小鞠まつりの秘密 5
* まつり *
まつりの木曜ライブ219。
観客の居ない会場で宙に浮かぶ数字をぼんやりと見ながら、小鞠まつりは呟いた。
「ラブちゃん、今日も来るのかな?」
彼女と初めて話をしてからピッタリ一週間。流石に話を聞くだけじゃなくて相手の会社についても調べた。
合同会社KTR。
ホームページに記された社員数は四名。
最終更新は去年の十一月頃にあったらしいイベントの告知。全く知らなかったけど、一部の界隈では注目されていたようだ。
情報の発信源は神崎央橙。
全然知らない人だけど、フォロワーが百万人を超えていたから、その界隈では相当な有名人なのだと思う。そんな彼は佐藤愛さんに興味を持っていた。
ラブちゃんのフルネームは、ラブ・シュガー。愛・砂糖。すっごく分かりやすい。
もしも「有名人に注目されている」というだけならば「へー」という感想で終わりだった。
でも自分は彼女と話をした。そして、これまでに出会った誰よりも強い熱量を感じた。
何かこう、世界を変えるような仕事をするのは、きっとああいう人なのだろう。
正直、話をする度に惹かれている。まだ具体的な仕事内容は何も分からないのに、彼女の手を取れば今よりもっと夢に近付けるような気がしている。
「革命的な道具って、何なのかな?」
彼女の会社はイメージキャラクターとして宣伝してくれるバーチャルアイドルを探しているらしい。
スカウトの理由は同僚の推薦。
ラブちゃん……佐藤さんは、それ以前まで小鞠まつりを知らなかったらしい。でもライブを見て好きになってくれたようだ。
素直に嬉しい。
本当に、そう思う。
「……なんで、なのかな」
心に浮かぶのは肯定的な言葉ばかり。
それなのに、どうして一歩を踏み出す勇気が出ないのだろう。
「……いくじなし」
小鞠まつりはバーチャルアイドル。
幼い頃に抱いた夢を形にした偶像。
自分には資格が無い。
全部、言い訳。
全部、自分でコントロールできること。
本当はただ勇気が出ないだけ。
「ダメダメっ、ライブ前だぞっ。笑顔っ、にこ~!」
頬に指を当てて、強引に笑顔を作った。
それから仮想世界でメニュー画面を開いて時刻を確認する。
定刻まで二分ちょっと。
余計なことを考えている場合じゃない。
今日は小鞠まつりにとって特別なライブにはならないかもしれない。
だけどファンにとっては違う。最初で最後の特別なライブかもしれない。他のことを考えながら歌うなんて、小鞠まつりじゃない。
「さぁ、楽しいライブが始まるぞ」
左手にマイクを持ち、右手を軽く振った。
そのモーションを検知したプログラムが仮想世界のステータスを非公開から公開に変える。
ファンが入場するまでの僅かな間。小鞠まつりはステージ上から客席を見る。
思えば初回のライブから随分と変化した。
ただの床だった客席には小劇場のように座席と階段が用意されている。ステージは本物のライブ会場のように作り込まれ、背後には巨大なスクリーンがあり、天井にはたくさんの照明がある。そのうちの一本だけが光り、雪のような淡い光で小鞠まつりを照らしている。
次の瞬間、客席に次々と光が現れた。
これは小鞠まつりだけが見られる幻想的な景色。派手な演出は眩しくて、いつも途中で目を閉じてしまう。
そして次に目を開いた時には、光の代わりにたくさんのファンが見える。
……ああ、やっぱり、嬉しいな。
美少女、動物、怪物、謎の物体。
色々なアバターが動き回っている。
それはステージを見るポジションを探す動きか、それともライブに参加できた喜びの表現か。
小鞠まつりに真実を知る術はないけれど、それを見ていると幸せな気持ちになる。
偽りは無い。二百回以上も経験しているのに飽きる気配は全く無い。
