ジャスティス

稲の音

ジャスティス

 僕の目の前で、ひとりの少女、いや幼なじみが、顔を覆って泣いている。

僕は彼女のことを、誰よりも、彼女のお父さんやお母さんよりも知っている。


・・・・・・・・


彼女と僕は、家が隣同士、同じ月に生まれた。

僕の父母も、彼女のお父さんやお母さんも、共稼ぎで帰りが遅く、

中学生になるまでは、自然とぼくのおばあちゃんが、母親たちの帰宅まで

ふたりの面倒をみてくれていた。


正直まさなお、美咲ちゃんは女の子なんだから、おまえが美咲ちゃんを、

まもってあげなくてはね。」


とは、祖母の口癖だった。


「おばあちゃん、まもるって?」


「そうだねぇ~。女の子を、悲しくて、さびしくて、泣かせないことかね。

正直まさなお、わかったかい。」


「うん、分かったよ。」


おばあちゃんは、おじいちゃんを、早くに病気で亡くしていた。

繰り返し、言われたその言葉は、僕の心に染み込んでいった。


幼稚園のころは、みーちゃんにいたずらする、男の子でも女の子でも、僕は

向かっていった。僕自身は、号泣していても。

それは小学校の中頃まで、続いていたように思う。


そして、僕は、かぶと虫やセミを、みーちゃんのために捕ってあげた。

夏休みの工作の宿題、工作が嫌いなみーちゃんのために、一緒に作ってあげた。

自由研究も一緒にした。僕はまとめるのが下手で、褒められるのはみーちゃん

だけだったけど。


・・・・・・・・


中学に入って、女の子の制服が、セーラー服に変わっていったように、

みーちゃんもかわいい女の子から、美しい女の子に変わっていった。

女の子たちの興味が、アイドルやサッカーやバスケットボールをプレイする

男の子に変わっていったとき、ぼくがみーちゃんにしてやれることは、

全くなくなっていたと思う。


みーちゃん自身も、女子テニス部にはいり、持ち前の運動神経の良さから、

部の中心選手になるのに、そう時間がかからなかった。

みーちゃんには、黙って見に行った、秋の新人戦。

コートの中を縦横に駆けまわる美しい女の子と僕の間には、

ふつうに高い壁ができつつあった。


僕のほうは、中学3年までは、背も低い方であったし、大した運動神経もなく、

スポーツには全く興味がなかったし、教育方針の名の元に、ゲーム・アニメ・漫画が

家庭内で禁止されていたので、教室内で孤立していき、放課後ギリギリの時間まで、ひとりで図書館で、時間を潰すようになっていた。


・・・・・・・・


その頃、病気で寝込むことが多くなった祖母に、


「みーちゃんに、僕がやれることは、何もなくなってきたよ。」


と、寂しさを感じて話した時、


「男の子としてはだろう。だけど。一人の男としては、まだまだよ。

美咲ちゃんがどうしようもなくて、泣いている時、何もできなくても、

静かに、話をきいておやり、泣きやむまで、寄り添ってあげて。」


と、美咲を自分の孫娘みたいに感じていて、慈しんでいた祖母は、美咲の普段の

態度から何かを感じていたのだろう。

この言葉の意味と、祖母の美咲に対する愛情の深さを、僕はこの後に、

知る事になる。


そう、僕の祖母は中学になっても、美咲が部活で遅くなった時、帰宅の途中、

他のテニス部員たちと別れて、ひとりになってしまう辻のところまで、

僕を無理やり、迎えに行かせていた。


「女の子に、万が一の事が起こったら、取り返しがつかなくなるからね。」


僕も、祖母の命令だ仕方ないと、でも内心まんざらでもなく、

美咲を迎えにいった気がする。

美咲も、毎回微妙な顔をしていたが、その行為自体は、


「まーちゃん。おばあちゃんの命令でしょう。けど。ありがとう。」


と言ってくれたので、受け入れてくれて、感謝されていたのだろう。

無論、そこからの荷物持ちは、毎回僕の仕事だったけど。


美咲は、みにくいアヒルの子の寓話のように、時間が流れるにつれ、より美しい少女になっていった。

と同時に、容姿でも、勉強でも、運動でも、学校内の人気でも、

僕との間に、高い壁が出来上がっていき、その壁が低くなる事はなかった。


・・・・・・・・


3年生になって、僕の祖母は眠るように旅立って行った。

