ライブに向けて 1

 ライブが決まった日の翌日、午後八時頃。

 私はミニテーブルの前でめぐみんと肩を寄せ合っていた。


 二人の耳には片方ずつイヤホンがある。

 そしてミニテーブルの上には、ノートパソコンがある。


「……緊張、するね」


 めぐみんが私の二の腕をギュッと握り締めて言った。

 私は別の意味でドキドキしながらも、集中して画面を見る。


 これから晴海トトと小鞠まつりのコラボ配信が始まる。

 最初は小鞠まつりの配信という形だけど、途中で晴海トトが参加する予定だ。


 現在は「なうろーでぃんぐ」と記された一枚の画像が表示され、待機状態となっている。


「始まった!」


 画面が切り替わった瞬間、めぐみんが嬉しそうな声を出した。

 マイクの前に立つ小鞠まつりがバストアップで映し出され、彼女の右隣にはコメント欄が有る。


 コメントはリアルタイムで更新されている。私は最近、多くの配信を見ているけれど、今日の配信は他の人気アイドルと比較してもコメントの流れが早いと感じた。


 ふと視聴者を見ると、およそ二万人くらい。

 やはり握手会のこともあり注目されているようだ。


 コメントは「初見」という新規ファンっぽいものや「我らの歌姫がついに見つかったか」という既存のファンっぽいものが目立つ。流石に全部は読めないけれど、概ね好意的だと思う。


『あー、あー、聞こえる?』


 それが彼女の第一声だった。

 少し遅れて「聞こえるよー」などのコメントが一斉に流れる。


『なんか今日めっちゃコメント多くない? ……うぇっ⁉ 二万⁉』


 彼女は少し濁った声で悲鳴を上げる。

 それから目と口を大きく開き、硬直した。

 これはバーチャルアイドル特有のリアクションである。


 バーチャルでは表情筋を使った繊細な顔芸ができない。

 このため、配信に慣れているアイドルは目と口を大きく動かすことで意図的に表情を作っている。でも今の彼女は素で驚いていると思われる。表情は長年の活動で染み付いた癖なのだろう。


『……にぃぃィィィまァァン⁉』


 数秒後、彼女は再び悲鳴をあげた。

 視聴者のコメントは、突然の悲鳴に困惑する新規ファンと、彼女が驚いている理由を解説する古株のファンで二分されている。


『普段は二千人くらいだから驚いちゃった。解説してくれてる人、ありがとね』


 彼女は笑顔を作って言った。これが本当にかわいい。私はアニメ系の絵柄なんて見慣れているのに、そこに生の声が付いただけで、ときめきレベルが急上昇することを最近になって分からされた。


『二万人かぁ……武道館埋まっちゃうね。えへへ』


 彼女は本当に幸せそうな声で言った。

 実際、嬉しいのだと思う。彼女の立場で考えれば、正体を明かすと決意してから加速度的にステージが変化している。例えば何年もかけて集めた二十万人のファンは、たった数日で三十万に増えた。それを祝う間も無くライブが決まり、さらに晴海トトとのコラボ配信が決まったのだ。


『実はリアルライブを企画してます』


 彼女は単刀直入に言った。

 コメント欄には「え?」とか「マジ?」みたいなリアクションが流れている。


 バーチャルアイドルの配信で書き込まれるコメントは、その場で発せられた生の声を文字にしているような物が多い。そのコメントに対して配信者が返事をするから、生の会話をしているかのような錯覚に陥ることがある。ソースは私。


『実は、リアルライブを企画しています』


 彼女は視聴者の反応を待った後、再び宣言した。


『正確には、あちきじゃなくて会社の人の企画だけどね。まだ詳細は知らないけど、すっごく楽しみ』


 彼女は少し照れたような口調で言った。

 コメント欄は大盛り上がり。特に、彼女を祝う古参ファンのコメントが凄い。


「あ、今コメントにマリアさん居た」

「よく見えるね……」


 めぐみんの動体視力やばい。

 さておき、小鞠まつりの「前振り」は続く。


『バーチャルなのにリアルでライブとは、って思うかもだけど、期待していいぞ。多分、握手会よりも凄いことになるから。あちきが入った会社のエンジニアさん、めっちゃ凄いからね』