大きく息を吸って思い切り声を出す。
今夜も小鞠まつりのライブが始まった。
そして幸せな時間は、まるで白昼夢でも見ていたかのように一瞬で過ぎ去った。
ライブの後は握手会という名のお喋りタイム。持ち時間は一人あたり一分。
すっごく短いように感じるけど、現実の握手会が数秒であることを考えれば十分に長い。
参加者は最大で百人。
後ろの方に並んでいるファンは一時間以上待つことになる。当然、途中でログアウトしちゃう人は少なくない。普通だと思う。
だから、残ってくれた人には全力で感謝を伝える。だってそれは特別なことだから。
『次の方どうぞ~』
いつも手伝ってくれているマリアさんの声。小鞠まつりが握手会を提案した時、彼女は「剥がし役」を買って出てくれた。そして四年間、一度も欠かさずにサポートしてくれている。
お礼として差し出せるのはライブに招待することくらいだけど、彼女はそれ以上を望まなかった。
『ライブっ、最高でした!』
今、一人のファンが大きな声で言った。
「ありがと、嬉しい」
小鞠まつりは笑顔で感謝を伝えて、少し視線を上に向けた。
ここは仮想世界。
アバターの頭上には名前が浮かんでいる。
「もにゃなゃんさん! 配信でも何度かコメントくれてるよね。ありがと」
『よく発音できましたね!』
「あはは、そこなんだ」
アイドルの握手会。
CDがおまけ扱いされて批判されることも多いけれど、その背景には並々ならぬ努力がある。例えば、トップアイドルは一度でも会話したファンのことを忘れない。ほんの数秒で相手の特徴と会話内容を覚え、次の機会では「久し振りだね」とアイドルの方から声をかける。
だからこそ、この言葉を心から言えるのだと思う。
「また来てね」
『はい! もうほんと、一生ライブ争奪戦やり続けます!』
四年間、何度も何度も似たようなやりとりをしている。その数だけ小鞠まつりは感動している。だけど彼女を通して世界を見る自分は違う。
全部、演技だ。
自分はファンが求める小鞠まつりを演じている。
プログラムされた笑顔。
何年も努力して作った声。
理想のアイドルをイメージした言葉遣い。
どれも本当の自分とは全く似ていない。
活動を始めたばかりの頃、小鞠まつりは自分の分身だった。
だけど活動を続ける程に自分とは違う存在になっているような感覚がある。
『次の方が最後ですね。どうぞ~』
マリアさんの声を聞いてハッとした。
いつの間にか二時間近く経っていたことに驚きながら、今日最後のファンに笑顔を向ける。
そこには見覚えのある黒猫が立っていた。
『ライブっ、良かったです!』
その声を聞いた瞬間に背筋が震えた。
『まつりちゃんの、歌、楽しいが、すっごく伝わって、ずっとずっと前から、大好きです!』
極度の緊張が伝わる早口な言葉。それは自然と古い記憶を想起させる。
『今日は、少し、寂しい感じで、でもやっぱり楽しくて、素敵で、えっと、だ、大好きです!』
自分は恐る恐る目線を上げる。
二本足で立つ黒猫の頭上にはmegumiと記されていた。
「久し振り、だね」
自分は動揺を必死に隠して言った。
『迎えに来ました!』
彼女は声を被せるような勢いで言った。
自分は頭が真っ白になった。色々な感情が一気に浮かび上がり、言語化することができない。
どうして、どうして、このタイミングで現れるのだろう。
困惑する自分に向かって、彼女は畳み掛けるようにして言った。
『詳細は、愛から……えっと、ラブ・シュガー? から、聞いてると、思います』
雷が落ちたような衝撃を受けた。
「……同じ会社、だったんだね」
『えっと、はい、そうです。ちょっと前から』
これは夢?
こんなこと、ある?
