小鞠まつりの秘密 4
* 愛 *
小鞠まつり。
アイドルっぽい外見と突き抜けた歌唱力が印象的なバーチャルアイドル。
ファンは二十万人。大手事務所には劣るけれど、個人としては十分過ぎる数字。その人気を裏付けるように、毎週開催されるライブの定員は一瞬で埋まる。客観的に考えてライブに参加するのは困難だ。
だけど私は確信していた。
めぐみんは絶対ライブに参加できる。だから彼女の表情に歓喜の色が浮かんだ時にも、それほど感情は動かなかった。ああ、やっぱり、という気持ちだった。
……がんばれ。
ワクワクと緊張が混ざったような表情をしためぐみんを見て、心の中で呟く。
……任せたよ。
余計な思考を追い出すようにして、二度目の言葉を頭の中で鳴らした。
「イヤホン、着けるよ」
「ん、ありがと」
画面をじっと見ている同居人の両耳にイヤホンを突っ込む。
「私、外出てるね」
「ライブ見ないの?」
「今日は、めぐみんに譲るよ」
「ダメ」
彼女は首を横に振ると、右耳のイヤホンを摑み、私に差し出した。
「居て」
「やだ」
私が子供みたいに拒否すると、めぐみんはムッとした表情を見せた。
「お散歩してくるね」
「まだまだ、先だよ?」
「山手線一周してくる! 徒歩で!」
グッと親指を立てる。
てっきり細い目で見られるかと思ったけれど、彼女は微かに笑みを浮かべるだけだった。
ドキリとした。
必死に押さえている感情を見透かされたような気がした。
「……じゃ、任せたからね」
「ん、任された」
返事をしためぐみんは、数分前とは別人のように見えた。
最初はとても悩んでいる様子だったのに、どうしてか今は吹っ切れたみたいだ。
私は音を立てないように部屋から出る。
真っ直ぐに玄関へ向かって、靴を履いて、ここでも音に気を付けながらドアを開け閉めした。
閉じたドアに背中を預け、黒い空を見上げる。
それから冷たい空気で肺を満たして、音の無い叫び声を吐き出した。
今朝、マリアさんから話を聞いた。
小鞠まつりが初めてライブを開催した日のこと。
当時のファンは五千人。
ライブも木曜日ではなく日曜日だったそうだ。
会場に現れたファンは、たった二人。
マリアさんと、メグミという名前の黒猫さん。
黒猫さんは、小鞠まつりに向かって言った。
──神様になります。
──いつか、あなたを迎えに行きます!
マリアさんからの説明を聞いて、私は黒猫さんの正体がめぐみんだと確信した。
「ズルいなぁ……」
私は呟いて、小走りで移動を始めた。
エレベータを使わず階段を駆けおりて、マンションを出て道路に立つ。
それから何も無い空を見上げて、もう一度、小さな声で呟いた。
「……なんだよ、それ」
もしもこれが物語なら、私が入り込む余地は無い。
だって私が関わるよりも前から始まっているのだ。
そして物語の中心に立つ二人が、今まさに再会しようとしている。
こんなの、どうにもならない。脇役は陰ながら見守るしかない。
もちろんめぐみんのことは応援してる。
だけど、それでも、叶う事なら物語の中心に立っていたかった。
分かってる。これは子供みたいなワガママだ。
結果として彼女を説得できるならば、誰が話をしても同じ。
大事なのは彼女を説得した後のこと。
分かっているのに、自分を納得させることができない。
何年も努力したとか、そういう積み重ねは全く無い。たった一週間、何度か説得を試みただけ。それなのに、どうしてこんなにも悔しいのだろう。
自問する。
答えは直ぐに出た。
本気だった。
自分でもビックリするくらい本気だった。
だって、やっと見つけられたと思ったばかりだった。
「……」
叫びたい衝動をグッと我慢して、当てもなく歩き始める。
冬で良かった。
冷たい空気のおかげで冷静になれる。
パジャマで外に出ちゃったなとか、風邪を引いたらめぐみん看病してくれるかなとか、どうでも良いことを考えられる。
「まだまだ、これからだよね」
めぐみんのスカウトは絶対に成功する。
その後は、ムカつくけどケンちゃんの計画通り事業がスタートするはず。
きっとシステムには多くの改善ポイントが見つかる。多分、しばらくは必死で修正することになる。それから……それから、どうなるのだろう?
これから進む未来に、私がキラキラできる時間はあるのだろうか?
「……自分で、やらなきゃ」
私は声を出して自らの問いに答えた。
そうだ。待ってるだけでは何も起きない。
この世界には都合の良いハッピーエンドなんて用意されていない。
パンッと頬を叩いて気持ちを切り替える。
決めた。ここからは一秒だって無駄にしない。
まずは小鞠まつりの夢を叶える。
キラキラ輝くステージとたくさんの観客を用意して、彼女を最高のアイドルにする。
大丈夫、ゲームの世界ではプロデューサーとして何度もトップアイドルを生み出した。シミュレーションはバッチリだ。
そして彼女の夢を叶えたら、今度こそ、私自身の夢を見つける。
「……やるぞー」
控え目に声を出して気合いを入れる。
ちょっと楽しくなった。まだ何も始まっていないけれど、色々なアイデアが次々と出てくる。その途中、一度だけめぐみん達のことが気になった。
二人はどんな会話をするのだろう。
めぐみんはどんな言葉で小鞠まつりの心を動かすのだろう。
そして小鞠まつりは、どうしてリアルで会うことを拒むのだろう。
彼女には、どんな秘密があるのだろう?
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