スタートライン 1
私、佐藤愛まだギリギリ二十八歳!
あのねっ、今ねっ、タワマンに居るの!
うふ、うふふ、うふふふ。
つくづくタワマンと縁がある女ですわね。
これはもう、庶民とお別れする日も近いのではなくって? なくって? おほほほ!
「こちらがリバテクの研究室です」
「……あ、はい。あざます」
集中しましょう。
現実逃避は終わりです。
まずは研究室の様子を目に焼き付けます。
間取りは……広い!
五十メートル走できそう!
でも間にはモノがたくさんあるので走ったら転びそうです。走るのはやめましょう。
パッと見て気になるのは、左手にある巨大なホワイトボード。それからパソコンのあるデスクの島がひとつしかないこと。会社の規模を考えたらもっと座席があるイメージ。子会社だからかな?
「おいこら人たらし、キョロキョロすんな」
「人たらしッ」
低い位置からチクリと刺したのは我らが特攻隊長、ツンデレ王子ことリョウくんです。
「何か面白い物でもあったのかな?」
高い位置からふわりと声を発したのは音坂さん家の翼くん。本日はふわふわモードです。
「いぇあの、ホワイトボードが珍しいなと」
「あぁ、確かに。大きいよね」
ふわふわモードには未だ慣れないというか妙に緊張してしまいます。私は気持ち的に秒間16回ほど瞬きをしながら雑談に応じます。
「何が書いてあるんでしょうね」
「触覚の方程式、だね」
今度はめぐみん。
言われてみれば彼女の研究メモと似ているような気がする。
「……ふっ」
めぐみんはホワイトボードをジッと見た後で勝ち誇ったように笑った。理由は聞かないでおこう。
「会議室へ案内します」
淡々とした声で言ったのはスーツが似合う女性の方。名前は分からないけど、このビルの入り口に着いた時から案内してくれている。
「佐藤さん」
移動を再開する直前、ケンちゃんが私を見て言った。
「分かってると思うけど、仕事だからね」
なんで私にだけ言うんだよ。という気持ちを込めて彼の足を蹴飛ばした。
彼の反応は軽く肩を竦めただけ。
本当に生意気になった。腹が立つ。
さておき、私達は広いオフィスの隅っこにある会議室まで移動する。
そして、彼らと出会った。
「やぁ健太、待ってたよ」
「あぁ公仁、これからよろしくね」
入室直後。
気の良さそうなおっちゃんが、ケンちゃんに外国人みたいなノリで軽いハグをした。対するケンちゃんは相手をファーストネームで呼びながら応じた。仲良しかよ。
むむ? よく見ると昨日事務所に来た人だ。この人が川辺さんか。
私がぼんやり観察していると、川辺さんは私達に背を向けて言った。
「こちらがマブダチの健太。それからKTRの皆様だ。しばらく一緒に働くことになる」
川辺さんが私達を紹介すると、向こうの方々は「えぇ……」という驚きと呆れが混じったような反応を見せた。まさかとは思うけど、事前に話を聞いてなかったのかな?
「さぁさぁ、皆さんはこちら側に!」
出入口の正面には大きなテーブルがある。その左右に席があり、向こうの方々は右側に座っている。川辺さんは左側の空席を順番に引きながら奥へ移動した。外見よりも若々しい軽やかな動きだ。
彼は全ての椅子を引いた後、大きなテーブルをグルリと周り、右側最奥の席に座って言う。
「どうぞ、お座りください」
「ありがとう。そうさせてもらうよ」
ケンちゃんは堂々とした態度で返事をして一番奥の席に座った。その後ろに翼、リョウ、めぐみんが続く。私と夕張さんは少し遅れてめぐみんを追いかけた。
……威圧感ぱねぇ。
こちらは六名。向こうは十一名。
それだけの人数が座っているのに、まだ座席が余っている。普段は狭い事務所で仕事しているせいか、なんだか場違いな気がして落ち着かない。
「さーてーと? ファシリテーターは俺で良いのかな?」
川辺さんが謎の横文字を使った。
ファシ……なに? RPGの職業かな?
