Side 世界一 1

 株式会社カーグリーバー。

 ビジネスの規模が一兆円を超える大企業であり、法人向けにはITサービス、コンシューマ向けにはゲームなどのコンテンツを提供している。インターネット界隈で特に有名なのは、登場以来一番人気の座を独占しているバーチャルアイドルグループ、ビビパレード。通称、ビビパレ。


 ビビパレは女性アイドルのみで構成されたグループであり、新人が登場する度にファン人数が百万人を突破している。トップクラスのアイドル達は二百万人以上のファンを有しており、ファン人数だけでバーチャルアイドルのランキングを作れば、上位はビビパレが独占する結果になる。


 特に、晴海トトの人気は凄まじい。

 ファン人数は五百万人以上。配信をすれば常に十万人以上が集まる。最近では親会社の新作ゲームとコラボして、過去最高の売り上げを叩き出した。


 そういうわけで、バーチャルアイドル界隈でカーグリーバーという会社の名前を出せば、ほとんどの人が「あー、ビビパレのところね」という理解をする。だが、それは厳密には事実と異なる。


 ビビパレの正式な所属先はカーグリーバーテクノロジーズ。通称リバテク。子会社の方である。


 子会社には、大きく分けて三種類の形式がある。

 ひとつは買収などの経緯によって親会社に属する形式。もうひとつは、軌道に乗った事業を高効率で運営するために別の会社として分裂した形式。そして最後は優秀な人材に高い報酬を出すための形式。


 リバテクは最後の形式に該当する。カーグリーバーの給与体系では支払えない高額な報酬を出すために設立された会社であり、革新的な技術を次々と生み出している。


 川辺公仁は、そんなリバテクの社長を務める人物である。

 彼自身も自らの会社を持っていたが、ある時カーグリーバーの社長に口説かれた。


 金は全て出す。煩わしい事務は全て引き受ける。だから、お前の力を俺にくれ。


 まるでドラマのようなセリフ。

 これが決め手となり川辺はリバテクで仕事をすることになった。


 彼の功績は多々あるが、最も有名なのはビビパレを生み出したことである。


 しかし、彼の目的はバーチャルアイドル事業などではない。


「もうすぐだ。もうすぐで解析が終わる」


 東京都、六本木。

 カーグリーバーの本社ビルは、日本有数の企業が集まる土地にある。


 三十八階建てビルの三十五階。

 そこがリバテクの活動拠点であり、一部では不夜城と呼ばれている。


 深夜一時。川辺公仁は巨大なホワイトボードの前に立っていた。


 縦幅が二メートル。横幅が十メートルを超える白板には、図や数式がギッシリと記されている。


「あーとーは、データを集めてディープラーニングをすれば……」

「それ、そこまで万能じゃないですよ」


 軽い口調で指摘を入れ、一人の男性が川辺の隣に立った。


 名前は海野清正。

 川辺が最も信頼している人物である。


 海野は眠そうな目でホワイトボードを睨みながら言う。


「どうせまた抜け漏れがあるんですよ。あんたはいつもそうです」

「やめろよ清正くん。まるで俺が適当な人間みたいじゃないか」

「実際そうでしょう? 一人称もコロコロ変わる」

「そーれーは、気分転換だよ。清正くんもあるでしょ? リフレッシュしたい瞬間」

「ストレスの原因、九割あんたですが」

「どーこーよ? この聖人君子川辺さんのどこにストレスを感じる要素があるのよ?」

「ひとつは、その間延びした喋り方ですね。マジで腹が立つ」


 深夜一時、大人二人の騒がしい声が広々としたオフィスで反響する。


 しかし誰かの迷惑になることは無い。

 二人の声は、選び抜かれた極小数の人間にしか届かない。


「とーにーかーく、今回はマジで自信あるから」

「……水瀬ですか?」

「ん? 呼びました?」


 海野が名前を出した直後、二人から少し離れた位置で「趣味」を満喫していた人物が声を出した。


「また何か相談ですか?」


 水瀬は趣味を中断すると、人懐っこい笑顔を浮かべて二人の前に立った。


 中世的な顔立ち。

 男にも女にも聞こえる声。

 そして「便利だから」という理由で性別を秘匿している水瀬は、ほんの数ヵ月前まで大学生だった。しかし、趣味で作ったゲームを公開したことをきっかけに川辺から熱烈なスカウトを受ける。その結果、卒業を待たずリバテクに所属することを決めた。


