スタートライン 2

 会議の後。

 めぐみんとリョウは会社に残り、翼と夕張さんは帰宅した。


 私は塾講師をするため、生意気な幼馴染と二人でタクシーで事務所を目指していた。


「タクシーなんて使って良かったの? お金無いのに無駄遣いじゃない?」

「無駄じゃないよ。たった数千円で、君の時間を確保できる」


 微妙に喜べない言葉である。

 だけど今の私は気分が良いので聞き流すことにした。


「これから忙しくなりますね」

「なんで敬語? まぁ、その通りだけど」


 塾講師の仕事はしばらく休業になる。

 でも流石に直近の予約をドタキャンするのは無理なので一週間くらいは営業を続ける。


「まつりちゃんが歌う時間、どれくらい確保できるかな?」


 私が言うと、ケンちゃんは「あっ」という顔をした。


「何? 私、何かおかしなこと言った?」

「あー、そうだね。これは言うべきだね」


 彼は困った様子で苦笑する。

 そして衝撃的なことを口にした。


「彼女の出番は無いよ」


 言葉の意味が分からなかった。

 返事をするための声が出なくて、二人の間に静寂が生まれた。


 その静寂を車の音が埋める。

 しばらく時間が経った後、私はどうにか声を出した。


「どういうこと?」

「ライブ出演者はビビパレードから選ばれる」


 私が苦労して言葉を発したのに、彼はあっさりと返事をした。


「なんで?」

「その方が多くの利益を出せるから」

「利益って……」


 嫌な温度差を感じた。

 これまで目を背けていた違和感が無視できないレベルに膨れ上がっている。


「でも、恵アームが有名になったのは握手会のおかげだよ?」

「そうだね」


 だからなんだとでも言わんばかりに、彼は冷めた返事をした。


「これからも一緒に頑張ろうって、そういう気持ちにはならないの?」

「佐藤さん、続きはタクシーを降りてからにしよう。あまり人前でするべき話じゃない」

「……っ!」


 私は喉元まで出かかった言葉を吞み込む。

 それから事務所に着くまで、私達は一切の会話をしなかった。


「どういうこと⁉」

 事務所のドアを閉めた瞬間、私は強い口調で言った。しかし彼は落ち着いた表情を崩さず淡々と返事をする。


「シンプルにファン人数の桁が違う。それだけの話だよ」

「小鞠まつりだって、今すごい勢いで増えてるじゃん!」

「もう一度言うよ佐藤さん。桁が違う」

「納得できない!」

「ボクは再来月のゴールデンウィークを狙ってライブを実現する。仮に小鞠まつりのファンが百万人も増えたとしても、ビビパレのトップアイドル達には遠く及ばない」


 ケンちゃんの言ってることは分かる。ファン人数だけで見ればビビパレは圧倒的だ。


「そもそも今回は短期的な契約だ。彼らは長期的な利益のためにもビビパレを使いたいだろうね」


 その言葉も理屈は分かる。ケンちゃんは何も間違ったことは言っていない。

 

 でも、だからって納得できない。


「佐藤さん、これはビジネスなんだ」


 必死に言葉を探す私に向かって、彼は諭すような口調で言う。


「ボク達が動かすお金は一億二億程度の小銭じゃない。感情論は通らないよ」


 その言葉が私の不満に油を注ぐ。

 一億というのは、最初のイベントで私達が稼いだ利益の額だ。それを、まるで子供の遊びみたいに……!


「……ケンちゃん、何があったの?」

「何って?」

「前までのケンちゃんなら今みたいなこと絶対に言わなかった。おかしいよ!」


 私は声を荒げて言った。

 彼は表情を変えなかった。


「佐藤さん、ボクは君を尊敬している」

「……何の話?」

「洙田さんのことを覚えてるかな? 半年くらい前に一度だけ来た受講生だ」

「もちろん、覚えてるよ」

「ボクは彼を切り捨てようとした。どうしてだか分かる?」

「……未経験だったからでしょ」

「うん、その通り。彼は願いを口にするばかりで全く行動していない。相手にするだけ時間の無駄だと思った。だけど君の言葉が彼を変えた。たった数時間の会話で、間違いなく彼の人生を良い方向に変えたんだ。ボクは本当に感動したよ。そういう方向を目指すのも有りなんじゃないかって思ったんだ」


