小鞠まつりの秘密 6

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 きっかけは幼い頃に見たライブ。


 キラキラ輝くステージの上。

 可愛い衣装を着て歌って踊るアイドルの姿に心を奪われた。


 いつか、あのステージに立ちたい。

 自分の歌と笑顔で、たくさんのファンを笑顔にしたい。


 十歳の時、初めて貰ったお年玉でアイドルっぽい衣装を買った。それを着て母の部屋にある大きな鏡を見た。そこに映っていたのは理想とは程遠い姿だった。


 十二歳の時、インターネットに歌声を投稿する文化を知った。だから理想の声が出せるように練習を始めた。歌声だけでも人気者になることができれば、いつかアイドルになれるかもしれないと思った。


 十四歳の時、母が倒れた。病気と闘うためには高額な医療費が必要だった。最初、それが自分にどういう影響を与えるのかイメージできなかった。


 当時は偶然にも進路を考える時期だった。漫然とした不安だけが胸にあった。


 そのモヤモヤとした感覚の正体を知らないまま自分は高校生になった。


 父の稼ぎは正直あまり多くない。

 我が家はじわりじわりと貧乏になった。


 そして自分は、お金が無いというだけのことが、どれだけ残酷なのか思い知らされることになった。


 朝起きて、食事を作り、学校へ行く。

 授業が終わったら部活の代わりにアルバイトをする。帰宅したら家事をして、水道代の節約を考えながらシャワーを浴びる。


 そして気が付いたら一日が終わっている。そんな毎日だった。


 将来の夢とか考える余裕は無い。とにかく今日を生きるために必死だった。だけどそれは現状維持にすらならなくて、どれだけ頑張っても昨日よりも良い明日が来る気配なんて感じられなかった。


 学校をやめて働きたいと何度も父に話した。しかし父は頑なに認めてくれなかった。


 父は高卒だった。そして強い学歴コンプレックスを持っていた。大卒という資格を持たないだけで、どれだけ人生の選択肢が減るのかという話を何度も聞かされた。でも自分にはピンと来ない話だった。


 自分は学校が嫌いだった。

 楽しそうに遊んでいる人達を見ると吐き気がした。


 放課後に部活をして、休日には友達と映画を見る。教室ではソシャゲにいくら課金したみたいな話を誇らしげに語る。


 それが「普通」であると主張するかのように、彼ら彼女らは青春を謳歌する。


 両親が元気で、お小遣いが貰えて、生きるための不安なんて何もなくて、やりたいことができる。


 それが普通なら、普通って、なんて素晴らしいことなのだろう。


 普通になりたい。

 同級生達が「普通の人生なんて嫌だ」と軽々しく口にする傍らで、自分は、普通の人生が欲しいと誰よりも強く願った。


 そして十七歳の時。

 バーチャルアイドルを知った。


 比喩ではなく全身が震えた。涙が止まらなかった。幼い頃の夢なんて忘れていると思っていたのに、これまでの疲労や苦痛を全て吹き飛ばすくらいの情熱を感じた。


 未来が見えた。いつかきっと、好きな姿で好きなことができるようになる。技術的なことなんて何も知らないのに、そういう未来がハッキリと見えた。


 しかし、その世界で普通に生きることは不可能だと冷静に考える自分が居た。


 お金が無い。

 どれだけ良い未来になっても、それを無料で享受できるわけではない。


 時間が無い。

 どれだけ素晴らしい可能性があっても、行動しなければ何も始まらない。


 お金を作るには時間が要る。

 しかし時間が無ければお金を作れない。


 要するに、自分はずっと……。


 嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。このまま辛いだけの人生で終わるなんて絶対に嫌だ。


 絶対に普通を手に入れる。

 絶対、最高のアイドルになる。


 その日から自分は変わった。嘆くことをやめて、理想を手に入れるため全身全霊を尽くした。


 ブラック部活という言葉がある。

 土日祝日にも練習があり、ほぼ一年中休みが無いらしい。


 それならば、休むという概念を捨てた人生は、どう表現すれば良いのだろう。


 自分は一秒だって休まない。寝る間にだって夢の中で歌の練習をしてやる。それくらいの気持ちで、文字通りの意味で命を削って生きていた。いつ身体が壊れても不思議ではない生活だった。


