小鞠まつりの秘密 終
* 愛 *
深夜に帰宅した私を出迎えたのは、目を真っ赤に腫らしためぐみんだった。
信じられない気持ちだったけれど、スカウトの結果は、彼女の反応を見れば一目で分かった。
……どうしようかな。
小鞠まつりのスカウトに失敗した場合、私の考えていたことは白紙になる。
せっかく夢中になれると思ったことが始まる前に終わってしまう。
多分、しばらく次なんて考えられない。
……ケンちゃんに、なんて言おうかな。
翌朝、私は憂鬱な気分で出社した。
彼の姿は見えなかった。今日が約束の日だから早く来ていると思っていたけれど、違った。
午前中、いつも通りに講師として仕事をして、空虚な気分で昼休みを迎えた。
「……」
出入口のある部屋。
私はめぐみんの隣に立った。
彼女は見るからに暗い雰囲気でパソコンに向かっている。多分、私のことに気が付いていない。
「めぐ──」
彼女の名前を口にした瞬間、インターホンが鳴った。
「はーい」
予約あったっけ?
不思議に思いながらドアを開けると、背の高い男性が立っていた。知らない人だ。
「ええっと、こちら合同会社KTRですが、どのようなご用件ですか?」
とりあえず事務的な対応をしてみる。
「……あなたが、佐藤さん」
「はい。私が佐藤です」
どこかで会ったっけ?
作り笑顔の裏で記憶を検索していると、彼は緊張した様子で言った。
「……メグミさん、居ますか?」
「あー、めぐみんの知り合いでしたか」
まさかのファーストネーム。
どういう関係なのかな?
あれ? でも、めぐみんって確か……いや、まぁ、私に話してくれたことが全部じゃないよね。
「めぐみん、お客さんだよ」
「……」
あれこれ考えるより本人に確かめる方が早い。と思ったけど反応が無い。
「おーい、めーぐみん、お客さんだよ」
ほっぺを突いたり肩を揺らしたりすること十数秒、彼女はやっと私に目を向けた。
「……なに?」
わわ、過去最高に不機嫌そうな声だ。
「お客さんだよ」
めぐみんは訝しげに目を細めた後、ようやく男性の方に目を向けた。
「……だれ?」
そして少し低い声で言った。
やさぐれめぐみんかわいい……じゃなくてっ、え、知らない人なの?
「……え、え、え?」
私は混乱して彼とめぐみんを交互に見た。
分からない。
二人の関係がさっぱり分からない。
「あの、彼女が恵ですが、あらためて、どういうご用件でしたか?」
私は社会人パワーを発揮して再び彼に問いかけた。
すると彼は何か決意したような表情で事務所に一歩踏み込み、後ろ手にドアを閉めた。
「ここ、大きい声は出さない方が良いですか?」
どういう意味⁉ 私、先手を打って悲鳴をあげた方が良いのかな⁉ ピンチなのかな⁉
「……まぁ、その、はい。壁は、薄い方、ですよ」
私はいつでも助けを呼べるぞという意味で言った。
「分かりました」
彼は納得した様子で頷いた。
何が分かったのだろう。
最大限に警戒する私の前で、彼はスッと息を吸い込む。
そして、静かに歌い始めた。
「…………」
私はもう何が何だか分からなかった。
ガタッ、と音がした。
ビクッとして目を向けると、めぐみんが立ち上がっていた。
彼女は普段の無表情が噓みたいな驚いた顔をして、彼のことを見ていた。
そして、その小さな唇を震わせながら、ぽつりと呟いた。
「……まつり、ちゃん?」
私は頭が真っ白になった。
そして彼の歌声が思考の隙間に入り込み、記憶の中にある歌声と重なった。
「えぇぇ⁉」
私が叫ぶと彼は口を閉じて歌声を止めた。
奇妙な静寂が生まれる。
この一週間、私は仮想世界で嫌という程に体験したことがある。
それは、ある意味で仮想世界特有の現象。
現実ではコ〇ケかコスプレ会場でしか起こらない体験だと思っていた。