「いや、挨拶も含めてボクがやるよ」
「そうか。なら健太に任せよう」
ケンちゃんは自信に満ちた表情で立ち上がる。それからリバテクの方々を順に見て、爽やかな微笑を浮かべて言った。
「鈴木健太です。知っての通り、皆さんの研究を無価値に変えた会社の代表です」
何言ってんだこいつ。
「研究については、そちらの長髪の女性、山田がほぼ一人で終わらせました」
めぐみんドヤ顔やめて!
向こうの方々すっごい顔してるから!
世紀末みたいになってるから!
「隣の女性が佐藤。その技術を僅か二ヵ月でサービス化したエンジニアです」
あっ、あっ、今度は私に熱視線。
とりあえず会釈しとこう。早く次に行け。
「他、ボクを含めた四名は営業担当。ボクのように生意気なトークで顧客を得るのが特技です」
ケンちゃんが肩をすくめ戯けて見せると、川辺さんがハハハと手を叩いて笑った。ウケてる。
いや、彼の隣に座る眼鏡の男性が「何わろてんねん」って顔してる。ダメそう。
「はーい、質問良いですか?」
「どうぞ」
眼鏡さんの隣に座る女性が挙手をした。
若い。茶髪のボブで女子大生の見本みたいな外見をしている。
「まつりちゃんは来てないの?」
「ええ、予定が合わなかったので」
「そっかー。残念」
彼女は姿勢良く溜息を吐いた。その仕草までもが若い。
それはさておき声優さんみたいな声。
実は、バーチャルアイドルの方なのかな?
こっそり夕張さんを見ると、とても驚いた様子で彼女を見ていた。何か心当たりがあるようだ。
「さて、ボク達が今日ここに来た目的を話します」
ケンちゃんが大事そうなワードを出した。私は気持ちを切り替えて耳を傾ける。
「弊社が持つ触覚技術、スマメガ、そして貴社のビビパレを使ったイベントを開催します」
スマメガの作者は私だけど、その権利は売却済みなので勝手に商用利用することはできない。実は、翼がケンちゃんに激おこだった理由のひとつがこれである。
翼はスマメガを高く評価していた。
だから売却という判断に失望したみたいだ。
ただし、スマメガを買った会社は技術の解析に苦労していた。そこに付け込んで安値で協力するように交渉……ということが握手会を開くまでの間にあった。
私が少し懐かしい気持ちで思い出していると、ケンちゃんは軽く息を吸ってから話を続けた。
「ボク達には、そのイベントで百億円以上の利益を出すプランがあります」
何それ初耳なんだけど。
「これには、触覚技術に精通している優秀なエンジニアの協力が欠かせません」
ケンちゃんは再びリバテクの方々を見る。
私はプレゼンの知識なんて無いけど、上手な間の取り方だなと思った。もしも私がリバテクのエンジニアだったらモチベーションが上がると思う。いや、最初にディスられた件でマイナスが勝つ。やっぱりギルティ。
「利益を折半。その条件で公仁と合意しました。要するにボク達は対等な関係です」
「その通り!」
鋭く口を挟んだのは川辺さん。
私はケンちゃんが一瞬だけビクッとしたのを見逃さない。おかわいいこと。
「はーい、イベントって何やるの?」
先程の若い女性が再び質問した。
「なんでもいいですよ」
ケンちゃんはとんでもないことを言った。さも我々には完璧なプランがありますみたいな口振りでイベント内容未定というのは驚きだ。
「何か希望はありますか?」
「じゃあ、一番盛り上がる奴で。きーくんもそれで良いよね?」
「アグリー! 盛り上がった方が良い!」
川辺さん「きーくん」って呼ばれてるんだ。
私が形容しがたい衝撃を受けていると、眼鏡の男性が頭を抱えて呟いた。
「あんた脳みそ寝てんですか……」
絶妙な表情をしている。彼は苦労人ポジションみたいだ。
私が「苦労人な部下と破天荒な上司か」などと密かに妄想していると、若い女性が言った。
「まーくん、そんなに悩んでばっかりだとハゲるよ?」
「そういう心配は既にハゲてる誰かさんに言ってやれ」
「はーげーてないから。髪の毛が俺の進歩に追いつけないだけだから」
そのやりとりを聞いて、リバテクの方々はクスクスと笑った。
私も、なんというか緊張が解れた。思ったよりも賑やかな方々だ。