 構うものか。どうせ寿命は一秒毎に減る。今を全力で生きる方が良いに決まってる。


 楽しいことなんてひとつもなかった。

 修学旅行などの学校行事は全て欠席した。一生に一度の思い出なんかよりも大切なことがあった。どうしても欲しい未来があった。


 そういう生活を六年間続けた。

 その結果、大学を卒業して、誰でも名前を知っているような会社に就職できた。


 週休二日。残業、ほぼゼロ。

 だけど学生時代に何十連勤もした時より多くのお金が手に入る。


 嬉しかった。


 やっと普通の生活ができる。

 やっと夢を追いかけられる。


 そう思った直後、母が息を引き取り、後を追うようにして父が倒れた。


 父は、母を失ったショックと、子が自立した安心感で気が抜けたのだろう。


 自分と父は悪い関係じゃない。

 親子らしい会話は少なかったが、支え合って生きていた。


 直ぐに病院へ向かって話をした。

 父は元気そうだったけれど、モヤモヤとした気分は晴れなかった。


 面会の後、医者と医療費の話をした。安くはないが、今後の収入を考えれば問題ない額だった。


 ただ、恐らく父は最期まで寝たきりの生活になるとのことだった。


 病院を出てから家に帰るまでの時間、自分は呆然としていた。


 これまでは一秒でも無駄にしてたまるかと努力していたのに、この日は何も考えられなかった。


 まるで祝いの花束に虫が乗っていたかのように、何もかも台無しにされた気分だった。


 社会人としての生活は、二ヵ月に及ぶ新人研修と共に始まった。


 退屈だった。

 その気になれば、いくらでも内職できるようなレベルだった。しかし、これまでの日々で疲れていたのかもしれない。自分は言葉にできない焦燥感を覚えながらも、何もしないことを選んだ。


 そして何もしない日々が一週間も続いた頃、自分は思い出したように呟いた。


「このままじゃダメだ」


 それから二週間程度の準備期間を経て小鞠まつりが生まれた。


 その当時、バーチャルアイドルは既にレッドオーシャンだった。人気は一部に集中しており、今後、企業などが本格的に参入する気配まである。個人が新規参入して人気を得るには厳しい環境だけど、簡単じゃないことは最初から分かっていた。


 初めて投稿した動画は、一週間かけて百回くらい再生された。


 獲得できたファンの数は七人。

 貰えたコメントはゼロ件だった。


 コメントが無いから相手の反応は分からない。もしかしたらロボットかもしれない。


 だけど嬉しかった。バーチャルアイドルとしての活動を始められた実感があった。


 昔の自分に教えたら信じるだろうか?


 君は将来、お金と時間にゆとりのある生活を手に入れて、バーチャルアイドルとして活動を始める。


 絶対に信じない。有り得ない妄想だと激怒するかもしれない。それくらいの奇跡だった。


「ファンを増やすには、どうすれば良いのかな?」


 平日、仕事が終わった後の午後六時から深夜二時。そして土日祝日の目が覚めてから眠るまで。自分は夢中でバーチャルアイドルの活動をした。


 まずは配信を始めた。毎回、一人か二人は新しい人がコメントをくれた。防音室が無いから歌うことは無かった。だけど配信をきっかけに動画を見てくれる人が現れた。


 ぽつりぽつりとコメントが貰えるようになった。ちょっとずつ、ちょっとずつファンが増えた。


 幸せだった。

 動画の再生回数が増える度、コメントが貰える度、夢に近付いている実感があった。


 小鞠まつり。

 幼い頃に夢見た理想を形にした存在。


 ファンを増やすために思い付いたことは全部やった。


 ……違う。全部じゃない。ひとつ、意識的に目を背けていることがあった。


 中の人。もしくは、バーチャルアイドルを演じる現実の人間を指した言葉。


 人気があるバーチャルアイドルの中には、過去、現実の姿で配信活動をしていた人も多い。当時のファンが応援してくれた結果、ランキングの上位に名前が載り人気が出たというわけだ。


 自分は思う。バーチャルとしての活動と過去の配信活動なんて関係無い。


 だけど一部のファンは、バーチャルアイドルを通して現実の人間を見ている。


 バーチャルアイドルは、全然バーチャルじゃないのだ。


 小鞠まつりには秘密がある。

 決して知られてはならない秘密がある。


 ファンが増える度、熱意のあるコメントを貰う度、秘密を守らなければならない思いが強くなった。


 いっそ最初に打ち明ければ違う未来があったかもしれない。


 しかし自分は隠すことを選んだ。

 その結果、ガチ恋勢と呼ばれる熱心なファンもできた。


 この秘密を知ったらファンの皆は何を思うだろうか。それを考える度、言いようのない罪悪感に襲われる。


 自分と彼女は何もかも違う。

 外見はもちろん、性格も、本当の声も。


 性別さえも、違うのだ。

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