美咲は、自分のおばあちゃんを亡くしたかのように、号泣してくれた。


そう、それ以前から、美咲の家の様子が、目に見えておかしくはなっていた。

おじさんとおばさんの怒鳴り声や泣き声が、僕の部屋の窓から

隠しようもなく入ってくるように、なっていたのだ。


そして、いつの間にかおじさんは、家に帰ってこなくなった。

悪いことに同じ時期、美咲たちテニス部員の、スコートが捲れ上がっている、

望遠でとられた写真が、学生だけではなく、大人たちの間にも出回った。


美咲や、他校も含めて何人かの女生徒は、部活に行けなくなった。

しかし、写真の出元が未成年の高校生であったため、

『若者の一回の過ちで、彼の将来を閉ざすのはどんなものか。

彼も十分に反省している。』という、

でいう、の圧力で、その事件はうやむやにされた。


美咲の男性不信や、恐怖症はひどく、一時は僕でさえ近くによるのを怖がった。


僕は、美咲の泣きごとを、ただ聞いていた。僕には何もできなかったけど、丁寧に

丁寧に、彼女の言葉を聞いていた。


夏休みが始まるころには、美咲の表情は、いつものように戻っていった。

けど、木枯らしが吹くころには、家の外での僕と美咲の壁は、どうしようもなく

大きくなっていた。


・・・・・・・・


高校選定の時期がきて、僕は美咲が、地元の名門、私立青百合女学園に行くことを

願っていた。あの事件がもとで、美咲の美少女ぶりは、近隣の学校に

鳴り響いていたし、あの事件の被害者であるという、中学校のセフティネット

が外れた時の、美咲のモテようは、火をみるより明らかであったから。


僕は、卑怯にも、美咲の横に、彼女と釣り合う男が立つのを、あと3年間

美咲に猶予して欲しかったのだ。


僕はというと、公立高校の定員割れの、補欠合格の枠になんとか

ひっかったぐらいで、勉強面でも、周りから冷たい目でみられていた。


4月1日、美咲は、僕と同じ高校の女生徒のセーラー服を着ていた。

美咲は、僕の願いとは裏腹に、私立青百合女学園に美咲が進学する事は

なかった。

その頃には、おじさんとおばさんの間で離婚の話がまとまっていたからだろう。

経済的な事も考えていたのかもしれない。


だが春の陽光に照らされた少女の姿は、毎日のように、美咲を見続けていた僕でも、

ため息が出るくらい美しかった。


けれども、その立ち姿は、美咲の横に立つ、ぼくのスペースがもはやない事も、

十二分に感じさせていた。


・・・・・・・・


美咲とは不思議な事に、同じクラスだった。ただ同じ中学の同じクラスから

一緒になったのは、僕と美咲のふたりだけだった。


僕は、徹底的に、それも自然な感じで、誰かがいるとき、いや見られる可能性がある

と思われる時は、美咲との接触を避けた。朝の通学時間は微妙にずらした。

人気者の美咲でも、休み時間ひとりになる事はある。

その時は僕は行きたくもないのにトイレにいった。

昼食の時間はギリギリで教室に帰ってきた事も多かった。


美咲は、友人たちに誘われて、女子だけのコーラス部に入部した。

まだどこか、3年生の時の事を引きずっていることを、

僕は感じずにはいれなかった。

そして、あの時に、美咲の写真を手に入れた、男が美咲を襲うのではないかという

無責任な噂が、まことしやかに高校で流れた。


だから、僕はギリギリまで、夕方は図書館にいることにした。

コーラス部の歌の練習が終わり帰宅する時間まで、僕はやりたくもない勉強に

励んだ。

音楽室と図書館は向かいの校舎で、その終了は手に取るようにわかった。


普通は美咲の後を、あるときは美咲の前を警護するように歩いた。

何かあった時、全力で駆け付けられる距離をとって。


入学して1ヶ月もしないうちに、美咲は多くの男子生徒から告られるように

なっていた。

情けないことに、美咲が他の女生徒から、


「ちょっと美咲、そこまでついて来て。」


と言われるたびに、心の中に黒い想いが沸き上がるのを、止める事ができなかった。

けれども、美咲はそれらの誘いを断わり続けていたようだった。


・・・・・・・・


梅雨が終わり、夏の風が本格的に暑さを運び出した頃、インターハイで活躍した

荒川先輩が、美咲に告白にくるという噂が流れだした。


