スタートライン 3

 午後七時。

 今日最後の受講生を見送った私は、脱力してソファに座った。


 それから虚空を見つめて呆然とする。

 時間が無いのに、何も思い付かない。


「よう、人たらし、ご機嫌だな」


 どれくらい無駄な時間を過ごしただろう。

 いつの間にか事務所に居たリョウが、いつものようにそっけない態度で私に言った。


「……何しに来たの」


 無意識に突き放すような言葉が出た。

 しかし彼は全く気にしていない様子で対面のソファに座る。


「たまたま近くを通ったから顔を出しただけだ。んで不審者を見つけたから声かけた」

「……誰が不審者だ」

「何があった?」


 彼は鬱陶しそうな目をして言った。

 私のことを心配している気配なんて全く無い。そのナイスなツンデレ具合が今はありがたい。


「……小鞠まつりをライブに出すには、どうすれば良いのかなって」

「なるほどな」


 リョウは何か察した様子で頷いた。


「その問題に気付いたってコタァ、ケンタさんから聞いたんだろ」

「……なんでっ」

「睨むなよ。簡単な推理だろ」


 彼の指摘を受け、私はハッとして俯いた。睨むつもりなんて無かった。


 とても感情的になっている。難しいことを考えなきゃダメなのに、怒ってる場合じゃない。


「……リョウも、難しいと思う?」

「そりゃ難しいだろうな」


 テーブルの下でギュッと拳を握る。

 噓でも良いから励まして欲しかった。


「ただ、不可能じゃねぇ」

「……え?」


 思わず顔を上げた。

 彼は相変わらず鬱陶しそうな目で私を見て言う。


「ケンタさんだって、無理とは一言も言ってねぇはずだ」


 私は思い出す。

 今は彼の名前を聞くだけでも腹が立つけれど、確かに、無理とは言ってない。


「……どうすれば良いと思う?」


 私は縋るような気持ちで問いかけた。


「簡単な話だ。まつりを使うメリットを示せりゃ良い」

「……だから、そんなの、どうやれば」

「バカかテメェ。魅力のひとつも伝えられねぇ相手を推薦しようとしてんのか?」


 リョウらしい厳しい言葉。

 だけどそれは、今の私にはちょうど良い刺激だった。


「でも、私が好きってだけじゃ誰も納得してくれない」

「うるせぇよ。弱音吐く場面じゃねぇだろ。納得させる方法だけ考えろ」


 リョウは鋭く目を細めて言った。

 私は彼の迫力に気圧されて口ごもる。


「思考を変えろ。上司にやりたくもねぇ仕事押し付けられてるわけじゃねぇんだ。テメェのワガママを通すために必要なことだけ考えやがれ」


 本当に、言葉が厳しい。もう少し心に余裕が無かったらヒステリックに叫んでいたかもしれない。だけどギリギリ受け入れられた。


 リョウの言う通りだ。

 バーチャルアイドルの人気を比較した時、圧倒的にビビパレの方が強い。


 それでも小鞠まつりに出番を与えたいのは私のワガママ。誰かに頼まれたわけじゃない。

 

 私のために、私がやると決めたことだ。


「目ェ覚めたみてぇだな。人たらし」

「……うるさい。誰が人たらしだ」


 私が言い返すと、リョウは一瞬だけ満足そうな笑みを見せた。


「助言は必要か?」

「いらない。自分で考える」

「ハッ、後で後悔すんなよ?」


 リョウは挑発的な表情をして、ソファから立ち上がる。


「帰るわ。寝坊だけはすんなよ」

「するわけないじゃん」


 その後、一人になった私はノートパソコンを開いた。


 もう一秒だって無駄にできない。

 小鞠まつりをライブに出すことだけ考える。


 無理なんかじゃない。方法は絶対にある。

 あのクソ生意気な幼馴染に思い付いて、私に思い付かないわけがない。


「ライブの目的は人を集めること。じゃあ、小鞠まつりを使った方が集客できると示すしかない」


 ぶつぶつと思考を声に出しながら、インターネットで思い当たる情報について調査する。


「このままだとライブにはビビパレが出る。なんで。ファンが多いから。なんでファンが多いの」


 邪念が消える。

 キーボードを叩く音も聞こえなくなる。


「こっちだってファンは増えてる。急速に。なんで。バズったから。そうだよ。足りないのは知名度。同じ条件で歌ったら、小鞠まつりが負けるわけない」


 断片的なアイデアが点となる。

 近くにあった情報と繋がって線になる。

 無数の線が生まれ奇妙な図形が描かれる。

 思考が加速する。言語化する速度を追い越しても止まらない。


「絶対、負けない」


 私は決意だけを言葉にして思考を続けた。

 時間はあっという間に過ぎ去り、決戦の時を迎えることになった。

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