 私はシレっとハードルを上げられ軽い胃痛を覚えた。

 その後も彼女は視聴者がコメントできるような間を持たせながら話を続ける。


『しかもね? なんか、おっきい会場借りるみたいだぞ』

『あちきには分かる。これはきっとフラグなんだよ』

『……空席が目立つライブって、悲しいよね』

『普段は仮想世界でライブしてるんだけど、定員を最大百人にしてるんだよね。あちきとしては同じ数でも嬉しいけど、その後ろに倍以上の空席があることを想像したら……まぁ、辛かった』

『というわけで、助っ人を募集することにしたぞ』

『これ絶対ビックリするからね。すっごいの。すっごいことになっちゃった』

『ちょっと待っててね』


 彼女は変な方向を向いて動かなくなった。

 恐らくモーションキャプチャをオフにして、現実で中野さんとやりとりしているのだろう。その間、視聴者達はライブや助っ人について思い思いのコメントを書き込んでいる。


:誰だろう?

:まつり友達いたっけ?

:コラボとか過去に無くね?

:バーチャルアイドルかな?

:意外と現実のアイドルかも

:大統領とか来たりして

:我らが歌姫が世界に羽ばたく?


 という具合に、目で追うだけでも大変な量のコメントが流れており、視聴者の期待感が伝わる。


『お待たせ~!』


 小鞠まつりのアバターが動き始めた。


『紹介します』


 パチッ、と指を鳴らすような音がした。


 彼女の隣に黒い枠が現れる。

 そして次の瞬間、とあるバーチャルアイドルの姿が映し出された。


 透明感のある青い髪と炎のような紅い瞳。輪郭に沿った長い横髪が揺れる度、少し尖った耳がチラリと見える。彼女はたっぷりと焦らすような間を取った後、特徴的な八重歯を見せながら絶叫した。


『お邪魔しまぁぁぁぁぁぁす!』


 瞬間、コメント欄の勢いが爆発的に加速する。


『いきなりテンション高いね』

『うぇぇえええええええい!』


 小鞠まつりが言うと、晴海トトは返事をする代わりに絶叫した。

 曰く、透明感のある汚い声。中の人を知った後だとまた違った印象がある。


 普通に聞いていると「これが素なのかな」と思わされるけれど、実際はファンが喜ぶ行動を意図的に選択しているのだろう。


「中野さん、すごい、叫ぶね」


 めぐみんは一途なので小鞠まつり以外のバーチャルアイドルに詳しくない。

 私はどういう返事をするべきか迷って、とりあえず相槌を打つだけにした。


『というわけで、特別ゲストの晴海トトさんです。皆、もちろん知ってるよね?』


 小鞠まつりが問いかける。

 少し遅れて「知ってる」という旨のコメントが大量に流れた。


『流石の知名度だね』

『まあね!』


 晴海トトは見事などや顔を披露した。

 口数は少ないけれど、やはり圧倒的な存在感がある。彼女が登場しただけで一気に空気が変わった。そしてこれは後に知ったことだけど、晴海トトの登場はSNSで瞬く間に拡散されたようだ。