うまいやり方だ。外堀から埋めていっている。ぼくは授業中そういう思いを

抱きながらも、暑さでついウトウトして、いつものように、放課後速攻、

図書館に行く機会を逃してしまっていた。


机の前に人の気配がする。ぼくは心地良いうたた寝の世界から、

現実に引き戻される。


目の前に、目いっぱいに涙をためた、美咲が立っていた。


「まーちゃん。私、何か嫌われることしたかな?」


僕は何も話せず、美咲を馬鹿のように見つめていた。

何も言えない僕に、美咲の涙が決壊する。

僕は、慌てて美咲の前に立ち上がるが、どう声をかけていいのか、わからない。


「美咲遅いぞ。じゃ~ん、なんと荒川先輩を連れて来たよ・・・。」


コーラス部の女生徒ふたりが、僕たちの姿を見て固まってしまう。

次の瞬間、荒川先輩の巨体が教室の中に、飛び込んで来て、


「なにをしてるんだお前!」


と叫んだあと、先輩の拳が僕の頬をとらえ、僕は吹っ飛び、机と椅子を

弾き飛ばしながら床に叩きつけられていた。


『学校1の美少女と、どうにも屑の男が、この光景だったら。

あんたの行動は正しすぎるよ先輩。』


僕は他人ごとのように、そんなことを考えた。

胸ぐらを掴み、僕を引き起こした、先輩の動きが止まる。

目に赤いものが入ってくる。まぶたが切れたようだった。


「きゃ~!!」


さっきの女の子たちの、声が響き渡り、他の教室に残ってた生徒たちや、偶然廊下にいた先生が、教室に駆け込んでくる。


「こいつが、秋月さんを、脅して泣かせていたんだ!」


先輩の、みんなが納得する言葉に、周りの生徒たちの冷たい視線が、僕に集中する。


「その通りか、お前!」


教師の怒りに満ちた声が、僕を叩く。


「そうですよ、先生。こいつ、帰り、毎日のように秋月さんの後をつけていたし。」


ひとりの女生徒の、先輩を擁護する、美しい告発がなされる。


・・・・・・・・


 美咲もあの時、こんな感じだったんだろうな。斜め上の思いが頭をよぎった時

僕の口から言葉が転がり出ていた。


「その通りです、先生。間違いはありません。」


「だったらお前、すぐ職員室に来い。」


教師の声が、校舎中に響く。

さきほどの騒動で集まってきた、周りの生徒達の汚物を見るような眼差し、

ひとりの男子生徒とふたりの女子生徒、ひとりの教育者の、


『自分は正義を、今なしている。』


という、心地よさそうな表情を、哀れな者達と思いながらも、彼らの望む結末の

筋書をなぞってみる。これで、美咲の名誉は守られはずと、どこか安堵する。


・・・・・・・・


「待ってください、先生。まーちゃん、なぜ嘘を言うの。嘘をつくほど、私の

事を嫌いになったの!」


歩き出した、僕の背中に、美咲の美しい声が追い付く。


「秋月?」


教育者の、間の抜けた声が、僕らをこの場に留める。

僕は振り返って美咲を見つめ話し出す。


「みーちゃん。みーちゃんは2度も傷ついた。あのとき、みーちゃんの

心は、周りの人達の自分の都合のいい正義に、壊されただろう。」


「今回もそうだよ。だったら、みーちゃんの心だけは守りたいと思ったんだ。」


「心?」


「いま見ただろう。今回は、僕がみーちゃんに、おかしい事をしたというのが

この場の正義なんだよ。みんなそれを望んでいるんだよ。ここでまた、

みーちゃんが傷つく事はないよ。」


美咲は僕の瞳を真っ直ぐに見つめ、凛々しい口調で、自分の想いを紡ぎ出した。


「まーちゃん。それは違う!私はもうこの程度では傷つかない。

そして、好きな人を罪に落として、自分だけ助かるような真似はしない。」


美咲の言葉に、まわりの人間の時は固まる。しかし、ぼくと美咲のとき

動き出す。ー 優しい はやさで ー


美咲が僕の所に、飛び込んでくる。


「まーちゃん。また、今日から、一緒に家に帰ろう。」


小さなおねがいが、僕の心を、明るくしていた。
























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ジャスティス 稲の音 @inenooto

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