 言葉の意図が分からない。

 褒められているはずなのに、悪い予感が止まらない。


「今思えば、あれは間違いだった」

「……何、言ってるの?」

「彼のような人をどれだけ救ったとしても世界は変わらない」

「だから、何言ってるの?」

「君の能力を正しく使えば、必ず世界を変えられる」


 彼が何を言っているのか分からない。

 聞きたくない。今直ぐに耳を塞ぎたい。


「君は僅か五年でRaWiの全システムを自動化した。たった一週間で歴史的な研究を完成に導いた。それほどの能力を、くだらない人間のために浪費させた。ボクは過去の自分が恥ずかしいよ」


 黙れ。こんなこと言う人、知らない。こんなのケンちゃんじゃない。


「さて、小鞠まつりをライブに出したいという相談だったよね」


 彼は何事も無かったかのように言う。


「とても難しいけど、アイデアはあるよ」


 見慣れた笑顔。

 幼い頃の面影が残るその表情が、今は心の底から気持ち悪い。


「……うるさい」

「ん、何か言った?」

「お前の助けなんかいらない」


 私は彼を拒絶した。


「小鞠まつりは私がライブに出す。私が最高のアイドルにする」

「できるのかい?」

「うるさい! 知らない! どっか行け!」

「佐藤さん、分かってると思うけど、議論は明日だ。そして、感情論なんか通らないよ」

「どっか行けって言ってんだろ!」


 私は彼を睨み付け叫んだ。

 しかし彼は慌てるでも怒るでもなく、仕方ないという風に肩を竦めて言った。


「忘れ物を取ったら直ぐに戻るよ」


 彼はいつもの机からクリアファイルをひとつ取る。そして何も言わず事務所を出た。


「…………」


 私は一人になった後、拳を握り締めた。

 ムシャクシャした気持ちを叫んで吐き出したい。でも、今ここで叫べばあいつに聞こえる。


 本当に悔しいけど、全然納得できないけど、感情的になったところで私の欲しい物は手に入らない。


「あいつマジで絶対に泣かす」


 だから、憤るのは今の言葉を最後にする。


「どうしよう」


 期限は明日。

 私には、ケンちゃんがどんなプレゼンをするのかも、リバテクの人達が何をするのかも分からない。


 それでも、小鞠まつりをライブに出すためには、皆を納得させる理論を用意しなければならない。


「そんなの、どうすれば……」


 何も思い付かない。

 頭が真っ白だった。


 私は小鞠まつりを最高のアイドルにすると決めた。ここでアイデアが出せなければ、スタートラインに立つこともできない。


 そんなの絶対に嫌だ。

 なのにどうして私は何も思い付かないの?


「どうしよう。どうしよう。どうしよう」


 準備不足を痛感する。

 考える程に理解してしまう。


 この状況が始まったのは、今この瞬間ではない。私がライブを提案した瞬間だ。私だけが事前に未来を知っていた。何が起きるのか考える時間は、たっぷりあった。


 何も考えていなかった。

 提案が通ったことに安心して、その先は何もかも順調に進むという幻想を抱いていた。


 だから私は今になって慌てている。

 私のアイデアひとつで未来が決まるという当たり前のことを初めて理解した。あまりにも大きな重圧を感じて吐き気が止まらない。


 あのクソ生意気な幼馴染は、いつもこんな重圧と戦っていたのだろうか。いつも、こんなにも意味不明な状況を解決するために頭を働かせていたのだろうか。


「……落ち着け、落ち着け、落ち着け」


 私はソファに座り、両手を握り締めた。

 その手がガタガタと震える。止まれと念じても言うことを聞かない。


 学生時代ならば、やりたいと言えば大人がお膳立てしてくれた。だけど今は違う。教え導いてくれる保護者は存在しない。


 孤独なんだ。

 自分一人で考えるしかないんだ。


 しかも周りを納得させなきゃいけない。

 私のアイデアひとつで、途方もない大金を動かせると思わせなきゃいけない。


「とりあえず、仕事。仕事しないと」


 時刻はまだお昼過ぎ。

 今日の予定を確認すると、これから四人の受講生がやってくることが分かった。


「……時間、無いのに」


 呟いて、ハッとした。

 受講生はちゃんとお金を払ってる。私の指導を受けに来てくれてる。雑な仕事なんて許されない。


 パンッ、と頬を叩いた。

 数年前から続けている気持ちを切り替えるためのルーティーン。習慣とは恐ろしいもので、あれだけ混乱していた頭が少しだけ穏やかになった。


 それから私は、ほとんど無心で受講生の相手をした。

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