スタートライン 終

 晴海トト。現在、最もファン人数が多いバーチャルアイドル。

 ビビパレードの三期生として登場した彼女は、瞬く間にファンを増やして一位の座を手に入れた。


 現在のファン人数は五百万人以上であり、二位とは百万人以上の開きがある。


 彼女の影響力は凄まじい。有名なのは、特定のお菓子が美味しいとコメントする度、全国から在庫が消え、本人も入手困難となりファンに抗議する流れだろうか。


 こんな出来事が頻繁に起こるため、彼女は一部のファンから「言葉ひとつで経済を動かす女」という二つ名を付けられている。その発言力は会社の中でも強いらしく、彼女が「やる」と言っただけで私の意見が通った。


 嬉しい。とても嬉しいはずだけど、達成感というよりも脱力感がある。一気に力が抜けたというか、今日はもう帰って寝たい気分だった。


 しかし現実は非情である。まだ午後にもなっていない。


 会議の後、私は先日と同様に事務所へ向かった。

 広いエレベーターに乗って、セキュリティゲートを抜け、外に出る。


「ねぇ、どこ行くの?」


 その直後、声をかけられた。

 私は隣に立った人物を確認する。

 そしてカエルみたいにジャンプして距離を取った。


「あはは、何その反応。おもしろ」


 女子大生みたいな外見の女性。

 彼女の名前は中野さん。それとも、晴海トトと呼ぶべきだろうか。


「何か、御用でしょうか?」

「お話しましょ」


 彼女は現実のアイドルみたいな笑みを浮かべて言った。

 あらためてその声を聞くと、どうして気が付かなかったのか不思議なくらいに晴海トトそのものだ。


 疲れた身体を癒して優しく包み込むような声。しかし怒った時は別人のように濁った声を出す。そのギャップが魅力のひとつで、配信中には絶妙なタイミングで「キレ芸」と呼ばれる憤りを披露する。


 また、晴海トトにはキラッと光る特徴的な八重歯があるのだが、なんと本人にも同じ物があった。


 ……やばい、やばい、トトちゃんが目の前に居る気分だよ。


 小鞠まつりを最高のアイドルにすると決めた後、私はバーチャルアイドル界隈を調査した。その過程で多くの動画を見た。結論だけ言えば、晴海トトにハートを撃ち抜かれてしまったのである。


「ええっと、名前、なんだっけ?」

「……佐藤、愛です」

「じゃあ、愛って呼ぶね。トトのことは、外では中野か楓って呼んでね」


 私はコクコクと首を縦に振った。

 彼女の一人称はトトだけど、それは良いのだろうか?


「おっとっと、引き止めてごめんね。歩きながらで大丈夫だよ」

「……ぅぃ」


 私が移動を始めると、彼女は歩調を合わせて隣を歩いた。

 隣というか、今にも肩が触れ合うような距離感である。すっごいドキドキする。


「ねぇねぇ、実は愛がまつりちゃんだったりするのかな?」


 やばいよ~! 距離感が彼女だよ~! 絶対これ私のこと好きだよ~!

 冗談はさておき、私は内なる獣を必死に押さえ付けながら返事をした。


「……別の人、ですよ?」

「そっか、残念。愛だったらすっごく仲良くできそうなのに」


 彼女は少し腰を曲げ、鋭い八重歯をキラリと光らせて言った。

 二次元と三次元。外見は全く違うのに、その姿が晴海トトとダブって見えてドキドキする。


「それじゃあ、隣の小さい子かな? それとも、あの場には来てなかった?」


 再び質問を受けハッとする。呆けている場合ではない。

 小鞠まつりの中身はトップシークレット。社外の人間には絶対に話せない。


「そうですね。こういう会議には、参加しないです」

「あー、そういう感じか。じゃあコラボはリモートになるのかな?」

「はい、そうなると思います」

「そっかー、残念。同じスタジオでキャッキャしたかったよ」


 やばいよ~! 聞けば聞くほどトトだよ~! 生スパチャ読み依頼したいよ~!


 私はニヤニヤしないように気を引き締める。

 あ、ダメ、無理そう。こういう時は真面目な話をしましょう。


「あの、さっきはありがとうございました」

「んー? 何のこと?」

「会議のことです。コラボ配信、中野さんが居なかったら難しかったかもです」

「全然いいよ。面白そうだったし」


 かわいい。私は彼女の笑顔に胸をときめかせながら、ぼんやりと考え事をした。

 あの場において「面白そう」で意見を通せるのは絶対に普通じゃない。それを可能にしているのは、恐らく実績だ。今のところかわいい女子大生にしか見えないけれど、仕事に関しては、ナンバーワンに相応しい一面を持っているのだろう。


「中野さんって、どうしてバーチャルアイドルになったんですか?」


 深い意図は無い。なんとなく気になったから質問してみた。


「生きるためかな?」

「……深いですね」

「あはは、全然だよ。むしろ浅いくらい」


 彼女は背中で手を組んで、軽く空を見上げた。


「なんか、きーくんが迷惑かけてごめんね」


 話の流れを無視した発言。

 私は一瞬ぽかんとしてから、とりあえず無難に返事をすることにした。


「いえいえ、全然そんなことないですよ」

「いいよいいよ。あのハゲ性格悪いからさ」


 私は苦笑する。

 何を言えば良いか分からなかった。


「他人の足を引っ張りたがる人、多いよね。そんなことしたって、自分が成長するわけじゃないのに」

「そう、ですね」

「だからトト、まつりちゃんのこと好きだよ。先輩だし、頑張ってるの分かるもん」


 ……晴海トト。性格まで良いとか最強かよ。

 もちろんキャラ作りの一環という可能性はあるけれど、この笑顔になら騙されても良いと思える。


「でも、世界一はトトだよ。まつりちゃんに歌を教えて貰ったら、もっと二位に差を付けられる」


 自信に満ちた言葉。だけど嫌味な感じは全くしない。

 それはきっと、彼女自身が発言した通り、自らの成長だけを考えているからだ。


 私にはアニメやマンガの知識しか無いけれど、勝負事の世界では、他者を蹴落として上に行く場面が多くあるのだと思う。しかし彼女は違う。正々堂々と頂点に立ち、下の人達をリスペクトしている。


「だから、お礼を言うのはトトの方だよ。コラボ配信、楽しみ。まつりちゃんにもよろしくね」

「はい。伝えておきます」


 私が頷くと、彼女は鋭い八重歯が見える笑みを浮かべ、バイバイと手を振りながらビルへ戻った。


 その背中を見送った後、私は大きく息を吸い込みながら空を見る。

 あちこちに高層ビルがある東京の空は、とても狭い。この高層ビルを建てられるのは、きっと相応の成功を収めた人達だ。東京という狭い土地に日本中の才能が集まって、僅かな枠を奪い合っている。


 ほんの少し前まで、私にとってそれは雲の上にある世界だった。

 今は違う。そういう人達と競い合わなければ、目標を形にすることができない。


 ライブを開催することはできた。

 小鞠まつりを出演させられることも決まった。


 だけど、私の力だけで解決した問題はひとつも無い。

 全部、他の人の助力が有ってこそだった。それを思うと、ほんの少しだけ悔しい。


「……がんばろう」


 呟いて、歩き始める。

 こうして私は、きっと本当の意味でスタートラインに立ったのだった。

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