「えぇぇぇぇぇ⁉」
美少女だと思って声をかけたら男性だった。
まさかまさかの事実を知って、私は再び絶叫してしまった。
彼はバツの悪そうな雰囲気で俯いた。
その表情を見て、私は慌てて取り繕う。
「あっ、いや、すみません。その、ビックリしました」
「……あはは、まぁ、そうですよね」
彼は後頭部に手を当てて、少し低い声で言った。多分、これが地声なのだろう。
大柄な男性で、多分翼よりも少し大きい。彫りが深い顔をしており、日本人だとは思うけれど、違うと言われたら即座に信じられる。だから本当に驚いた。この男性から小鞠まつりの声が出るなんて、歌を聞かされた後でも信じられない。
「ようこそ」
少し低い位置から声がした。
いつの間にか、めぐみんが私と彼の間に立っていた。
彼女は自分より頭ふたつ分くらい大きな男性を見上げて言う。
「待ってた」
そして握手を求めるように手を伸ばした。
「……えっと、他に、何か、言うことは?」
彼は動揺した様子で言った。
めぐみんはきょとんと首を傾けて、その質問に答える。
「背、大きいね」
彼はポカンと口を開いた。
多分、私も彼と同じような表情をしていると思う。
「……ん? 恵、何か、間違えた?」
彼の反応を見て、今度はめぐみんが慌てた様子を見せる。
私はなんだかもう可笑しくなって、クスっと笑った。めぐみんに睨まれちゃったけど気にしない。
「ようこそ」
彼女の隣に立ち、私も彼に握手を求める。
「ラブ・シュガーあらため佐藤です。会えて嬉しいです」
早い話、私とめぐみんは受け入れた。
その結果、今もまだ混乱した様子を見せているのは彼だけとなった。
彼は何か言いたげな様子で口をパクパクさせた後、やがて二人分の握手に応じた。
「……よろしくお願いしますっ」
彼は絞り出すような声を出した後、直ぐに手を離して、両手で顔を隠した。
鼻をすする音がした。
その姿を見ながら私は想像する。
彼はどんな想いでこの場に足を運んだのだろう?
どうして、あれだけ頑なに守り続けていた秘密を明かす決断をしたのだろう?
きっと誰かと話をしたのだと思う。それはめぐみんかもしれないし、他の誰かかもしれない。
どちらにせよ私ではない。
だから私は、この場から立ち去ることにした。
「めぐみん、ちょっと外出てくるね」
「なんで?」
「急用思い出しちゃった。ごめん。直ぐ戻るから」
「……ん。分かった」
正直に言えば二人の会話を聞きたい。お金を払ってでも聞きたい。そういう邪な気持ちを断腸の思いで封印して、私は事務所を後にした。
最高の結果だ。
私が関わっていないところで大事なことが決まったという点を除けば、百点満点だ。
構わない。
これについては、もう受け入れた。
だってまだ何も始まってない。むしろ彼が決断してくれなかったら終わっていた。
私はスタートラインに立つことができた。
だから、ここからだ。
ここからが私の物語だ。
資格が無い。そんな言葉で諦めようとしていた彼を最高のアイドルにする。
それが可能なら、きっと私だって何かを見つけることができる。その可能性を心から信じられる。
「よっしゃ!」
パンッと頬を叩いて気合を入れる。
「早速だけど具体的な方法を考えよう」
目的は単純明快。
小鞠まつりを最高のアイドルにすること。
そのために、私がやるべきことは…………………………………………。
「最高のアイドルって、なんだ?」
私、佐藤愛もうすぐ二十九歳。
キラキラした世界とは全く無縁の人生を送っていた。
だから、その……笑ってしまうくらいに、何も思い付かなかった。
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