かに休んだ方が良いのかも知れない。
そう言えばもう時間も時間だ、寝るのは適切な行動なのかもしれない。
せっかくあのレイヴンもそう言っていたのだから、言葉に甘えさせてもらおう。
まさか罠じゃないよな、なんて事を考えるも想像以上に疲れていた俺は、直に意識を手放した。
不思議な夢を見ていた。
昔の彼女でもなく、弟の夢でもなく、巨大な梟の夢だった。
今にも降りだしそうな暗い曇天の中、小さな浮遊大陸の上に俺は立っていた。
俺の背丈を優に越える巨大な梟が俺を鋭い双眸で見つめながら、首を傾げる。
その内、俺に穴が開くのではないかと思う程見つめられた後、梟が嘴を動かし、嗄れ声で言った。
『始まったな』
ベッドから飛び起きた。
何だ今の夢は……気味の悪い。崖の端から足を滑らせた様な、胸が冷え込む様な気分の悪さがまだ残っている。
気付けば身体中、嫌な汗でびっしょり濡れていた。
手で顔を抑える。考えてみれば、想像以上に自分は滅入っていたのかも知れない。
元帝国軍が、抵抗軍に入るというプレッシャーに自分でも気付かない内に想像以上に疲れきっていたとか、そんな感じだろう。
一人、小さく呻き声を上げる。
何かもう、吐きそうだ。そう言えば初めて人を殺した時にも、こんな感じになったな。
極度のストレスというか、整理が追い付かない程のストレスというか。
頭を抱えていると、唐突に目の前のドアが開いた。
少しの間をおいて、少し呆れた様な声音でレイヴンが呟く。
「休めと言った筈だが」
声からして、昨日と同じレイヴンだろう。そりゃ俺だって休みたかったさ。
「寝覚めが悪くてな」
「まぁ良い、荷を纏めろ。出発するぞ」
無愛想な奴だ。いやまぁ、愛嬌があっても困るが。
ベッドから離れ、傍にあった少ない荷物を背負い、レイヴンの後に続いた。
レイヴンも良く見ると昨晩より幾つか荷が増えている。しかし荷が増えたにしては手に持つ様な荷物も無く、動きやすそうだ。そんなに動くのだろうか?
「忘れていた、ミスター・ブロウズ」
「何だ?」
多少は動きやすくなる様、こちらも背負っていた少ない荷物を、ベルトの調節器を絞って身体に密着させるようにして固定する。
レイヴンが、やや軽い口調で続けた。
「屋根の上は平気か?」
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