Side 世界一 2
「やーらーれーた!」
川辺は両手両足をジタバタさせる。
海野は彼の隣でコホンと咳払いをして、険しい表情で言った。
「どうしますか?」
「どうって、あーりーがーたーく? サービスを利用するしかないでしょ」
数日前、都内某所でバーチャルアイドルとの握手会が開かれた。
顧客は何も無い部屋に案内され、アームカバーのような道具と眼鏡を装着する。
次の瞬間、顧客の前にバーチャルアイドルが現れる。顧客は握手を求められ、戸惑いながら応じる。そして、あまりにもリアルな感覚に驚愕することになる。
その情報はSNSを通じて一夜にして広まった。
それだけではない。まるで事前に準備していたかのように、いくつかの企業がその道具を利用したサービスの開発を始めると発表したのである。
SNSではお祭り騒ぎ。普段は仮想世界に興味の無い顧客も興味を示し、火元である合同会社KTRが販売開始したアームカバーと眼鏡は飛ぶように売れている。
川辺はコネを使って即座に実物を入手した。
そして先を越されたことを悟り、不貞腐れて寝転がったのである。
「けーてぃーあーる? どーこーだーよ? 急に……まーじかー」
ただ技術的に先を越されただけならば、いくらでも出し抜くことができる。ライバルよりも優れたビジネスモデルを作り、圧倒的な資金力で顧客を奪えばいい。
しかしKTRの戦略は川辺の目から見て完璧だった。恐らく事前に目ぼしい企業との交渉を済ませている。さらに知名度のあるバーチャルアイドルを使うことで一気に会社の名を広めた。
客観的に見て、仮想世界における触覚イコールKTRという図式が完成している。もはや後発の類似サービスなど見向きもされないだろう。
いやいや冷静になれ。何か方法があるはずだ。
例えばビビパレを使ってネガキャン……いや無理だ。敵を作り過ぎる。ここまで用意周到な経営者なら対策も考えてるはず。ここは正攻法で行くしかない。
川辺は頭を悩ませる。
その一方、海野はパソコンを操作して会社の名前で検索した。
「代表は鈴木健太。ご存知ですか?」
「しーらーなーい」
「社員は彼を含めて六名。まずは……ん? 音坂翼?」
「は? は? え、は? まー?」
川辺は慌てた様子で立ち上がり、海野が操作していたパソコンのディスプレイに顔をくっつけた。
「こーいーつーかーよ! あー! マジか! 道理で用意周到なわけだ!」
川辺は音坂翼という人物を知っている。音坂は経営者の家系である。あらゆる業界に顔が利き、一度でも経営に携わった者なら必ず名前を耳にする。
特に今世代の音坂兄妹は有名である。兄は学生時代から世界中で活躍しており、ビジネスの世界で彼の名前を知らない者は存在しない。妹もまた、容姿端麗な天才少女として全世界から注目されている。
「他は……聞いたことのない名前ですね」
海野は川辺の頭を手でどかして、社員一覧というページを眺めながら言った。
「俺も……待て待て、まーてーよ? この佐藤って神崎央橙が何度か話題に出してる女では?」
「あー、思い出しました。はい。RaWiのシステムをワンオペしていた女性ですね」
中小企業であれば社内システムをワンオペするなど珍しいことではない。
だが、RaWi株式会社はIT業界において名の知れた大企業だった。その会社のシステムを一人で制御していたなど、到底信じられる話ではない。しかし神崎央橙が情報の発信源ということで、技術者の世界で大きな話題となった。当然、川辺達もその話を知っている。
「はい、終わり~!」
川辺は再び寝転がった。
「神崎央橙がバックで? こんなヤベェ女まで付いてるとか勝てるわけなーい! あー、くっそー! 先越されたー! ぐやじぃぃぃ~~!」
海野は冷めた目で川辺を見た後、もう一度ディスプレイを見る。
何か他の情報は無いかと別のページを見て、社員の集合写真を見たところで手を止めた。
「山田恵……この女性、どこかで」
名前を見た時にはピンと来なかった。
しかし、その容姿には見覚えがある。
「やーまーだ?」
川辺はシクシク泣きながら少しだけ身体を起こし、海野と同様に集合写真を見た。
集合写真には社員の名前が入っている。それを頼りに山田という名前を探して、そして、笑った。
「やーまーだ!」
それから再びディスプレイに顔をくっつけて山田恵の顔を凝視する。
そして思い出した。触覚の研究は、彼女が残した資料からインスピレーションを受けたものなのだ。
「ふ、はは、行ける。行けるよこれ。ワンちゃんこれ……奪えるんじゃね?」
「奪う?」
海野が不思議そうな声で言うと、川辺は彼が操作していたマウスを握った。
それから画面を操作して、会社までのアクセス情報が記されたページを開いたところで手を止める。
「ちょっと行ってくる」
川辺は海野に顔を向けて言った。そこに直前までの幼子のような雰囲気は無い。
彼は世界一を目指す経営者としての顔を見せ、海野を含めた全社員に向かって宣言する。
「手に入れてくる。そのつもりで準備しとけ」
その指示に疑問を呈する者は、新人である水瀬以外に存在しなかった。
彼がやると言ったら必ずやる。
これまでの実績によって培われた信頼がある。
かくして、川辺公仁は合同会社KTRに現れるのだった。
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