 川辺は相手の機嫌を取るような笑みを浮かべて、水瀬に言う。


「おーかーげーで、研究が終わりそうって話をしてたのよ」

「それは良かったです」


 水瀬はパッと花が咲いたような笑顔で言った。


「この研究、トト様に貢献できますよね」

「うん。水瀬くんは本当にトトが好きだね」

「はい。トト様が居なければ、川辺さんのスカウトを受けてないです」


 水瀬は屈託の無い笑顔で言った。

 その言葉は川辺にとって面白くない。だが水瀬を特別扱いしている彼は不満を呑み込んだ。一方で、海野は違う。川辺にいくらかの敬意を持っている彼は、水瀬の発言を無視しなかった。


「しかし、国内でこれほど報酬の高い会社も無いでしょう」

「んー、そこは認識が合わないですね」

「どういう意味ですか?」


 海野は怪訝そうな声を出して、その直後に表情を強張らせた。


 何か特別なことがあったわけではない。水瀬の表情が変化した。ただそれだけである。


「ちょうど、トト様とコラボしたゲームのソースコードを見ていました」

「……感想は?」


 海野は恐る恐る問いかけた。

 水瀬は彼の目をジッと見て言う。


「酷過ぎる。水瀬の給料は、あのクソコードを書いたエンジニア五人分程度でしょう?」


 水瀬は一人称として自分の名前を使った。

 それは晴海トトをリスペクトした呼称だが、その童顔も相まって幼く聞こえる。


 しかし、水瀬の発言には大人二人を緊張させる程の威圧感があった。


「少なくとも全員分。それを毎月貰わないと割に合わない」


 要するに水瀬は、もしも自分が担当していれば一ヵ月で同等以上の成果が出せたと言っている。


 非現実的な話だ。

 しかし、ここ数日で水瀬の才能を嫌という程に知った二人は何も言えない。


「水瀬を釣った餌はトト様です。それだけは勘違いしないでくださいね」


 海野は言葉が出なかった。

 その雰囲気を察して、川辺が代わりに返事をする。


「そーうーだーね。本当に、彼女には頭が上がらないよ」

「はい。トト様は現代の女神様です」


 水瀬は無邪気な子供のような笑顔を見せ、弾む足取りで二人から離れた。


「お手洗いです!」


 その背中を見送った後、海野はドッと疲れた様子で息を吐いた。


 川辺は彼の背中に軽く手を添える。そして小さな声で言った。


「な? サブカルに手を出して正解だったろ?」


 川辺がバーチャルアイドル事業を始めると言った時、海野は微妙な反応を見せた。


 アニメやゲームの市場規模は、大企業から見れば非常に小さい。例えば、ゲームが一千万本も売れた場合は大ヒットという扱いになるが、単価一万円として売上を計算すると、一千億円である。


 一千億円というのは、世界一の企業からすれば一日分の売上にも満たない。


 川辺は世界一を目指しており、海野はその思想に共感している。だからバーチャルアイドル事業に良い顔をしなかった。しかし川辺は言った。これは投資である。


「今の若い子はアニメとか大好きだから。人材を獲得するにはベストな選択だったってわけよ」


 川辺は鼻高々に言った。

 水瀬こそ、投資の成果である。

 

 海野は深い溜息を吐いて、脱力した様子で返事をする。


「……俺は若い才能が怖いです」

「なーに言ってんだ。清正くんまだ三十二歳だろ? これからじゃないか」


 川辺は笑いながら海野の背中を叩いた。

 海野は苦笑して、ズレた眼鏡の位置を指先でクイッと直しながら顔を上げる。


「投資、それだけじゃないでしょう」

「もちろん」


 二人は白版に目を向けた。

 そこに記されているのは、触覚を手に入れるための巨大な方程式。


「まもなく、仮想世界は完全な触覚を手に入れる」


 川辺は、笑っているようにも悲しんでいるようにも見える表情で、呟くようにして声を出す。


「メタバース。最近、多くの会社が慌てて手を出してる。だが俺に言わせれば、どこもかしこもセンスが無い。この市場で覇権を取りたいなら、まずバーチャルアイドルだ。それ以外は有り得ない。あいつらは、魚のいない海に札束を投げている。実に滑稽だよ」


 この時、川辺は勝利を信じて疑わなかった。既に先を越され、自分と同じビジョンを持った経営者が強力な一手を用意していることなど、欠片も想像していなかった。


 故に。


「やーらーれーた」


 その情報を知った時、川辺は子供みたいに不貞腐れた顔をして床に寝転がった。

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