「このハゲは置いといて、俺からも質問させてください」
「待て待て清正くん。今の時代、最も考え抜いた者が勝つんだ。頭のリソースを髪に使ってるようでは勝てない。つまり俺のこれは戦略的なハゲってわけだ」
「ハゲ認めてんだろそれ。黙っててください」
「楓ちゃん! 清正くんが酷い!」
「きーくん。今は真面目な時間でしょう? 髪の代わりに口数増やすのやめよ?」
「四面楚歌!」
川辺さんが悲鳴をあげると、清正と呼ばれた眼鏡の男性以外が再び笑った。
一方、眼鏡の男性は冷静に咳払いをして、真面目な表情でケンちゃんを見る。
「あらためて質問します。あなたは、どのような手段で百億円もの利益を出すつもりですか?」
「ボク達の技術を全世界にプロモーションする。それだけです」
「詳細をお聞きしても?」
「後日、資料を用意しましょう。そのために、今日はイベントについて決めたい」
ケンちゃんは軽く手を開き、会議室に集まった全員に向かって言う。
「我々に必要なのは最も多くの人にリーチできるイベントです。提案がある方は発言をお願いします」
眼鏡の男性は顎に手を当て、何か考え込む様子で目を伏せる。
他の人達も同様に悩むような素振りを見せた。
ここだ。
私は直感に抗わず、思い切って発言することにした。
「ライブ、やりましょう!」
わわっ、一斉に視線が集まった。
「だってほら、バーチャルアイドルですよ? ライブ一択じゃないですか」
あれれ、なんだか反応が鈍い。
「えっと、あの、スマメガを使えば、この会議室からだってライブに参加できますよ!」
今のは実質参加者数無制限みたいなことが言いたかった。
だけど緊張のせいで上手に喋れなかったような気がする。大丈夫かな。伝わったかな?
「確かに、ライブは安牌ですね」
眼鏡さん! ナイスフォロー! 後でジュース奢ります!
「しかし触覚という利点をどう活かしますか?」
「……」
やばい、何も言えない。全然優しくなかった。ジュース奢るのやめます。
「俺は愛の意見に賛成する。ライブという軸で議論するのが一番良い」
助け舟を出してくれたのは、いつの間にかお仕事モードになっていた翼だった。
「何か具体的なアイデアがあるのですか?」
「例えば、最前列の人はアイドルと触れ合える」
翼が即答すると、眼鏡さんは微妙な反応を見せた。
それを見た翼は軽く息を吸って、軽い手振りを添えながら言う。
「物を投げる手段もある。実物ではないのだから、全員に届けられる。これを課金アイテムにすれば、単純に収益を増やすことができる。サイリウムやライブ衣装を課金アイテムにするのも有効だ。コストがゼロに等しいから売上がほぼ利益になる。何より仮想のアイテムを購入するという心理的ハードルを下げるきっかけになる。今回に限った販売ではなく、定期的にライブを開催すると予告してサブスクを提供する手もある。と、少し考えただけでも無数にアイデアが出る」
翼がまるで台本を用意していたかのようにスラスラ言うと、一部から「おー」という声が上がった。眼鏡さんも感心している。私は胸がキュンとなった。
「なるほど。あなたの言う通りだ。失礼しました。少し視野が狭くなっていたようです」
眼鏡さんは納得した様子で頷いた。
私は感謝を込めた目線を翼に送る。
その視線に気が付いた彼は、軽く笑みを浮かべてウインクをした。
ぎゃふんっ、何かを撃ち抜かれた私は目を閉じて俯いた。
どうしよう。今後一週間くらい翼の目をまともに見られないかもしれない。
「それでは、ライブという方向で考えましょうか」
ケンちゃんが場を繋ぐ形で言った。
「アグリー!」
「きーくんうるさい」
また川辺さんがいじられて、愉快な笑い声が生まれる。
その後、アイデアを集めるため一日時間を置くことになり、会議は終わった。
私は心の中でガッツポーズをしていた。
翼の助けはあったけれど、ライブをするという意見が通った。
これで小鞠まつりを最高のアイドルにするという目標に一歩近づいた。
それがとても嬉しかった。
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