 その結果、彼女のファンが次々と集まった。

 生配信の視聴者数は最終的に十万人を超えることになる。


『えーっと、どうしようかな。トト、さん?』

『トトで良いよ!』

『じゃあ、トトが助っ人に来てくれることになった理由から説明する?』

『今日の昼に社長から言われた!』

『そんなに急だったの?』

『うん。ぶっちゃけ、最初は断った!』

『それ初めて聞いた。なんで?』


 二人の会話については、大筋だけが決められている。

 セリフは全てアドリブなのだけど、そうとは思えないくらいにテンポが良い。


『……あれ? トト、これ聞こえてる?』


 ライブを断った理由を聞かれた後、晴海トトは口と目を閉じた。

 どうやらマイクトラブルの類ではないようで、首から上が忙しく動いている。


『トト、顔で返事しないで。あちき友達いないから言ってくれないと分からないぞ』

『……トトの歌、あんまり評判良くないから』

『……ごめん』


 晴海トトは絞り出すような声で言った。

 べつに面白いことを言ったわけではないけれど、直前までのテンションとの落差が笑いを誘う。


 私とめぐみんはクスッと息を吐き、コメント欄には「草」という笑いを意味する単語が流れた。


『えっと、じゃあ、どうして引き受けてくれたの?』


 数秒後、小鞠まつりが問いかけた。


『まつりちゃんだから、だぜ』


 晴海トトはパチッとウインクをして言う。


『この配信を見てる人は知ってると思うけど、まつりちゃん、マジで歌が上手い。だからトトは社長に言いました。まつりちゃんが歌を教えてくれるなら、出ても良いよって』

『何それ初めて聞いた』

『トトも今初めて言った』


 彼女はイタズラが成功した子供のように言うと、大きな声で笑った。

 それから見ている方まで楽しくなるような笑顔を浮かべ、小鞠まつりに向かって言う。


『師匠! トトに歌を教えてください!』

『あちき人に教えたこと無いよ? 大丈夫?』

『ダメだったらライブに出るのやめます』

『今日からあちきがトトの師匠です。全力で教えるぞ』


 こうして視聴者に対する「ネタばらし」が完了した。

 ここまでが事前に決めた大筋となり、ここからは完全に二人のアドリブとなる。


『師匠ってさ、ぶっちゃけトトの歌聞いたことある?』

『実は、ある』

『正直に教えて。どういう部分がダメだった』

『ダメなこと前提なんだね』

『……ダウンロード数、伸びてないから』

『そっか……じゃあ、えっと、遠慮なく言うぞ?』

『おなしゃす!』

『トトの声は、すごく綺麗だと思う』

『だよね』

『でも声の出し方が酷い。聞いてて声帯が可哀そうだった』

『声帯が可哀そう』

『もっと正しい声の出し方をしないと、そのうち喉が壊れちゃうぞ』

『それは困る。どうすれば良いですか?』

『とりあえず、リラックスして、あー、って言ってみて』

『あー』

『うん、トトの一番出しやすい声はミの音だね』

『すごっ、師匠、絶対音感あるの?』

『あちきのことは置いといて、次は、ミー、って言ってみよっか』

『ミー』

『もっと楽にして。もう一回』

『ミー、ミー、ミー、って蝉か⁉ なんだこれ⁉』

『トト? 今は真面目な話をしてるよ?』

『……はい』

 

 ふとめぐみんの視線を感じた。

 彼女は私をジトっとした目で見て言う。


「なんか、今の見たことある」

「……さ、さぁ、なんのことかしら」

「ふーん?」


 めぐみんの冷めた視線から逃れるようにして、私はコメント欄に目を向ける。


「めぐみん見て! 大盛況だよ!」

「うん。みんな、楽しそう」


 小鞠まつりと晴海トトの会話は、即興とは思えないくらい面白い。その感想を抱いたのは私だけではないようで、次から次へと楽しそうな感想やリアクションがコメントされている。


 かくして、初のコラボ配信は文句なしの大成功となった。


 そして翌朝。

 私達は晴海トトの影響力を思い知る。


 コラボ配信をする前まで三十万人くらいだった小鞠まつりのファン人数は、たった一晩で五十万人を突破した。特に、晴海トトが「この曲が好き」と生を出した動画が多く再生され、これまでは十万程度だった再生数が、同じく一晩で百万を突破した。


 しかし勘違いしてはならない。

 小鞠まつりのファンが増えたのではなく、晴海トトのファンに知られただけ。


 大切なのは、ここから。

 少し興味を持ってくれただけの人達を本当のファンに変える必要がある。


 私は歌や配信については素人だから、小鞠まつりに何か助言をすることはできない。だけどチャンスを作ることはできる。そのことを今夜の配信で強く感じた。


 だから、ライブの詳細が決まり、あまりにも無茶なスケジュールを知らされた時にも、心に浮かんだのは「絶対にやってやる」という気持ちだけだった。


 前例の無い技術。前例の無いライブ。

 それを実現するための開発と検証を一ヵ月で終わらせる。


 普通の会社に依頼すれば「ふざけてるの?」と言われるようなスケジュールだ。


 でもやる。絶対にやる。

 同じ条件で歌えば、小鞠まつりは絶対に負けないから。

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