始まりは最初のライブ。
期待と不安でドキドキする自分の前に現れた二人のファン。
一人は今もイベントなどの手伝いをしてくれている。もう一人は、神様になって迎えに行くという不思議な言葉を残して、二度と現れなかった。
それが、今、このタイミングで現れた。
百万人以上のフォロワーを持つ人が注目している佐藤愛と手を組んで、本当に迎えに来た。
「シャイな同僚さんって、メグミさんだったんだね」
佐藤さんは同僚の推薦を受けて小鞠まつりをスカウトした。彼女と初めて会話した日、声は聴けなかったけど、その同僚さんが傍に居たことを覚えている。
「ずっと、見てくれてたんだね」
佐藤さんは小鞠まつりのエピソードを多く知っていた。ネットで検索すれば分かる情報もあるけど、当然すべて書いてあるわけじゃない。
「忘れてると思ってたよ」
『そんな、こと、ないです!』
「ほんとかなぁ? あれから一回も来てくれないから、寂しかったんだぞ?」
『それは、えっと、研究とか、色々、あって、その、あの、えっと』
からかうつもりで言うと、メグミさんは面白いくらいに動揺してくれた。
その姿を見てこっそり肩を揺らしながら、現実の手で自分の鼻と口を塞ぐ。
泣きそうだった。
そんな自分に、今は小鞠まつりなのだと言い聞かせる。涙なんて見せられない。
少し前を開けてマリアさんにアイコンタクトを送った。
メグミさんと話がしたい。
だから、今は二人だけにしてください。
マリアさんは何も言わず姿を消した。
ログアウトしたのだろう。
「ねぇ、聞いてもいいかな?」
『もちろん。なん、ですか?』
呼吸を整えながら念のため周囲を見る。
ライブ会場に残っているのは小鞠まつりとメグミさんの二人だけ。
それを確認してから、改めて問いかけた。
「君は、どうして神様になりたいと思ったの?」
彼女の声には力があった。何年も記憶に残り続けるくらいの強い感情があった。
「話せる部分だけでも大丈夫だから、教えてくれないかな?」
雰囲気だけは理解しているつもりだ。
多分、現実世界に何か不満があって、それを変える方法が存在しないから、こちら側を選んだ。
自分と同じ。よくある話。
だけど彼女の声に込められた感情は普通じゃない。
自分は歌が好き。歌詞が好き。短編小説よりも短い数行の詩で表現される物語が好き。
だから声に込められた感情には人一倍敏感なのだと思う。だからこそ、彼女のことが知りたいと思った。
『……楽しい、話じゃ、ないですよ』
「うん、分かるよ」
夢がキラキラして見えるのは、ほんの一部分だけ。本当は苦しいことばっかり。楽しいことを見つけても、そのうち慣れて楽しいと思えなくなる。
世界はどんどん真っ暗になる。自分がどこに居るのか、どこを目指しているのか分からなくなる。
光が欲しい。きっかけが欲しい。
スッカリ重たくなった身体で次の一歩を踏み出す勇気が欲しい。
だから自分は、彼女に問いかける。
「お願い。ちょっとでも良いから。だから。教えて?」
『……ん、分かりました』
メグミさんは話を始めた。
聞いているだけで胸が苦しくなるような話だった。それでも前を向く姿が眩しく思えた。
彼女は幼い子供が語るような夢物語を追い求めて、それを現実に変えようとしている。
「……そっか」
それしか言えなかった。
知らなかった。
こんな人が居るなんて、こんなにもカッコいい人が存在するなんて、知らなかった。
『バーチャルアイドルを探しています』
その声を聞いて、自分は彼女に目線を戻した。
黒猫のアバターが小鞠まつりをジッと見ている。その向こう側で画面を見ているメグミさんの目が見えたような気がした。
彼女はとても力強い目で、小鞠まつりを見て言った。
『恵は、まつりちゃんがいい』
鳥肌が立った。初めてバーチャルアイドルの存在を知った時と同じくらいに全身が震えた。
自分は息を整える。
それから小さく口を開いた。
「……ごめん」
自分も彼女のようになりたい。
「……ごめんね」
でも、できない。
ここまで言われて、ここまで胸が熱くなって、それでも決断できない。
だから逃げた。
これ以上メグミさんの声を聞くことが苦しくて、目を背けるようにして機械の電源を消した。
音も色も消えた暗い部屋。自分は床に膝を付きガックリと項垂れる。
そして狭い防音室の中で、誰にも届かない叫び声を吐き出した。
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